第635話 出番がほしい
試合は淡々と進んだ。
5回を終えて、両チームヒット2本ずつで、無得点。
グランド整備、そして仙台ブルーリーブスのチアガール、ブルーフェアリーズのダンスを尻目に僕はベンチ裏に下がった。
終盤になれば僕の出番がやってくるかもしれない。
いや、やってきてほしい。
スタメン落ちして、悔しくないわけはない。
正直に言うと、涙が出るほど悔しい。
自分に対する不甲斐なさ。
僕は声を出すことで、それを紛らわそうとしていたが、そんな簡単なものではなかった。
昨シーズンは、試合に出ることが当たり前になっていた。
例えバッティングが不調でも、僕には守備と走塁があり、基本的にスタメンを外れることはなかった。
しかしながら、外野へのコンバートにより僕の守備面での優位性は薄れてしまった。
僕は今、自分がそのような立場にいることを、改めて認識した。
ベンチ裏に下がり、僕は素振りを繰り返した。
もし今日、打席を与えられたら、自然体で臨もうと思う。
ヒットは欲しいが、そのために自分のバッティングを崩しては元も子もない。
もう一度、自分のバッティングの基本に立ち返り、球をよく見て、好球必打。
そのように心に誓った。
試合は六回裏に仙台ブルーリーブスが2点先制し、札幌ホワイトベアーズは七回表1点を返し、試合は2対1のまま九回表を迎えた。
仙台ブルーリーブスのマウンドには、守護神の成グリーン投手が上がっている。
150km/h台後半のストレートと、スプリット、カットボールを投げ分ける右腕だ。
グリーン投手に対し、札幌ホワイトベアーズはこの回先頭のブランドン選手がフォアボールで出塁した。
ここは代走か。
僕は立ち上がり、ポケットからスライディンググローブを取り出し、手にはめた。
だが代走を告げられたのは、俊足の野中選手であった。
代走としても使ってもらえないのか…。
僕はちょっと落胆し、再びベンチに座った。
続く武田捕手は送りバントの構えをしている。
成功してワンアウト2塁となったら、次はピッチャーの打順、当然代打だろう。
「高橋」
金城ヘッドコーチに呼ばれた。
「は、はい」
「武田が送ったら、代打だ。準備しろ」
「はいっ」
ようやく出番がやってきた。
そうか、さっき代走ででなかったのはこのためか。
僕はこの重要な場面で出番が与えられたことをうれしく思い、また武者震いを感じた。
武田捕手はきっちりと送りバントを決め、ワンアウト2塁となった。
僕がネクストバッターズサークルから、バッターボックスに向かおうとすると、武田捕手とすれ違った。
「高橋、お膳立てしてやったぜ。あとは決めてこい」
「はいっ」
僕は親指を立てて見せた。
この場面、絶対に決めてやる。
バッターボックスに向かった。
仙台ブルーリーブスの本拠地であり、試合も大詰めとあって、相手チームへの応援がすごい。
この中で打ったら、さぞ気持ちが良いだろう。
そしてその中でも僕の応援歌、「蒼き旋風、高橋隆介」の鳴り物が聞こえる。
バッターボックスに入った。
グリーン投手は抑え投手としての実績からか、自信に満ち溢れており、威圧感を感じる。
経験の浅い選手なら、この威圧感に飲まれるかもしれない。
でも僕はプロ11年目。
600話を超える野球小説の主人公であり、多くの場数を踏んでいる。
自然体を意識して、バットを構えた。
初球。
内角へのストレート。
僕はのけぞって避けた。
外角に踏み込ませるのを躊躇わせるための撒き餌だ。
ボールワン。
2球目。
外角へのカットボール。
遠く見える。
僕は見送った。
ストライクワン。
3球目。
真ん中高めへのストレート。
ファール。
追い込まれた。
4球目、真ん中低めへのスプリット。
空振りを狙った球だ。
そして僕が狙っていた球でもある。
僕は腕を伸ばし、バットで拾い上げるように打ち返した。
打球はレフトにライナーで飛んでいる。
レフトの和光選手がバックしている。
俊足が武器の守備の名手だ。
頭を越えてくれ。
僕は走りながら願った。
和光選手は走りながら、グラブを出している。
頼む。越えてくれ。
歓声の後、大きなため息が球場を包んだ。
三塁塁審はフェアのジェスチャーをしている。
僕は一塁を蹴って二塁に向かう。
僕はそのままスピードを落とさず、三塁に向かった。
和光選手は強肩だが、構うものか。
レフトから返球され、タッチさせると同時に僕はサードベースに滑り込んだ。
「セーフ」
うおっしゃー。僕は立ち上がり、両手でガッツポーズした。
起死回生の同点タイムリースリーベースヒットだ。
ベンチを見ると大いに沸いている。
さあ長いトンネルを抜けた。
その先に広がるのは桃源郷か、お花畑か?
また長いトンネルじゃないだろうな…。
僕はそんなことを考えながら、三塁ベース上で、ベンチのサインを確認した。
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