第五話 自覚
「よっ!ほっ!」
軽い身のこなしで廊下の曲がり角を曲がり、疾走するのはご存知俺、ことアイザック・ガータイス・ブラッドリー。ブラッドリー家の長男坊だ。
そして廊下を駆け抜けた先にいる大人の女性の股を綺麗にくぐり抜け、俺は駆ける。
「ちょっと!こら!待ちなさいアイク!」
「うおおおお!」
「お坊ちゃま〜お待ち下さい〜」
「坊ちゃま〜」
くぐり抜けた、とても一児の母とは思えないプロポーションと美貌の持ち主の俺の母、エリナのお淑やかなどかなぐり捨てた声と、メイド達の死にそうな声を聞きながら、俺は廊下をまだまだ駆ける。
「アイザック様!」
「ゲッ!」
階段をとててててと降りると、執事のエドガーが待ち伏せしていた。
が、俺は壁つたいにエドガーを避け、スライディングで設置された祠に入り込み、お目当ての…あれ?
「フハハハ!流石のアイクでもわからなかったようだな!」
「あ!父さん!ずるい!」
「いいや、ずるくないさ。俺はこっちに神宝があるって言っただけだしな。なにも祠の中にあるとは限らないさ」
「そんな!屁理屈です!」
俺が祠に取り付いていると、横から出てきたのは俺の父、ダン。一応ここら辺り、ブルガンディ高原のティルスの里の領主のはずだが、とてもそうは思えない汚らしい笑みを浮かべている。
「それ!」
「うぎゃ!」
俺のライフはもうゼロよ!
俺は手刀でトドメを刺された。
俺は今、家の中で訓練中だ。訓練っつっても遊びなんだけどな。
訓練の内容は簡単。ビー玉を取るだけ。
これは昔からこの地域に伝わる”スフィンクス”という遊び。神宝に見せ建てたビー玉を取り合う遊びだ。
そう。神宝。あの「エイバルの谷」の神宝だ。
普通は神宝を簡易的な祠の中に入れて置くはずなのだが、あんのやろうダンめ。騙し討ちは卑怯だぞ!
「イテテテテ」
「はっはっは!アイクもまだまだだな!」
そう言いながら、ダンは笑う。
「…そうですね。まだまだです」
「おいおい。拗ねるなよ。一ヶ月前は本当に心配したんだからな!」
一ヶ月前…ああ、あの件か。
俺は申し訳なくて、思わず頭を下げる。
「その件は…すいませんでした」
「あ、謝ることはないだろう!心配したんだぞ!病弱になっちまったのかって!」
「まあ頑張って基礎体力を上げて風邪を引かないようにしますよ」
「基礎体力って、お前本当に三歳ってかそもそも俺の息子かよ…」
そんな俺の姿を見て、ダンは呆れている。
贖罪も兼ねて、言って置かなければならないことがある。
ダンは、ただ誠実な男だと言うことだ。
そしてエリナとダンは、きちんと俺の両親だと言うことだ。
俺は思い違いをしていた。
流石に三年も一緒に過ごせば分かる。
あれは、今から二ヶ月ぐらい前か。
俺とエリナは風邪を引いた。
冬が終わり、いざこれから夏!って時にしっかりと引いた。
季節の変わり目で免疫力が弱まったからだろう。
マジで死にかけた。熱がどれぐらいあったかは定かでは無いが、一時は生死の境を彷徨った。
正直、怒られるものだと思っていた。
施設では風邪を引くたびに殴られていたから。
だが、彼は怒らなかった。
まあエリナも一緒に風邪を引いたからかもしれないが。
彼は、エリナに接する以上に、俺に気を配ってくれた。彼が手ずから作った麦粥に、このあたりでは風邪の特効薬として信じられている薬草をわざわざ自分で取りに行き、エリナが治った後でもその生活は続いたのだ。
そこからは風邪が治ったエリナと共につきっきりだった。もちろんメイドや執事のエドガーだって俺には、きっと気を使ってくれていたのだと思うが――
それ以上に彼は俺を見ていた。
毎回毎回、「熱は下がったか?」「調子はどうだ?」と俺が心配になるほど、俺に話しかけてくれた。
それで、感じた。
ああ、父様なんだ、と。
多分、彼は余程のことがない限り、俺を殴らないだろう。余程のことがない限り、捨てるなどとは口走らないだろう。
