第631話 第二子誕生と変な絵本

 「病室はどこですか?」

 タクシーで病院に着くなり、僕はナースステーションで聞いた。

 ちなみに僕はとても冷静である。

 タクシーを降りる時に、球団あての領収書をもらうくらいに。


「あの、お名前は?」

「はい、高橋隆介です」

「えーと、奥様のお名前は?」

「結衣です」

「高橋結衣様ですね。

 はい、305号室です」

「ありがとうございました」

 僕はお礼を言い、急いで病室に向かった。


「あ、りゅーすけだ」

 病室に入ると、翔斗が飛びついてきた。

 結衣のご両親は病室にはいなかったが、大人しく本を読んでいたようだ。

 ちなみに読んでいたのは、札幌ホワイトベアーズのファンブックだ。


「あら、早かったのね」

 結衣はベットに横になっており、傍らの保育器には赤ちゃんがいた。


「やあ始めまして。僕がパパの高橋隆介だよ。

 札幌ホワイトベアーズ所属です」

 僕は翔斗を抱えながら、保育器を覗き込んでいった。

 薄い朱色をした赤ちゃんがすやすやと眠っている。

 この子が僕の娘か…。

 実感はまだわかないけど、何となく感慨深いものを感じた。


「何、自己紹介しているの…」

 結衣がクスクス笑いながら言った。

「お疲れ様。無事、産まれて良かった…」

「ええ、安産だったの」

「そうか、良かった…」

「貴方がホームランを打ってから、すぐに陣痛が強くなったの。きっとこの子、早く産まれてきたいと思ったのね」

「そうか、良かった…」


「パパ、良かったね」

 腕の中にいる翔斗が言った。

「うん、良かった。翔斗もこれでお兄ちゃんだな」

「うん、翔君、お兄ちゃんだよ」 

「良いお兄ちゃんになってね」

「うん、翔君、ゆまちゃんの良いお兄ちゃんになるよ」

「そうだね…。ゆまちゃん?」

「うん、僕ね、生まれる前から妹の名前はゆまちゃんって、決めていたんだ」


「ゆまちゃんか…。良い名前だね」

「そうなの。お腹の中にいる時から、翔斗がゆまちゃん、って話しかけていたのよ。

 そのうちに私もこの子はゆまちゃん、って思うようになったの。どうかしら?」

「うん、良い名前だね。気に入ったよ。

 じゃあ今日から君は高橋ゆまちゃんだ」

 僕は保育器の中でスヤスヤと寝ている赤ちゃんに話しかけた。


「漢字はどうする?」

「そうだな。ゆまのゆは結衣の結ぶという字で良いんじゃないかな。

 まは茉という字でどうかな」

 僕はスマホで調べて提案した。

「良いんじゃない」


 僕はメモ帳に「高橋結茉」と書いた。

 「良い名前ね。そうしましょう」

 「よし、今日から君は高橋結茉ちゃんだ。

 元気にスクスクと育ってね」

 僕は保育器の中に向かって話しかけた。


「パパ、これ読んで」

 翔斗が絵本を持ってきた。

 題名は「ぼくはメジャーリーガー」という絵本だった。

 表紙は、赤いユニフォームを着た選手が投げている絵だ。

 とても嫌な予感しかしない。

 僕は表紙を開いた。


『ぼくはいま、だいリーグでかつやくしています。

 だいリーグとはアメリカのプロやきゅうのことです』

 僕はすぐに表紙を閉じた。

 表紙を良く見ると、協力 山崎となっている。

 裏を見ると、定価1,500円。

 

「なにこれ。買ったのか?」

 結衣に聞いた。

「あ、その絵本のこと?

 先日、届いたのよ。

 廃品回収に出そうかと思ったけど、なぜが翔斗が気に入っちゃったのよ」

「パパ、読んで」

「いやだ…」

 すると翔斗が涙目になっている。


「わかった、わかった。読むよ。読ませていただきますよ」

「うん」

 翔斗がにっこりと笑った。


『きみたち、やきゅうってしっていますか。

 ピッチャーがしろいボールを投げて、それをバッターがうつスポーツです。

 やきゅうはアメリカではベースボールといい、せかいでもにんきのあるスポーツのひとつです』

 翔斗は僕の膝の上で静かに聞いている。


『ぼくはさいしょは、やきゅうがあまりすきじゃありませんでした。

 それはひとりではできないからです』

 ほうほう、山崎らしい理由だ。


『ぼくは、しょうがくよねんせいからやきゅうをはじめましたが、さいしょからとてもじょうずでした』

 平仮名で書いても嫌味っぽい文章だ。


『やきゅうはあまりすきじゃありませんでしたが、やきゅうをやっていると、まわりのひとたちがチヤホヤしてくれるので、ぼくはやきゅうをつづけていました』

 これ、絵本にするような内容か?

 翔斗は真剣に話を聞いている。

 この話の何が子供を惹きつけるのだろうか?

 僕は首を傾げた。

 


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