鉄道と伯爵令嬢

 穏やかな日々に影がさしたのは、ある日の午後のことでした。


 村に鉄道が通るというので、村人たちは数日前からソワソワしていました。鉄道を敷くために、お偉い役人さんが、伯爵邸を訪れることになったのです。線路を敷くには、土地を持っている伯爵家の許可が必要でした。


 お客様が来るので、民子は気合いを入れて屋敷を掃除しました。けれど雪乃は憂鬱そうで、いつもより顔色が悪く、目つきも鋭くなっていました。


「お客様が嫌いですか?」


 そう民子が尋ねると


「いいえ」


 と低い声で言ったっきり、部屋にこもってしまったのです。民子は、きっと雪乃さまはお客様をどうもてなせばいいかわからなくて、戸惑っておいでなのだ、と思いました。


 黒い背広をきたお役人が、二人組で訪ねてきました。


「あらあら、いらっしゃい」


 先ほどまであんなに嫌がっていたとは思えない態度で、雪乃は二人をもてなします。


「民子、お酒をありったけ運ぶのよ」


 そう言って、酒を持ってこさせると、自らお酌をしてまわりました。絶世の美女の酌に、お役人は良い気分になって、夜も更け、外が吹雪になるまで宴は続きました。お役人はこのまま泊まるのだろう、と民子が寝床を用意しようと客用の布団を探していると、


「何しているの」


 と冷たい声がしました。驚いて振り返ると、雪乃が見たこともないほど険しい顔でこちらを見ています。


 こんな寒い中を外に出ていたのでしょうか。髪には雪がついています。


「あの、お客様のお布団を用意しようと……」

「お客様はもうお帰りになったわ。お前は早く寝なさい」

「この吹雪の中をですか」

「ええ」


 酔ったお客様を吹雪の中に放り出したとなれば、村人に何を言われるかわかったものではありません。雪乃のただならぬ様子は気になりましたが、それよりもお役人の二人組が心配です。民子は蓑を着て外に出ました。


「お役人さん、戻ってください。この吹雪の中では危険です」


 民子は声を張り上げましたが、風に遮られてしまいます。それどころか、どんなに歩いても歩いた気がしないのです。もう村についても良いほど歩いたのに、後ろを振り返れば、お屋敷の明かりが見えます。


「お役人さーん」


 もう一度声を張り上げましたが、返事はありません。民子は仕方なく、お屋敷に戻ることにしました。


 次の日、二人のお役人は、村の道端で冷たくなっていました。


「なんちゅうことだ、あの吹雪の中、外に出るなんて……」

「そういや、あの夜、幽霊がでたってさ」

「いやいや、酔っ払いを吹雪のなか追ん出したら、こうなるに決まってるべ」


 村人たちが噂しました。噂が広がるうちに、もともと余所者の雪乃は、冷酷な殺人鬼に違いないと決めつけられてしまいました。


「たしかにおかしなところはあるけれど、お嬢様は良い人よ。そんな残酷な人じゃない」


 民子がそう説明しても、村人たちは聞く耳を持ちません。


「思えば最初からおかしかった。あの女はここに来て何年も経つのに、ちっとも姿が変わらない。病気ときいていたが、なんの病気かさっぱりわからない。薄気味悪い女だ」


 まるで雪乃が化け物か何かのような扱いでした。民子は反論しようと口を開きましたが、村人の言うことも、間違ってはいないのです。村人の不満は日に日にたまっていきました。こんなに閉鎖的な村なのに、鉄道という、村が栄える機会を奪われることは惜しいのです。


 ある日のこと、鉄道会社から金をもらった村人が、屋敷に押しかけてきました。


「あんたがお役人を殺したことはわかっているんだ。この村の発展を邪魔するなら、出てってくれ」


 鼻息も荒く、村人が詰め寄りました。雪乃は無表情でそれを見ています。


「殺した? どうやって?」


 雪乃の声は冷たく、鋭く、刃を突きつけられたような迫力がありました。


「吹雪の中に追い出して……」

「お客様は自らお帰りになったのよ。追い出してなどいないわ」


 雪乃の言葉に村人たちがざわめきました。その視線が一斉に民子に向けられます。


「それは本当か、民子」


 民子は一瞬、喉に物が張り付いたように感じました。雪乃が無表情のまま、彼女に視線を向けているのを感じます。


「は、はい。お客様は、ご自分で」


 民子の声は震えていました。こちらを見ている雪乃の目が恐ろしくて、民子は寒い屋敷の中で汗をかきました。


「お客様が不幸にもお亡くなりになったのは、吹雪のせいよ。酔って冬の村を出歩いたら、死ぬこともあろう。老人が雪山で死ぬのと同じこと」


 静かな声で、雪乃が告げました。民子は自分の運命を変えた吹雪の一夜を、はっきりと思い出しました。あの時の女は、雪乃のように美しく、そして恐ろしい女でした。


 ふと視線を上げると、雪乃がこちらを見ていることに気がつきました。夜空に輝く星のような瞳は、ずっと民子のことを見つめていたのです。雪乃はにこりと微笑みましたが、その笑みには冷たい影が潜んでいました。民子は背筋を汗が伝うのを感じました。


「なんて寒い屋敷だ」


 村人たちはぶつぶつと文句を言いながら、その日は帰っていきました。


「雪乃さま」

「なぁに?」


 村人が去ってから、吹雪の夜のことを聞こうと、民子は話しかけました。


「私も、吹雪に閉じ込められたことがあるのです」

「……その話をして、どうする?」

「いいえ、忘れてください」

「それでいいわ」


 雪乃の冷たい声が、民子の心に重く響きました。彼女の表情は無表情のままでしたが、その瞳にはいつもとは違う、恐ろしい力が宿っていました。


 村人たちが去り、屋敷は一層の静寂に包まれました。風が窓を叩き、古びた廊下を冷たい空気が通り抜けます。民子は一人、自分の部屋に戻る途中で、庭をぼんやりと眺めました。雪乃の言葉が頭から離れません。


「雪乃さま、あの夜のこと……」


 心の中で繰り返し問いかける民子。しかし、彼女には答えが出せませんでした。ふと、廊下の奥から何かの気配を感じました。薄暗い光の中で、影が動いたように見えます。民子は背筋に冷たいものを感じ、足がすくみました。


「誰かいるの?」


 民子は声を震わせながらも話しかけましたが、返事はありません。静寂が再び戻り、民子は自分の部屋に急いで戻りました。部屋に入ると、すぐに戸を閉めました。心臓の鼓動が早くなり、息が詰まりそうになります。


「私は何か、忘れている……」


 民子は呟きました。あの夜の吹雪、そして雪乃の冷たい瞳。繋がっている気がしてなりません。


 その夜、民子は不安に包まれながらも、疲れから眠りに落ちました。夢の中で、彼女は再びあの吹雪の夜に戻っていました。白い雪が激しく舞い、冷たい風が彼女の頬を切り裂くように吹きつけます。


「民子……」


 振り返ると、そこには雪乃が立っていました。白い装束に身を包み、冷たい瞳で民子を見つめています。雪乃の周りには霧が立ち込め、彼女の姿が揺らめいて見えます。


「雪乃さま、あなたは……」


 民子が問いかけると、雪乃は微笑みましたが、その笑みはどこか不気味で、冷たさが感じられました。次の瞬間、雪乃は消え、民子は一人吹雪の中に取り残されました。


 目が覚めると、民子は冷や汗をかきながら布団に横たわっていました。夢の中の出来事が、現実のように鮮明に残っています。彼女は震えながら、雪乃の正体について、あることを確信していました。

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