第653話 あるプロ野球選手の妻の話⑥
Rは俯いたまま、しばらく黙っていた。
そして意を決したように、顔を上げた。
「俺には好きな人がいる」
「そう…。それは誰?、私の知っている人?」
「うん、まあ、君の知っている人…、と言えばそうかもしれない」
「そう…」
Rは視線を外した。
私はこの時、心臓が強く波打つのを感じていた。
Rの言い方から察すると、Rの好きな人は私じゃなさそうだ。
私は私なりに勇気を出して、Rを誘ったが、よく考えると、Rの気持ちを確かめたことはなかった。
「それが誰かは…、今は…、言いたくない」
「そう…」
私は落胆した。
キャプテンを始め、何人かの部員から告白されたので調子に乗っていたのかもしれない。
そりゃそうよね。
他にもマネージャーはいるし、クラスにも可愛い子はいるだろう。
良く考えると、ほとんど話したことがない私を好きになるわけなかった。
私は自分が恥ずかしくなった。
自意識過剰だった…。
「…」
「…」
お互いに沈黙していた。
Rは黙っていたし、私も何を話せば良いかわからず、言葉がでてこなかった。
「帰ろうか…」
Rがポツリと言った。
私は小さく頷いた。
すると思いがけなく、涙が頰を伝った。
自分でもその涙の意味が何か良く分からなかった。
Rはそれを見て、驚いたような顔をしていたが何も言わなかった。
店を出ると、辺りはすでに暗くなっていた。
私達は並んで駅まで歩き出した。
「明日から、また練習再開ね。頑張ってね…」
私はやっとのことでそう言った。
「うん、レギュラー取れるように頑張るよ」
「うん、応援してるね…」
そして駅についた。
私は改札を通ろうとしたが、Rはそのまま改札前に立っていた。
「乗らないの?」
「うん、ここから寮まで走って帰る」
「そう、それじゃあ、また明日ね…」
そう言って私はRを後ろに残して改札を通った。
Rの住む寮はここから二駅だから、走って帰るにはそれほど遠くはない。
「みずしまー」
改札を背にして電車のホームに向かって、3歩ほど歩いた時、後ろから大きな声が聞こえた。
私は驚いて振り向いた。
周りの人も何事かと、声の方を見ている。
「俺、絶対レギュラー取る。
そして、レギュラー取ったら、俺と付き合ってくれ」
え?、呆然としている私を残して、Rは走り去っていった。
周りの人の視線が私に集中している。
バカ…。返事も聞かずに…。
その場に一人残された私はとても恥ずかしく思い、足早に電車のホームに向かった。
そしてちょうど来た電車に飛び乗った。
車窓から流れる景色を見ていると、目の前が曇ってきた。
また涙が頰を伝っていた。
なんでアイツはあんなにバカなんだろう。
そして私は、何であんなバカを…。
……………………………………………………………
早いものであれから10年以上経った。
幼い翔斗を見ていると、きっとRの子供時代もこんな感じだったんだろうな、と思う。
ヤンチャで女の子が好きで、でも照れ屋で…、好きな子には冷たくして…。
大きくなったらRみたいになるのかな。
ちょっと抜けていて、本能で生きているような感じで、かなりおバカで…。
でも純粋で、何事にも(勉強以外)一生懸命で…、母親思いで、妹思いで…、そして家族思いで…。
翌日、Rは遠征から帰ってきた。
そして返ってくるなり、下手な言い訳を始めた。
試合終了後に美人アナウンサーと話していたのは事実だけど、口説いていたわけじゃなくて、ただ話していただけであり、後ろめたいことは無いとかなんとか…。
もちろん私は善意の第三者さんからの続報メールより、彼女が山崎君の結婚相手だったということは聞いている。
そんな肝心な事を言わずに、必死に言い訳しようとしているRを見ていると、ちょっと面白い。
昔流行った歌で、プレゼントという歌がある。
私が産まれる前の曲だが、以前ラジオで聴いて、気に入った。
『あなたが私にくれたもの…』と繰り返す歌だ。
その歌に当てはめようと、私は考えてみた。
いっぱいありすぎて、歌いきれないわ…。
そして私は少しでもお返し出来ているかしら…。
そんな事を思った。
……………………………………………………………
(作者より)
いやー、この話、長くなっちゃいましたね。
1話だけのつもりがだったんですけど…。
こういう話は苦手なんですけどね。
まあたまには話にアクセントをつけるということで、お許しください。
次回は本筋に戻したいと思います。
まだ1行分のアイデアもないですけどね…。
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