第627話 毎年恒例?

 「気分転換に左で打ってみたらどうだ?」

 麻生バッティングコーチにアドバイスを貰い、僕は半信半疑ではあるが、バッティングマシーン相手にダメ元で左打席に立ってみた。


 すると自分でも驚くほどにしっくり来た。

 鋭い打球が右に左に飛んでいる。

 しかもそのほとんどが外野フェンス越えだ。

 自分でも意外だった。

 実は僕は左打ちの才能があるんじゃないか?


 そして早速、その日の実戦でも試してみた。

 すると何と3打席連続ホームランを放った。

 どうやら僕は左打ちの才能があったみたいだ。

 それからというもの、僕は両打ちのスラッガーとして目覚め、そのシーズン何と打撃三冠王を獲得した。

 そしてオフにいよいよメジャー挑戦をすることになった。


 …、もちろん夢である。

 悩める時には得てしてこういう夢を見てしまうものだ…。

 良い気分で目覚めたが、すぐに現実に引き戻される。

 右でも打てないのに、左で打てるわけはない。

 高校時代、遊びで左打席に立ってみたことがあるが、全く打てる気がしなかった。

 

 試合前、僕は藁をも掴む気持ちで、麻生バッティングコーチの姿を探した。

 いたいた、グランドコートのポケットに手を突っ込んで、あくびをしている。

 どうやら打撃コーチという職は、相当気楽な稼業らしい。

(念のために言っておきますが、あくまでも札幌ホワイトベアーズの場合です。

 言うまでも無いですが、プロ野球の打撃コーチという仕事は神経を使う、とても大変な仕事です。作者より)


「麻生コーチ」

「おう、高橋どうした」

「藁をも掴む気持ちで、ダメもとで聞きますが、僕は最近バッティングの調子が悪いんですけど、どうしたら良いですか?」

「あん?、バッティングのことなんて俺に聞くなよ。俺は忙しいんだ」

 貴方の職業はバッティングコーチでは無いのでしょうか?


「そこを何とか。アドバイスをお願いします」

「うーん、そうだな。気分転換で左で打ってみたらどうだ」

 どうやらあれは正夢だったらしい。


 試合前のバッティング練習で、僕は左打席に入った。

「こら高橋。遊んでいる場合じゃないだろう。真面目にやれ」

 ダミ声が聞こえ、振り返ると金城ヘッドコーチだった。


「でも麻生コーチが気分転換に左で打ったらどうかって…」

「お前な、そんな戯言を本気にするな。

 右で打てない奴が左で打てるわけないだろう。

 大丈夫だ。試合に出続ければ調子が上がってくるはずだ。

 何しろ、お前は昨シーズン打率三割を打った打者だ。もっと自信を持て」

 そう言われればそんな気もしてくる。

 そうだ。僕は2年連続で打率三割を残し、しかも昨年は打率ランキングでリーグ3位の好打者だ。

 よく考えると、オープン戦でスランプに陥るのは毎年恒例である。

 ちょっとスランプになったからって、ジタバタするような選手じゃないのだ。


 そして早いもので3月も下旬となり、オープン戦も残すところ3試合となった。

 当初は20打数1安打と苦しんでいたバッティングも、15試合を消化した時点で46打数3安打と…全く向上の気配が見えなかった。

 もっとも外野守備は実戦を通じて少しずつ自信がつき、自分で言うのもなんだが、安定感も増してきた。

 あとはバッティングだ。

 このままでは開幕スタメンから落ちてしまうだろう。


 そして今日のオープン戦。

 僕はスタメン落ちした…。

 恐らく開幕を見据えて、ベストメンバーで臨むということだろう。

 成績を考えると、仕方がないが、やはりショックだ。


「高橋、気分転換と考えろ。

 お前に期待しているのは変わらない。

 だからいつでも出られるように準備しておけよ」

 金城ヘッドコーチから、温かい言葉をかけてもらった。


「はい、ありがとうございます。

 チャンスを頂ければ、力を発揮できるように備えておきます。

 金城ヘッドコーチは満足そうにうなづいた。

「そうだ。試合の終盤になるとお前の足は相手チームにとって脅威だ。

 守備固めとしても出番はあるかもしれない」

 やはりバッティングは期待されていないようだ。


 まあ与えられた場所で咲くしかないね。

 そう割り切って、ベンチに座った。

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