もう、いいんだ ②

 何度だろうと、自分達は〝この場所〟で会い、何度だろうと互いの関係性の密度をより密接なものにしてくのだろうな、と思う。自分は、蓮花とフードコートの階段の踊り場が戻り場であるように記憶フロッピーディスクを持って日常にまで浸食している蓮花との時間を過ごす。


 蓮花は少し厚手のコートを身に纏い、顎にマスクを見せ、そしてズボンはスエットと、いつも通りの服装をしていた。それがいつもの蓮花であることを思い出すと、我々は互いに〝客と売人〟としての時間を過ごした。それはそこまで時間のかかるものではなかった。

 すぐに記憶フロッピーディスクの売買が終わると、空気感はこの場にしっかりと存在している事実としての〝男性と女性〟に別れ、そして、それを経て自分達を取り持つ空間の感覚はほとんど同じの年齢の男女という、もう一方の事実に落ち着いた。それが、自分たちの感覚としても落ち着いた。


 記憶フロッピーディスクの入ったビニール袋を手にした蓮花は、まるで、零してしまった大事な感情を、ひとつひとつ腰を下ろして座り込みながらくまなく探しているかのような素朴な声で自分に向けてこう言った。


「ねぇ、少しだけ遊ばない? 遊ぶって言っても、そんな大層なものじゃない」


 自分は刹那に首を縦に降ろした。蓮花に、多少ばかりの微笑が生まれたようにも感じられた。

 ――地下鉄に乗って、都会じゃなくて郊外に出よう、という事になり我々は真空管の割れた、まるで生まれたばかりの赤子、純粋が胎動するには少しばかり冷酷な環境に放り出された人間未満のような面持ちも持ちながら地下鉄に乗った。


 自分の家の最寄り駅から乗ると、蓮花は〝ここら辺が貴方の家の近くなの?〟と自分に訊いてきたし、それに対して〝ああ、そうだよ〟という言葉の混じり合い以外に会話らしい会話はなされなかった。

 けれども次第に生温かい感覚に芯から温められている様な、何にも例え難い感覚を覚えた事は確かだったし、それはまるで、まだ割れていない真空管の中にとどめ、何度も何度も全身を使って感じてみたいくらいに。粗雑な空気を我々は感じた。端っこの席に座り、遠くの風景を見て自分は時間を過ごした。蓮花も恐らくそうしていたと思う。


「どこに向かってるの?」


「さぁ、どこだろう。どこでもいいんじゃないかな」


 蓮花は、うん、とだけ呟いた。


 高架化した路線を走ると風景はどんどん移り変わっていった。閉鎖的で鬱屈をそのまま飲み込んでしまったような都市から――ああ、自分達は少しの間解放されるのだな、ということが分かったし、その実感は遠く、遠くに、自分と自分達の住処から離れれば離れるほど強く実感出来た。

 終点まであと二駅という所までの場所で降りた。感情の余分な部分、飽食を勝手にし始めてしるような無駄な部分が少しばかり削ぎ落とされた様に感じられた。少しだけ晴れやかな気持ちになった。鬱屈な都市から離れた。


「ねぇ、蓮花の年齢っていくつくらいなのかな?」


「聞きたい?」


「聞きたくないと言えば嘘になるし、……素直に言うと、聞きたい」


「十八歳よ」


「そうなんだ。てっきり十七歳くらいかと思ってたよ」


 そんな変わらないじゃん――笑いながら蓮花はそう言ってみせた。


 それに自分も笑みを浮かべた。自然に笑みがこぼれたのは久しかった。

 それはシビトがまだ、生きていた頃くらいであろうということを記憶しているし。……ふと――昔と今は、もう本当に陸続きの現実ではなく、どこか大陸から違ってしまった様な、そんな現実感のない印象を自分に植え付けた。


 真横を見ると笑っている蓮花がいた。自分は刹那に受けた心の空白に似た〝人生に対する虚しさ〟を押しのけるように、どこかに追いやってしまうかの様に、蓮花を眺めていた。それはまるで自分の人生に空けてくれた(与えてくれた)風穴から手を伸ばして〝そっち側と、こっち側〟との世界を繋いでなんとか虚しさに対抗するように自分達で〝世界を広げていこうよ――〟そう言われているような気持ちにさせたし、自分の人生の目の前に急に生まれた(現れた)新鮮味は、蓮花が与えてくれた生へ対するアンチテーゼの様な色彩を窺わせた。


 三十分ほど歩き(その間ずっと自分は蓮花の横顔を眺めていた様にも思える)、疲れた自分たちはカフェに入った。

 雑多な物音が押し殺されるような静寂なカフェだった。そこで一杯飲み物を口にした後(自分は紅茶を飲み、蓮花は抹茶ラテを飲んだ)、また、理由もない意味も無い散歩を続けた。どれほど歩いたのかは分からないが、とても疲れを覚えるくらい歩いている最中、蓮花は自分に向かってこんなことを言った。