自然とそう思えたのだ。
そうして俺は彼を、カッコいいと思った。
このカッコいい人が、俺の父親なのか、と。
エリナだってそうだ。
毎晩毎晩、俺が何も言わなくてもどこからともなく現れて本を読んでくれる。
色々世話を焼いてくれる。
ダンを影で支えつつ、過酷な騎士団の環境でめげずに頑張っている。
俺が言うのも何だが素晴らしい人で、素晴らしい母親だと思う。
ダンはイケメンだ。そしてエリナは美人だ。
ローブを着込んで出ていくダンはかっこいいし、大剣を背負ってホットパンツにポロシャツで家を出ていくエリナはとても凛々しい。
外見的な魅力を言ってしまえばそれだけだ。
そして、俺はこういう清潔感に溢れる人達が嫌いだった。
向こうが太陽なら、こっちはゴミ溜めだ。
見るのが、眩しかった。
今更言い訳はしない。嫉妬していた。
悔しかったのだ。
何も試練を経験していなそうな人達が、俺を見下してくるのが。
あまちゃん風情に何が分かるのかって。
人間、泥臭く生きてナンボなんだって。
だから、俺はこの人達に少し冷たく当たっていたかもしれない。
少なくとも、家族に対する接し方では無かった。
そもそも家族を知らない転生人なんだから、当たり前だろって正直思う所はある。前世で産まれてすぐ捨てられたことを考えると、この状態は俺にとって異常とも言える。
だがそれは、俺の都合でしかない。
俺は、ここまで尽くされて冷たい顔をするほど、まだ人間は捨てていないつもりだ。
それに、こういう人達でも、俺を看病する時は必死だった。泥臭かった。
それを見て、なんだか毒気が抜かれる気がしたのだ。
だから、一歩ずつでも良いから、俺はこの人達を”両親”だと思えるように生活していこう。
そう思うようになった。
俺は、前世で家族が居なかった分、こっちでできた家族のありがたみが、他の人よりも分かる気がするのだ。
俺がいくらまがい物でも生物学上では血が繋がっているのだから、大事にしなくては。
まあ上官には絶対服従だから何を言われようと敬語だけは辞めるつもりはないがな。
「いや、それにしてもお前はすばしっこいな。祠から神宝を抜き取っていなかったらどうなったかわからなかったぞ」
ダンの言葉に、俺は首を傾げる。
「いいや、実戦だったら負けていますよ。実戦だったら卑怯も何もありませんから」
「あっはっは!そうだな。お前は謙虚だ。…それで、アイク、お前、次のお前の月のエギジャにでてみる気はないか?」
「次の…?ああ、4ヶ月後ですか…」
この世界は週休1日。日曜日のみだ。時間軸も曜日も、それどころか言語に至っても元の世界と同じである。
さらにこの世界は誕生日を成人しか祝わない。その代わりにこの地域では、月に一度祝日があり、里の皆とエギジャというお祭りをするのだ。そこでその月に誕生日の者が盛大に祝われる。
俺の誕生日は4ヶ月後。四歳の誕生日だ。だからその月のエギジャを、その月の誕生日のやつと合わせて、”アイクのエギジャ”と言ったりする。
俺は領主の息子。当然その月のエギジャは派手になる。
「どうした?アイク。浮かない顔して」
ダンが俺を覗き込む。
正直、出たくない。
お祭りなんて前世では見たことすらない。
そもそも施設の誕生会と小学校でのお楽しみ会で一気に祝うやつ以外の祝福を受けたことがない。
あと卒業式ぐらいか。まあそんときは祝ってもらう人が居なかったからノーカンだね。はは。
はあ…。
まあ取り敢えず、わっちにはお祭りの嗜みかたなんてわからないんですよね。
「そ、その、お祭りなんて初めてなので…」
「?、あたりまえだろ?」
あ、そうでしたね。
俺はただのアイザック・ガータイス・ブラッドリー。転生者なんて設定はこの世界では無いよね。当たり前だよね。
じゃあ、俺がお祭り行くのが初めてで作法的なのをなにも知らなくても周りからなにも言われないのでは?
