第44話 哀しい女の子:①

 ジェームスは静かに『念話』で、ロザリーとジェームスの実母であったクラリスのことを話し始めた。


 クラリスは財務大臣オリバ・ヘンニョマー侯爵の娘でドナルド・コーバン侯爵は第二夫人としてクラリスを迎えた。もともと身体が弱かったクラリスとは子どもができなかったが、さまざまな薬草や身体にいいとされる食材を用意して療養させていた。


 やがてロザリーを身籠みごもることができた。ドナルドとクラリスは喜び、第一夫人が産んだアーノルドとリチャードも下の子が産まれてくるのを心待ちにしていた。


 月が満ちて産まれてきたのは女の子だった。その女の子はロザリーと名付けられた。


 産後の肥立ちが良くなかったのか、クラリスは床について回復するきざしが無かった。


 ドナルドは高位貴族の権力と財力をフルに活用して、高位の治癒師や薬師にクラリスの回復を依頼したが、いっこうに効果は出なかった。


 悩み果て疲れ果てたドナルドに、ある日帝王から呼び出しがあった。


 謁見の間ではなく簡素な部屋にまねかれたドナルドの前にあらわれた帝王は小さな箱に入った小瓶を差し出した。


 それは【ドラゴンの血】だった。


 クラリスの為に治癒師や薬師をかき集め回復を依頼しているという情報をつかんだ帝王は考えた。


『これはアレを利用できるかもしれない』


 帝王の権限は絶大なるものがあるが、安穏あんのんとして惰眠だみんをむさぼっているわけにはいかない。周辺国の動向を探らせ、帝国内の不満分子が謀反むほんを起こさないようにその芽を潰さなくてはいけないし、高位の貴族たちもあの手この手で服従させなくては、安心して寝ることもできない。


 帝王が座る玉座には、見えない剣が頭上に吊るされているようなものなのだ。その剣はか細いクモの糸で吊るされているので、いつ切れるのか、いつ誰が切り離すのか…帝王はその不安をかかえながら毎日平静をたもっていなければならないという宿命を背負っている。


 帝王の実弟である軍務大臣サマダン・オチョーキン公爵は表向きは従順だが、密かに帝王の座を狙っているかもしれない、その娘を第一夫人に迎えて二人の息子を得ているドナルド・コーバン侯爵も心のうちはわからない。軍務大臣と副大臣がそろって謀反を起こせば帝王の首を飛ばすのはたやすいだろう。


 帝王支持派のヘンニョマー侯爵の娘であるクラリスがこのまま亡くなってしまえば、その確率が上がらないともいえない。


 帝王はコーバン侯爵に返せないほどの借りを作れば、謀反の確率を下げることができるかもしれないと思いついた。そのために【ドラゴンの血】を与えることにしたのだ。


 本来ならドラゴンの血や内臓と高純度の薬草を使った【エリクサー】があれば良かったのだが、材料が揃っていないし、まれにダンジョンの最下層で見つかるかどうかというほどのレアなものなので、与えることはできないが【ドラゴンの血】は【エリクサー】の素材として保存されていたのだ。


 ただし【ドラゴンの血】は劇薬なので、小瓶には数滴しか入っていない。それでも効果はあるだろうが、あまり体力がない者に与えると生命を落とすかもしれない。


 そもそも魔物の血や内臓は人には害毒になるものだ、それは【魔素・魔力】のせいだと言われている。人の身体に過剰な【魔素・魔力】が入ると、それを体内におさめることができなくなり、魔力暴走で死ぬのだ。


 だから魔物の肉を食べるときも血抜きをしっかりして、煮たり焼いたりして【魔素・魔力】を抜く必要がある。


 魔物の頂点に位置する【ドラゴンの血】にどれだけの【魔素・魔力】が含まれていることか…、しかしそれは抜群の回復力をもたらす可能性がある。


 帝王から【ドラゴンの血】を授かったドナルドは屋敷に帰ると小瓶を見ながら考え込んだ。


 なぜ帝王はこのような貴重なものを与えたのか…。


 帝王も人の子・人の親だから憐れに思ってとは思わなかった。何かしら計算があるはず…、それは帝王に対する絶対服従か…。合わせて父親のヘンニョマー侯爵に対するアピールもあるのだろう。


 帝王を支持しておけば、悪いようにはしないと…。


 悪いようにはしないが、いいように使われるんだろうな…とドナルドはシニカルな笑いを顔に浮かべた。


 いずれにせよ、ドナルドに【ドラゴンの血】を使わないという選択肢は無い。


 大きく息を吸って立ち上がると、小瓶を慎重に抱えてクラリスの部屋に行った。


 ドナルドは部屋にいたメイドを外に出し、しばらく二人だけにしておいてくれと言うと、クラリスに【ドラゴンの血】が入った小瓶を見せながら、帝王から授かったことやその効果と危険性について話した。クラリスはそれを黙って聴いていたが、この苦しい状況から解放されるなら【ドラゴンの血】を飲むと言った。魔物の血を身体に入れると生命を失うかもしれないのはわかったうえで…、クラリスもいつ終わるかしれない寝たきりの生活に疲れていたのだ。


 ドナルドはクラリスの手を強く握ると、小瓶を口に含ませた。


 クラリスは目を大きく見開くと、激しく痙攣けいれんし始めた。ドナルドが必死で身体を押さえ続けていると、汗びっしょりになったクラリスはやがて静かになった。


 息を荒くしたドナルドはクラリスにきいた。


 「大丈夫か?」


 クラリスは大きくうなずくと言った。


「身体が弾けそうになったわ、とても耐えられないほどにね。でもアナタとロザリーのことを頭に浮かべて必死になって耐えたの。身体はまだ熱いけれど、少し軽くなったみたい」


 それを聴いて同じく汗びっしょりになったドナルドは大きく息を吐いた。


 しばらくクラリスの様子を見ていたが、落ち着いているようなので、メイドを部屋に入れて着替えをさせるように指示した。


 数日後容態が落ち着いたままのクラリスをた治癒師は驚いた。クラリスの身体にはなんの異常もなく、むしろ超健康体で若返ってもいるようだった。


 それを聴いたドナルドは喜んだが、いつまでも内密にはしていられないなと思い、帝王に謁見を申し込んだ。


 帝王に謁見したドナルドは深く膝をついて帝王にこうべれ、帝王から授かった【ドラゴンの血】でクラリスが快癒かいゆしたことを報告し、その慈悲に感謝の意をのべた。


「そうか。【ドラゴンの血】はいたか。それはなによりだな。コーバン侯爵の」帝王はそう言うと謁見の場を去った。


 帝王はニヤリと笑いながら思った。


『【ドラゴンの血】にも充分な治癒効果があったか、コレは他でも使えるな。コーバン侯爵も実弟のサリダン・オチョーキン公爵をおさえる重しとして使えるし、得るものは大きかったな』


 ドナルドも謁見の場を去りながら思った。


『これからの働きか…、やはり帝王はオチョーキン公爵を恐れているのか。私は返せない借りを作ってしまったな……』


 それからしばらくしてクラリスは男の子を産んだ。それがジェームスだ。


 もう夜も遅くなったが、ジェームスの話しはまだこれからのようだ。オレは実のお祖母様の話でお腹いっぱいなんだけどなぁ……。


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る