第642話 心技体がそろえば
長く野球をしていると、極まれにある。
打てる気しかしないこと。
それはなぜかは自分でもわからないが、おそらく様々な条件が重なって、心技体がハイレベルで揃った時だと思う。
最近の好調で「技」と「体」は揃っていたが、今日の女性アナウンサーからのインタビューと、京阪ジャガーズファンの応援が僕の「心」も充実させてくれた。
相手ピッチャーは、宗投手から抑えのドイル投手に変わった。
かってはセットアッパーであったが、今は抑えに転向している。
ここまで無敗で、防御率0.50という、まあそれなりに良い投手だ。
160km/hそこそこのストレートと、スプリット、チェンジアップが主体の右腕である。
投球練習をしているのを見たが、正直、さっきまで投げていた宗投手の方が打ちづらい気がする。
球は早いが、素直な球種に見える。
僕は打席に入った。
初球。スプリット。
僕はあっさりと見極めた。
ボールワン。
2球目。
内角へのストレート。
仰け反って避けた。
これでツーボール。
当然、ここはノーアウト満塁にはしたくないであろう。
僕はベンチのサインを見た。
もし送りバントのサインが出ても無視するが、一応見ておかないとね。
サインは待て。
なるほど、ベンチは相手はストライクが入らず困っているとみているのかな。
3球目。
外角へのチェンジアップ。
やっぱりね、そうだろね。
僕はこの球を予想していた。
落ちる球、そして内角への速い球、と来たら次は目線を変えるために外角への緩い球が来ることは想像がつく。
僕は思い切り踏み込み、ライトに打ち返した。
ライトは守備固めで、俊足強肩の木内選手に変わっている。
捕るんじゃねぇぞ。
捕ったら、呪うからな。
願いが通じ、打球はその頭を越えた。
そして木内選手は命拾いした。
僕は一塁を蹴って、二塁に向かった。
二塁ランナーの俊足の湯川選手はもちろんのこと、鈍足の谷口も三塁を蹴ってホームに向かおうとしている。
そして僕は二塁も蹴って、三塁に向かった。
三塁コーチャーの澄川さんがストップの仕草をしているのが、視界に入った。
そう言えば、ライトは俊足強肩の木内選手だった…。
僕は足から三塁ベースに滑り込んだが、タッチアウト。
てへ、やっちゃった。まあ仕方ないよね。
僕は照れ笑いを浮かべながら、ベンチに帰った。
ベンチは当然、殊勲の同点タイムリーヒットを打った、僕を温かく迎えてくれた。
ベンチに座ると、金城ヘッドコーチが僕の所にやってきた。
「高橋、ナイスバッティング。
試合が終わったら、監督室に来てね♡」
何だろう。
監督賞でも貰えるのかな。
現金が良いな。
谷口に知られないようにしないと…。
あいつは結衣のスパイだから…。
試合は後続が倒れ、その裏は新藤投手が抑え、延長線に突入した。
そして両軍無得点で迎えた、11回表。
この回は9番からであり、代打の光村選手、1番の湯川選手が連続でフォアボールを選んだ。
そして結衣のスパイ、つまり告げ口野郎に打順が回った。
こいつは長打も打つが、バントも得意だ。
役割は僕の前にチャンスを作ることである。
そして何と送りバントがフィールダースチョイスとなり、何とノーアウト満塁で僕の打順を迎えた。
京阪ジャガーズのバッテリー、そして内野陣はマウンド付近に集まっている。
塁が空いていたら、僕は敬遠されたかもしれないが、満塁なのでそれは無い。
相手の内野陣は、当然バックホーム体制を敷いている。
外野陣は中間守備である。
頭を越されたら、試合が決まってしまうということだろう。
僕は大きく深呼吸して打席に向かった。
うん、調子が良い。「打てる気しかしないモード」は継続しているようだ。
京阪ジャガーズのマウンドは、僕の打席から山野投手に変わった。
プロ入り2年目で速球は140km/台とそれほどでもないが、カーブ、シンカー、カットボール、スライダー等の変化球を操る右腕だ。
この場面で一番まずいのが、ホームゲッツー。
その場合、点が入らず、ツーアウトになってしまう。
逆に言うと、相手チームはそれを狙いに来るだろう。
つまりゴロを打たせるために、低めのストライクゾーンの出し入れで勝負してくるはずだ。
初球。
膝元へのシンカー。
これは打っても内野ゴロとなるのが関の山だ。
ちなみに関の山とは…。(以下、省略。このネタ、何度使ったのですか?
文字通りバカの一つ覚えですね。作者より)
これでストライクワン。
2球目。
外角低めへのスライダー。
これを追いかけても内野ゴロになってしまう。
これも見送った。
ストライクツー。
あっさりと追い込まれた。
ちょっとまずいかな。
3球目。
またもや外角へのスライダー。
これは明らかにさっきの球よりも遠い。
自信をもって見送った。
これでカウントはワンボール、ツーストライク。
4球目。
内角膝元へのシンカー。
これも見送った。
判定はボールでツーボール、ツーストライク。
平行カウントとなった。
次は運命の5球目となるか。
僕は一度、バッターボックスを外し、気合を入れなおした。
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