第647話 山崎との思い出③
「山崎さんは付き合ってくれとは、最後まで言いませんでした。
彼が高校球界で有名になり、甲子園で優勝し、ドラフト1位で京阪ジャガーズに入団して活躍しても、私たちの関係は何も変わりませんでした。
電話やLINEでやり取りしたり、時々お忍びで会ったり。
彼の頭の中は普段はいつも野球でいっぱいのようでしたが、私と会う時は人が変わったように柔和な顔をしていました。
そして私は大学に入り、縁あってテレビ局に採用されて今に至ります」
「あの、一つ聞いてもよろしいでしょうか」
「はい、何でしょうか」
「薬指に指輪をしていますが、それは…」
「ええ、ご想像のとおりです。私はもうすぐ退社して、アメリカに渡ります。
それで最後の仕事として、ディレクターにお願いして、今日の試合を担当させてもらったんです。
彼の大親友という方の素の姿を知りたくて…」
今、なんて言った?
聞かなかったことにしよう。
僕にとって山崎は親友なんかではない。
そんな簡単な言葉で片付けられるような存在ではない。
あいつは…。
ライバルであり、嫌味な奴であり、腐れ縁であり、トラブルメーカーであり、目標であり、そして…、仲間だ。
「あいつ、プロポーズなんて言ったんですか?」
そう聞くと、彼女は照れたように、下を向いた。
ちょっと顔を赤くしている。
インタビューの時の気の強そうな様子とのギャップが可愛らしい。
これが素の彼女であり、仕事の時はそういうキャラを演じているのかもしれない。
「昨シーズンオフ、喫茶店でお茶を飲んでいる時に、ボソッと。
来年、一緒にアメリカに来ないかって…」
「え、それだけですか?」
「はい、私も良く聞こえなかったし、確認したくて、「何、もう一度言って」って言ったら、さっきよりも更に小さい声で、「来年、一緒にアメリカに来てほしい」って。
「それってどういう意味?」って聞いたんだけど、それっきり顔を真赤にして俯いちゃったんです」
まさにこれが山崎である。
マウンド上ではふてぶてしい、不遜な態度を取っているし、普段も態度がでかいし、決して口数が少ないわけではなく、余計な一言が多いが、こういう大事な時には小声でボソッと言う。
高校時代もそういう事があった。
甲子園の決勝戦、試合前のミーティング。
監督が「最後に何かないか」と言った時、あいつは手を挙げた。
何を言うかと思ったら、周りにいた人にしか聞こえないような小声でこう言った。
「みんなのお陰でここまでこれた。本当にありがとう。今日はエラーしても良いから楽しもう」
僕は隣にいたから聞き取れたが、監督を始め、聞こえなかった人の方が多かった。
平井が「良く聞こえなかったから、もう一度言ってくれ」と言ったが、それっきり山崎は俯いてしまった。
だから僕が後から皆に伝えたのだ。
あいつがそんな事を言うなんて、みんな信じられず、聞き間違い、という結論になったが。
「私、アメリカに行って良いの?
それって一緒に暮らすってこと?って、聞いたら、彼は小さく頷いたんです。
でもそれだけで私はとても嬉しかったんです。
どんな素晴らしいプロポーズの言葉よりも、私の心には響きました」
「そうですか。
本人の口から、結婚したとは聞きましたが、相手の事は幼馴染としか言わなかったので、仲間内では都市伝説のような架空の存在か、二次元の住民という結論になっていました」
「謎が解けて良かったですね」彼女は微笑んだ。
「あ、もう少しでチームバスが出発してしまう」
「あら、それは大変」
「シーズンオフに仲間内の忘年会があるので、その時は是非来てください。
みんなにも決して山崎の妄想ではなかったことを証明したいんで…」
「そうですね。彼が良いと言えばですけど…」
「大丈夫です。僕がそうしろと言えば従うはずです。
何しろ彼にとって、大親友らしいですから」
彼女はクスッと笑った。
「高橋、そろそろバスが出るぞ。乗らないのか?」
石山マネージャーから声をかけられた。
「あ、乗りまーす。じゃあ、また今度」
「はい、それではまた」
そして僕は立ち上がり、荷物を担ぎ、急いでバスに向かった。
バスに乗ると、谷口がスマホでメールを打っていた。
それを取り上げると、作りかけのメール文面にはこう書かれれていた。
『Rは試合終了後、美人女性アナウンサーを口説いてました。善意の第三者より』
メールの宛先は結衣だった…。
「てめえだな、いつも結衣に告げ口しているの」
「告げ口じゃない。善良な市民として、お前の家庭内平和の維持に協力しているだけだ。
火のない所に煙は立たない。
心当たりが無いと、後ろめたく思わない」
僕はため息をつき、取りあえずそのメールを消そうとした。
「あ、間違った」手が滑って、送信ボタンを押してしまった。
あーあ、遠征から帰ったら厳しい事情聴取と尋問が待っている。
僕は大きくため息をついた。
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