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彼女は私のスマホとサイフがきちんと海岸にあることに文句を言った。


「とっさの機転だよ」

私はそう主張した。


彼女が全身濡れたのは高い波にバランスを崩したから。私が全身濡れたのは助けに駆けた私の腕を彼女が掴んで海に引き込んだから。


私達はゴミの漂う只中で立ち上がると、ずぶ濡れになったお互いを見て笑った。彼女のおでこの辺りにはペットボトルのコーラの包装が張り付いていた。それを剥がして二人は水の掛け合いをひとしきりしてから無事に海岸にいる。


「ありがとう」

彼女はスマホとサイフの件にまだ怒ったふりをしながらお礼を言った。


私は荷物からバスタオルを取り出して彼女に渡した。


「どういたしまして」


それから私達は悩んでいた。写真の出来を見たかったけど、体はまだ湿っていた。仕方なくカメラには触れずに三脚を持ってレジャーシートの方に寄せるだけにした。


「着替えてく?風邪ひきそうだし臭いもね…」

「人来ないかなー」


私達はここがプライベートビーチかどうか悩んだ。彼女の分は下着の替えまで持ってきている。私は濡れる予定はなかったからこのまま帰らなければならないけど、せめて彼女だけでも着替えさせたかった。


でも彼女の裸を衆目に晒すことは決してできない。車の方に戻って着替えることも考えたけど道路から目線が通る狭い車内でドタバタするよりはここの方がいい気がした。


私がバスタオルを持ってめいいっぱい腕を伸ばして更衣室になれるか確認している時だった


「あんたらなにしてんや」


体が跳ねた。バスタオルをレジャーシートに放おってからゆっくり振り向くと、あの梯子の上のところにおじさんは立っていた。


「あんたらさっきゴミ捨ててへんかったか?」


おじさんの語気には冷たい怒りが潜んでいる。まだ何も答えてないのにおじさんは私達を詰めた。


「答ええや」


私は困っていた。果たして私達はゴミを捨てたのだろうか?


「はい、なんていうか…捨てました」


「やっぱりか!海にゴミ捨てたあかんやろ!」


おじさんのボルテージはあがってしまって私の言葉は届きそうになかった。だから私は少し時間を置いた。おじさんの口からは次から次に叱責が溢れる。


「わざわざ車出してゴミを持ってきたんか!なんでそんな無駄なことすんの!」


私はおじさんの激情に飲まれそうになりながら、チャンスを見出し発言した。

「それは違います」


おじさんは面を食らってトーンダウンしてくれた。


「ほなゴミはどないしたん?」


「拾ったんです」

彼女は火ばさみを手に取りカチカチならした。


おじさんは目をパチパチしながら私と彼女を交互に見た。


「拾った?拾ったゴミを捨てたん?」

「はい、そうです」


彼女は真面目に元気よく答えた。


「なんでそんなことするんや?」


おじさんの問いかけに困って私は彼女の方に目をやった。何故だか彼女も答えを求めて私を見た。二人は目があって、全員が目を丸くしているから笑いそうになってしまう。


「ゴミはどうなったん?」


私が吹き出す前に質問をくれたおじさんに感謝した。


「ここ波でゴミが集まる場所なのでもう砂浜に流れてきてるはずです」


彼女がゴミを集めている時に眺めていたから間違いない。ここは流れが入ってくるけど出ていく場所ではない。だからこの有り様なのだ。


おじさんは摩訶不思議に頭を抱えた。

「君たちはここで拾ったゴミを海に放おって、そのゴミは全部もう海岸にあるの?」

「そうです」


彼女が食らいつくように返事をした。


「君等、ゴミ捨てたか聞いても素直にはい言うし、そもそもここまで車出してゴミ持ってきてええことないよな」


おじさんは頭の中をそのまま言葉に出してから、私達を信じるためにいくつか質問をしたり自分の考えを伝えてきたりした。内容はおぼろげだが思い出す限りおじさんはいい人だった。ゴミを捨てた若者を叱る勇気があって、冷静に私達の話を聞いて見定めてくれる。


変わらずはしごの上にどっしり立つおじさんは私達の唯一の退路を塞いでいたし、社会的な生殺与奪はおじさんが握っていた。神の審判を受ける気分を味わいながらもこの時にはもう大変なことにはならないだろうと安心していた。


なぜ私がそんな素晴らしい人格者であるおじさんのとの思い出がおぼろげかといえば彼女が私にだけ聞こえる声で「猫ミーム」とささやいたせいだ。


それから私にはおじさんの言葉がヤギのヴェロレロ、私の言葉がニャ~ン…に自動変換されてしまって内容は入ってこなかった。


私はささやきが聞こえてすぐ横に立つ彼女の顔を見た。彼女はあの驚いて瞳孔と口が開いた猫みたいな顔をしていた。リアル猫ミームに気づいてしまい思わず漏れたみたいで、いたって真面目に衝撃を受けた顔をしていた。私は余計におもしろくてもうダメだった。おじさんだけ見て笑わないように無心で対応するしかなかった。


そんな私の子猫のように無抵抗で無垢な態度が良かったのかもしれない。おじさんは最後こう言った。


「君等が不法投棄してないなら私は何をせえっちゅうねんな。もう何もせんと帰るけど君等もあんまり変なことせんとはよ帰りや」


そう言うとおじさんは背を向けて一段高い道路の奥へと消えて見えなくなった。少し離れた場所でエンジンの音が聞こえた。本当におじさんは帰っていった。


私は念のためはしごを登り道路の高さに顔を出した。私達の車以外はそこにはない。私は胸を撫でてから下を見る。


彼女は両手でGOODサインを作って私に向けていた。


おじさんはいい人だった。

彼女はいい人をヤギに変える悪い魔法を使った。


「ダメだよ」

私がおじさんより少し低くて、彼女より高いはしごの上から強く言う。


「だってヤギだし、猫だった!」

彼女は手をヴェロレロみたいに動かしながら抗議する。


「おじさん次第でたいへんだったかもしれないから」

私ははしごを降りて彼女の近くまで向かう。


「じゃあ言わない方が良かった?」

彼女は反省の色を濃く顔に出しながらも食い下がった。


頭の中であの瞬間を思い出す。あのタイミング、そして彼女のあの表情を。


「悔しいけど」

続きは躊躇したが言った。

「めちゃくちゃおもしろかった」

「でしょ?」


「すっごいヤギだった。リアルヤギ。ファンも大満足の実写化。」


私がそう言うと彼女から反省の表情が消えてケタケタ笑った。


彼女はときどき悪い魔法を私にかける。私は一度は彼女を咎めるけど結局いつも一緒になって笑ってしまう。

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