第646話 山崎との思い出②

 「ちょっと待っていて下さいね」

 話が長くなってきたので、僕は自動販売機でドリップ式のコーヒーを二つ買って、自分と彼女の前に置いた。

 ミルクとシュガーは別添である。


「ありがとうございます」

 そう言って、彼女はブラックのまま口をつけた。

「あら、美味しい」

「そうでしょ。ここのコーヒー、自動販売機ですけど、普通の倍近い値段がするんです」


「コーヒーはお好きなんですか?」

「まあ時々は飲みますね。試合中に眠気を感じたときとか、ミーティングの前とか」

「私もコーヒーにはちょっとうるさいですよ」

「そうなんですか、どこの店のコーヒーが好きなんですか?」

「そうですね、チェーン店で言えば…。あら、何の話をしてましたっけ?」

「確か山崎の事を記憶の片隅から消去したいという悩み相談ですよね。

 実は僕も同じ悩みを抱えているんですよ。

 でも忘れようとしても、アイツのせいで他校との喧嘩に巻き込まれたとか、エラーを咎められてとてもムカついたとか、悪い思い出が蘇って、忘れようにも忘れられないんですよね」

 彼女はクスクス笑いながら、再びコーヒーに口を付けた。

 また薬指に付けた指輪が光った。


「そうそう、私が引っ越したところまで話しましたよね。

 私は引っ越し先で高校に入り、1年生の時でした。

 何気なく、高校野球の地区予選の中継を見ていると、群青大学付属高校の試合でした。

 そしてアナウンサーの方が、ピッチャーの山崎といった時、ふと小学校の頃を思い出しました。

 その時は山崎さんが野球をやっていたことは知りませんでしたので、そう言えば昔、山崎という人に助けられたな、と思い出した程度でした。

 でも顔がアップになった時、私は驚きました。

 まぎれもなく、あの時私を助けれくれた山崎さんでした」

 確かに地区予選も準決勝くらいになると、地元の放送局で中継してくれる機会がある。

 不運にも彼女はそれを見てしまったということだな。


「そして山崎さんはピンチを迎え、ハンカチで汗を拭きました。

 私はそれを見て驚きました。

 あの日あの時、私が彼にあげたハンカチだったのです」

 そう言えばあいつ、いつもボロボロになった同じハンカチを使っていたな。

 てっきり金がないからだと思っていたが…。あいつはケチだし。


「その時、私は小学校2年生の時のことを鮮明に思い出しました。

 それでいてもたってもいられず、電車に乗って球場まで行ったんです。

 球場についた時には試合はすでに終わっていました。

 スコアボードを見ると、群青大学付属高校は見事に勝っていましたので、私は次の試合は見に行くことにしました」


 群青大学付属高校は野球の名門なので、1年生から試合に出ることは珍しいが、山崎と平井は入学当初からメンバー入りをしていた。

 その頃の僕?

 日々、グラウンド整備とボール磨きの技術向上に励んでいましたとも、何か?


 「そして次の試合、私は観客席から見ていましたが、その日の先発は山崎さんではありませんでした。

 でも5回を過ぎたあたりでしょうか。

 ふと、ブルペンを見ると山崎さんが投球練習していました。

 私はブルペンが一番近くに見える所で見ることにしました。

 私の記憶にある山崎さんは、小学校2年生の時で止まっていましたが、面影はありました。

 そしてじっと見ていると、群青大学附属高校のユニフォームを着た部員に声をかけられたんです。

 ねえ、君何しているのって」

 え?、まさか…。


「あのそれって、まさかとは思いますが…」

「はい、それは高橋選手でした」

 うわっ、やっぱり。

 その頃、ベンチ入りしない僕らは試合ではスタンド応援だった。

 可愛い女の子がいると、先輩から命令されて声をかけさせられたことがあったのだ。

 決して自分の意思では無かったことを、ここではっきりさせておく。

 もっとも当時はまだ結衣と付き合う前だったから、無罪だと思う。


「私が山崎さんのファンなんです、って言ったら、とても驚いた顔をしていましたよね。

 そして試合終了後、こっそり会わせてくれたのを覚えていますか?」

 うーん、覚えていないな。

 そんな事したかな…。


「試合終了後、私が球場の外で待っていると、山崎さんが来てくれました。

 その時の山崎さんは最初、私の事がわからなかったようでした。

 「お久しぶりです」って言うと、彼はキョトンとして記憶をたどっているようでした。

 「あのー、俺、貴方にどこかで会いましたっけ?」

 彼はそう言うと、例のハンカチをポケットから取り出して、汗を拭きだしました」

 そこで彼女はコーヒーを一口飲んだ。


「「覚えてないですか。そのハンカチを誰からもらったか」

 私がそう言うと、彼の目が泳いで宙を見つめていました。

 「え、だって、そんな、まさか」

 そう言うと、彼の顔は見る見るうちに赤くなりました。

 「いや、これはち、違うんだよ。たまたま持っていただけで…。

 そう、その、別に大事に使っていたわけじゃなくて…。 あの、その」

 そう言って山崎さんは俯いてしまいました」

 その姿を想像すると、爆笑しそうになる。


「そして連絡先を交換して、私たちは時々会うようになりました」

「その割にはあいつ、いつも女の子を紹介してって言っていましたけどね」

 そう言うと、彼女の目が釣り上がった。


「その話、詳しく教えていただけますか」

「え?、いや、あの冗談です…」

 そう言うと彼女は吹き出した。


「わかっていますよ。

 あの人は私と会う時も、誰にも知られないようにとても慎重でしたから…。

 だけと例え女の子を紹介しようとしても、何だかんだ言って断った。そうじゃありませんか?」

 うーん、そうたったかな?

 結構、会わせたような気が…。

 まあ武士の情けで黙っててやろう。

 話が長くなって来たので、続きは次回に…。

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