お、名案。
よし、この時のエギジャだけは転生者って設定捨てよう。
おk。いける。俺はいける。
「い、行きます!」
自分でもびっくりするぐらい大声が出た。
あかん。伝え方がわからない。これで大丈夫なのか?
「お、おう、そんなに祭りに行きたいのか…」
「は、はい!行かせてください!」
あかん。これじゃゆすってるみたいだ。勢いが強すぎる。あああこんな感じで告白も失敗したんだっけ。え、えと、どうしよう。流石にこれで認められるわけ無いよなあ。
「ふむ、いいだろう」
「はい…わかり…え?いいの?」
「お、お?いいぞ?」
あ、いいんだ。やった。
だがその言葉を発した後、急にダンの顔は険しくなる。
「だがアイクよ。お前は軟弱だ」
おお、急にどうした?
元傭兵の俺が、貧弱だと?
あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ。
良いじゃねえか。いい度胸じゃねえか。
この俺様に貧弱は禁句だぜ?
まあ仕方ないな。身長を伸ばすためにも筋トレは自重しているのだ。
それに一ヶ月前に死にかけたのだ。何も言うまい。
「貧弱、ですか」
「ああ。お前は貧弱だ。鍛えねばならん。エギジャに出る領主の息子が貧弱とあらば領民に示しがつかん」
へえ。そんなもんなんですか。やっぱり前世よりも
「だから明日から魔術の訓練を始める。いいな?」
おお!魔術!キタ!楽しみ!
「はい!」
勿論俺は満面の笑みで頷いた。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
「おうええええ」
「なんだ!それぐらいで音を上げるな!」
「おうえええええ」
あかん。これはあかん。
俺は里にある小高い丘の上でめちゃくちゃ吐いている。
因みに今は20セット目だ。
昨日、ダンに明日から魔術の訓練をすると言われたので快諾したのだが、
なぜ俺は走る。もとい坂ダッシュをさせられているのだろうか。
え?魔術だよね?サッカー部とか野球部じゃ無いよね?
なんで魔術でこんなに走らなきゃ――
「おろろろろろ」
ヤバい。思考どころじゃない。死ぬ!マジで死ぬ!
いくら俺が傭兵稼業だったからってさ、肉体違うわけじゃん。耐えられる訳無いじゃん。
「まずは基礎体力だ馬鹿者め!」
ダンは俺を叱責する。
前言撤回。コイツの何処が誠実やねん!ふざけんなよ!
ああもう、ダメだ。
魔術を好きになる要素が無くなった。流石にこれはキツイって。厳しいって。ネガキャン始まるって。
「ほら、あと一セットだ!それで休憩にしてやる!」
「は、はおうえええええ」
「吐いてないで!返事をしなさい!」
「おろろろろろ」
「行って来い!」
ドン。俺の背中を無理やり押して、ダンは俺を丘の麓に導く。
無理。普通に無理。意味わからんって。
俺さ、魔術ってよくわかんないんだけどさ、ヨボヨボのばーちゃんがさ、なんかこう、杖振るやつでしょ?ほんでりんご食わせて若い奴は軟弱やのうって笑っとるんでしょ?
なんの関係が?走りこみと魔術。
まだ剣術とか行進訓練とかならこのキツさは分かる。
でも魔術やぞ?いるか?これ?
「ほら!早く走ってこい!」
あーもう、マジ無理。しかもまだ三歳やぞ俺。
控えめに言って頭おかしいやろ。
くっそ。行くしかねえか。
「うおおおおお!」
走る。走る。
他のこととかどうでもいいから、走る。
そして、頂上に…つい…た!
「ようし!よく頑張ったな!よし!これから家までダッシュだ!」
俺は倒れた。
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