「貴方はなんで記憶フロッピーディスクなんて売ってるの? なんで、人間の死後に生成される記憶を取り扱う物なんかを貴方が取り扱うのか、ずっと気になってたの。人間の死に対面しないと見ることすら出来ない記憶フロッピーディスクを売って、まぁ……だから私とかは本物の睡眠を手に入れる事が出来たりするけど……そんなの、そんなの……どうやって手に……」


 そっか、とだけ、思った。


「別になんだって良いじゃ無いか、別にさ」


「隠すつもり? ……別に、他人のセンシティブな部分に触れることがダメだなんてわかってる。でもね、本当に気になったのよ」


「さぁ、どうしてかな?」


「どうしてか、ね……分からない。でも、知りたい。ごめんね、わがままで」


 大丈夫、とだけ自分は言った。それは紛れもない本心だったけれど。


 蓮花は自分の手をぎゅっと、しっかりと握った。とても驚いた。血の通っていて、正真正銘の〝生きている人間の手〟であることが分かった。そんな手を握るのは久しぶりだった。


「分かった、もう訊かない。仮にotibaを怒らす事があったとしても……殺さないでね? 私のこと」


 蓮花は、自分の手だけ握り続けて、どこか遠くに自分を置いてきてしまったかのように遠くを見つめているような口調でそう言った。


「ああ、そうだね。でも大丈夫だよ、別に怒ってなんかないから」


 大丈夫、大丈夫だと何回も自分はその言葉を繰り返して言った。自分の声はとても不安定だった。


 蓮花は――あぁ……らしくないことするんじゃなかった、その様な言葉が聞こえてきそうな表情を長らく続けていた。

 それがどのような蓮花の感情だったりするのか分からないけど、この会話のせいでとても嫌な間柄になることだけはなんとしても避けたかった。何故だかは、分からないけど、素直にそう思うのだ。


 我々の間に、少しだけの不安定さが存在している状態で、どうすることも出来ず、手をしっかりと繋いでいる事だけはしながら、来た時と同じ様に、また、一度引いた線を上塗りするように、地下鉄に乗り、変わり続く風景に身を落とし込み、時間を溶かす――ただ、一つだけ来た時と異なる事象が自分達の座っている端っこの席で感じられるのだ。


 それは蓮花が壊れかけの玩具の様にずっと自分に話しかけてきた事だった。


 でも蓮花は会話を望んでいるようにも思えなかったから、自分は右耳でただ聞くことだけを専念した。 そして、その考えは正しかったのか、蓮花はずっと自分に対して話しかけ続けた。言葉を空間に、小さな声でそっと置く作業をし続けた。その内容は全て、蓮花自身に関する話だったし、蓮花は自分自身の端から端、隅から隅にまで存在する〝自分〟を自分に向かって曝け出した。


 ひとつ確かに覚えているのは『軽犯罪が人生へ対する安定を謀るための錠剤なのよ』という言葉で――そんなこと言ったら羊水腐るぞって本気で思った。


「ねぇotiba、前に言ってたよね――〝人生に一段落している暇はない〟って。あれ本当なんだって事を最近知ったの。別に、なにか大きな出来事があったって訳でもないけど……。」


 人生に一段落はない、そう思う事が昔からあった。


 シビトのこと、自分の人生へ対する〝違和感〟だったり、色々な〝つまらない事象〟が自分の人生に、人に紛れて十八年の人生だけれど降り注ぐのだ。まるで、つまらないよりは良いだろうと、渇望に雨が降り注いでしまうかのような、そんな感じの酸性雨が。


「でもね、思うんだ。一段落を感じるくらい何かしらに〝人生〟に没頭してみたら、それは一山も二山も越えて、その上でもっともっと人生を生きてみて初めて得る〝本物の満足感〟を感じた上で思うことなんだけど、何か分かる?」


「……分からない。」


「どんなに人生でなにかを頑張ったって――まぁ、それはとても素晴らしいことなんだけど――仮にその頑張っている事で頂点が取れたとして、そんな頂点を取れた時に想う事と一緒なんだけどさ――〝全て終わったようで、何も始まって無いのかもしれない――〟いつも、その様に思う事があるんだよ。それに、なににも、目の前の事にも全ての物事に時々、意味が無いように感じられてしまう――人生って虚しいものなのかもね。」


 そう言うと、蓮花の列挙に似た、言葉を空間に、小さな声でそっと置く作業が終わりを迎えた。


「この世界に産み落とされた者同士、仲良くしようよ」



 ――帰り際、自分は蓮花の手にキスをした。それは無意識的にした事だったから、自分でも少しだけ驚いたし、そうした瞬間に蓮花の微笑を見ることが出来たから、良かったのかもしれない。


 そうして我々は自分の住処へと戻った。なんだかんだとても楽しい時間だった。


 その夜は記憶フロッピーディスクを用いて本物の睡眠へと誘われた。蓮花の言葉をふと思い出した。――〝貴方はなんで記憶フロッピーディスクなんて売ってるの? なんで、人間の死後に生成される記憶を取り扱う物なんかを貴方が取り扱うのか、ずっと気になってたの。〟


 さぁ、なんでだろうな――


 自分の無機質的な言葉が、自分の頭の中に響き渡った。それはまるで輪郭を確かめるように、それは自分の本心を探し求めるように。

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