第649話 あるプロ野球選手の妻の話②
群青大学付属高校を受けると宣言した時、両親からは強く反対された。
というのも私の中学校での成績なら、いわゆる進学校も合格圏だったのだ。
でも私はどうしても群青大学付属高校の野球部のマネージャーになりたかった。
その高校に行けば、あの選手に会える。
その一心で両親を粘り強く説得し、許可を得たのだ。
(今思うと、もしその選手が入学していなかったら、どうなっていたのだろう)
群青大学付属高校に入学し、私はすぐにマネージャー募集の説明会に行った。
そして驚いた。
何と五十人くらいいたのだ…。
聞くところによると、毎年それくらいの人数が来るらしく、体験入部して、実際に入部するのはその三分の一であり、2年生の時に残るのは更にその三分の一もいないとのことである。
そして更に驚いたのは、その説明会に来ていたのは2,3年生あわせても7人しかいなかったのだ。
つまりそれ以外の人はそれまでに脱落したということである。
そして体験入部ということになり、その初日いきなり校舎周りのランニングをさせられた。
野球部のマネージャーには体力が必要だという理由だった。
ゆっくり走っていると、先輩マネージャーからスピードを上げるように怒られるので、それなりのスピードでひたすら走った。
初日だけで何キロ走っただろう。軽く10キロは走ったと思う。初日だけで数人が脱落した。
そしてその翌日も同じように走らされた。さらにその翌日も。
晴れの日はもちろんのこと、雨の日も合羽を着て走った。
それが2週間続くと、一年生の間で疑問の声が上がってきた。
「見てよこれ、足が太くなってきちゃったわ」
「私たち、陸上部に入ったわけじゃないのにね。こんなに走ってばかりで意味があるのかしら…」
私はそんな会話を苦笑しながら聞いていた。
確かにね。
日々、校舎周りを走るだけ。
いつまでこんな日が続くのかもわからなかった。
私も不安を感じなくはなかったが、もともと走るのは嫌いではなかったこともあり、言われた通り無心に走り続けた。
それが一か月続くと、一年生のマネージャー希望者は9人まで減っていた。
もっとも辞めた子の中には、長距離走の才能に目覚めて、陸上部に転籍した子もいたが…。
「一年、集まれ」
今日も走りに行こうと更衣室を出たある日、先輩部員に呼び止められた。
「とりあえず、今日まで残った貴方たち、9人…、あら8人しかいないわね。
まあとにかく貴方たちの仮入部を認めます」
仮入部?、ということは今までが体験入部だったということか…。
いつになったら本入部させてもらえるのだろうか…。
ちなみに一人は昨日限りで来なくなった。あと一日我慢していれば…と思ったが、まあ仕方がない。
だが仮入部してからが本当に大変だった。
来る日も来る日もボール磨き、そしてユニフォーム、アンダーシャツの洗濯。
そして前よりは距離が減ったとはいえ、ランニングも継続した。
2年生の中でも、特に優しい先輩に聞いたところ、野球部の練習の手伝いをできるようになるのは、3年生が引退してからとのことだ。
残った8人は結束が強かったが、それでも一人辞め、二人辞め、7月になった時には5人まで減っていた。
入学して3か月で9割が辞めたことになる。
7月になると夏の甲子園の地区予選が始まる。
私たちマネージャーは基本的にベンチ外の部員と一緒にスタンドでの応援である。
私がそれがとても楽しみだった。
というのも入学以来、ランニングと雑作業に追われ、部員と接することはほとんどなく、私が群青大学付属高校への進学のきっかけとなった、例の部員(以下、「R」という)とも会うことがなかったのだ。
授業も私は進学コースで、Rはスポーツ専攻コースだったので、一緒になることはなかった。
だから遠くからとはいえ、Rと会えることが嬉しかった。
群青大学付属高校は強豪校のため、3回戦からの登場だった。
先輩たちとスタンドに座ると、前の方でベンチ入りできなかった野球部員が声を張り上げていた。
そしてその中にRがいた。
私は久しぶりにRの姿を見て、胸の高鳴りを感じた。
中学生の時に見たRはあどけなさを残していたが、久しぶりに見る彼は真っ黒に日焼けして、精悍な顔つきになっていた。
先輩に聞いたところでは、Rは野球特待生とはいえ、入学時は一般入部と同じような扱いであったが、成長が著しく、秋にはベンチ入りするかもしれない、とのことだった。
それを聞いて、私もさらにマネージャー業に邁進しようと思ったものだ。
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