第650話 あるプロ野球選手の妻の話③
大阪地区は全国的にもレベルが高く、いくら強豪校とはいえ、勝ち抜くのは難しい。
だが、その時の群青大学付属高校には同学年、つまり一年生に、数十年に一人の逸材と呼ばれる選手がいた。 しかも2人も。
一人はY君という投手で、中学生時代から全国大会を経験するなど、地域では超有名選手だった。
中学生ながら140km/hを越えるストレートに、高速スライダー、そして鋭く曲がるシュートまで身に着けていた。
誰ともつるまず、天上天下唯我独尊というタイプであったが、その実力は誰もが認めており、普段厳しい先輩たちも彼に対しては何も言わなかった。
そしてもう一人がH君という野手だった。
彼は高校入学時にはすでに180cmを越えており、筋肉質でゴリラを思わせるような体型をしていた。
そのパワーも桁違いであり、軽く振っただけでも打球は防球ネットを軽々と超えていた。
群青大学付属高校の野球部グラウンドの周りには元から、高い金網が張り巡らされていたが、彼が入学してすぐに更に増築工事がなされた。
この二人がいれば、私は在学中に甲子園に行けるんじゃないかしら。
そう思うと、日々の仕事にも身が入った。
そして群青大学付属高校は、私の期待した通り、群雄割拠の大阪府地区予選を勝ち抜き、甲子園出場を決めた。
当時は3年生に竹本さん、2年生に前島さんというプロ注目の投手がおり、そこにY君さんが加わることで、超強力投手陣を形成していたし、打線もH君が7番を打つくらい充実していた。
1年目にして早くも自分の通う高校が甲子園に出る、という夢がかなったのだ。
甲子園ではベンチに入ることのできるマネージャーは1人だけであり、後はスタンドで応援する。
私ももちろんスタンドで応援したが、幼いころからの念願が叶った喜びと、その迫力に感動して、自然と涙がでてきてしまった。
ふと見ると、ベンチ入りしていない部員が応援している中に、Rがいた。
Rは野球部の中では背は高い方ではなく、体格の良い部員に囲まれると目立たないのだが、私は彼の一挙一動から目が離せなかった。
もちろんみんな一生懸命応援しているのだが、Rの応援はきびきびとして特に一生懸命に見えた。
その時も中学の時に初めて見た時と同じようなときめきを感じたのを、今でも覚えている。
今の自宅でのだらしない姿、脱いだ服をそのままにしているとか、出したものを片付けないとか、何をするにもがさつだとか、正直イライラすることも多くある。
だが、そんな時はこの時の事を思い出して、心を落ち着かせるようにしている。
一年生時の甲子園は準々決勝で敗れ、3年生が引退した。
マネージャーも4人が引退し、その時点では2年生が3人と1年生が5人となっていた。
そして私もようやく本格的に練習の手伝いができるようになった。
ボール拭きとかユニフォームの洗濯等の雑用は変わらないものの、トスバッティングのトス上げとか、フリーバッティング時の球拾いとか。
本格的にマネージャー業務をやるようになって、この仕事は体力勝負だということを痛感した。
朝練習から始まり、昼休みの自主練、そして放課後の練習まで、部員と同じ時間を過ごすことになり、やることも多い。
その時になって、あのランニングの意味がわかったような気がした。
秋になってある日、私は2年生キャプテンの藤田さんに体育館の裏に呼び出された。
藤田さんはキャプテンを務めるだけあって、部内でも人望が厚く、マネージャーの中でも人気があった。
なぜ、私だけ呼ばれたのだろう。
私、何かやらかしたかしら…。
でも怒られるなら、先輩マネージャーから怒られるだろう。
キャプテンから直接怒られることなんてあるかしら…。
そんなことを思いながら、藤田さんについていった。
「結衣、単刀直入に言う。俺はお前が好きだ」
体育館の裏につくなり、いきなりこんなことを言われた。
私はとても驚いたが、練習についていくのが精一杯なので、今はちょっと考えられないと言って断った。
その後もエースの前島さん、Y君、H君など、何人かの部員からの告白を受けたが、同じように断った。
その理由はもちろん、あのR(別名、「鈍感男」ともいう)が気になっていたからに他ならない。
件の鈍感男は一般入部から這い上がり、新チームになった時にはセカンドの控えとして、ベンチ入りを果たしていた。
彼は大体、一番最初にグラウンドにいて、そして一番最後まで練習していた。
あまりにもグラウンドに来るのが早いので、ちゃんと勉強しているのかしら、と思っていたら、案の定成績は悪かったようで、いつも補習と追試を受けていた。
グラウンドに一番乗りじゃない日は、大体補習か追試だった。
私は時々思う。もしRに野球という特技が無かったら、どんな職についていただろうか。
まあ知恵も働かないので、悪いことはできなかったと思うけど。
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