第651話 あるプロ野球選手の妻の話④

 季節は巡り、冬になった。

 群青大学付属高校は秋の近畿大会でベスト4まで勝ち進み、翌春のセンバツ甲子園の有力候補となっていた。


 そして、私とRの関係は何も進展しなかった。

 トスバッティングの時とかに、少し話すことはあったが、Rは用事が無い限り私に話しかけてこなかったし、私も真剣なRの表情を見ていると、簡単に話しかけることはできなかった。

 むしろRは私にだけ、冷たかった。

 少なくとも私はそのように感じていた。

 他のマネージャーとは時には雑談し、時には冗談を言って笑わせていた。

 しかし私に対しては、いつも事務的な口調だった。

 「水嶋さん、トス上げお願いできる?」というような。


 私はなぜRが自分にだけ冷たいのか、よく分からなかった。

 嫌われるようなことをした心当たりはなかったが、無意識のうちに傷つけるようなことをしたのかもしれない。

 私はその理由を聞く機会をうかがっていた。


 そしてその機会は意外と早くやってきた。

 その日は学校で練習試合があり、Rは途中出場ながら2つエラーした。

 いずれも普通の選手なら追いつけないような打球に追いついて、打球を弾いたものだったが、エラーはエラーであり、その頃の部のルールではエラー1つにつき校舎の周りを10週することになっていた。 つまりRは20周することになった。


 その日はミーティングが終わった時にはすでに18時を過ぎており、翌日も朝から練習試合があるため、R以外の部員は三々五々帰宅した。

 よって誰も見ていないので、サボろうと思えばサボれたし、走ったとしても周回数をごまかすことができた。


 だがRは20周を律儀に走った。(正確には一周多い、21周走っていた)

 私はRが走るのを教室の窓から、試験勉強をしながらそれを見ていた。

 そしてRがノルマを達成した時、時間は20時を過ぎていた。


 Rは走り終えると、ジャージに着替え、部室から出てきた。

 そして私は後ろから声をかけた。


「りゅーすけくん」

「うわーっ」

 声をかけると、Rはビクッとして、振り向いた。

 まるで後ろめいたことがある人が、街中で警官から声をかけられたような反応だった。

 チームに高橋姓が何人かおり、同級生のため、私はいつも名前で呼んでいる。

 

「み、水嶋さん、ど、どうしたの」

 明らかにRは動揺していた。

「学校で試験勉強していたら、遅くなっちゃったの」

「し、試験なんてあったっけ?」

「来週、期末テストがあるでしょ」

「あー、でもまだまだ先じゃない?」

 来週というのはまだまだ、では無いと思うが…。


 私は空を見上げた。

 11月も下旬なので秋というよりも冬に近く、辺りは真っ暗となっている。

「あーあ、ここから駅まで15分はかかるな…。

りゅーすけ君は良いわね。寮だから近いし…」

「暗いの苦手なのかい?」

「うん、最近は何かと物騒でしょ。

 変質者もでるかもしれないし…」


 Rは辺りを見回した。

「あの、もし良かったら、駅まで送っていこうか?」

 その言葉を待っていた。

「本当?、そうしてくれると嬉しいな。

 でも大丈夫なの?、門限とかあるんじゃないの?」

「大丈夫だよ。バレない方法があるから」

「じゃあ、お願いします」 

 翌日、Rは門限破りの罰として、校舎周りを10周走っていたのを、私は知っている。


「最近、日が短いわね。秋の日はつるべ落としって言うし…」

「鶴瓶…落とし?、そ、そうだね。

 秋は日が短いからね」

 きっとRは意味もわからず、適当に答えたのだろう。今でもそういうところがある。


「テスト勉強はしている?」

「え、あ、まあ。でも授業はちゃんと聞いているから多分大丈夫だよ」

 Rと同じクラスの人からは、Rは授業中、いつも寝ているとい聞いている。睡眠学習か? 

 そこで会話が途切れてしまった。

 私も何を話したら良いか、考えていた。


 「水嶋…さんは、趣味とかあるの?」

「そうね、映画見に行くのが好きかな」

「映画か…。しばらく行っていないな…」

「りゅーすけ君は映画はあまり見ないの?」

「うん、中学校の時、妹を連れて行ったのが最後かな。女の子が変身して、戦うやつ…」


「妹さんがいるの?」

「うん、一人いる。俺と違って、 わがままで、粗野で粗雑で粗暴な性格だけどね…」

「へぇー、どんな子なのかな。

 りゅーすけ君に似ているの?」

「うーん、顔は似ていると言えば似ているかな…。性格は正反対だけど…。

 外では猫を被っているけど、家では借りてきたハムスターのように騒がしいんだ…」


「へぇー、ユニークな妹さんね。

 いつか会ってみたいわ。

 そう言えば来週、テスト終わったら1日休みがあるわね。何か予定あるの?」

 野球部は土日も含めて、基本的に毎日練習があるが、時々監督が休みを作っている。

 その日は練習せずに休めとキツく言われている。

 リフレッシュして、体力を回復させるのも、練習のうちという考えらしい。


「そうだね。でも特にすることもないから、平井あたりと街をブラブラしようかな」

 平井君と歩くと、少なくとも他校の生徒に絡まれることは無いだろう。

「水嶋さんは?」

「そうね、観たい映画があるから、観に行こうかな?」

「そんなんだ…」

 そこで少しRは黙った…。

 そして思い詰めたようにこう言った。


「やっばりキャプテンと行くの?」

「キャプテン?、何で?」

「だって、ほら、その、水嶋さんはキャプテンと付き合っているって…」

 私は驚いた。


「え?、何それ、初耳なんだけど…。」

「だって部員の間では噂になっているよ。

 キャプテンから告白されたって…」

 それは事実である。

 そういうことか…。私は少し考えていた。

 

 

 

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