第621話 ドラフト前秘話(1)
2月末、僕は球団の許可をもらって、一度東京に向かった。
オープン戦が始まったこの時期になぜか?
決して2軍に送還されたわけでも、怪我したわけでも、ましてやホームシックになったわけでもない。
僕の恩人の一人が、病気になったと聞いたからだ。
聞くところによると、相当悪いらしく、余命数ヶ月ということだ。
その恩人とは吉田さんという。
僕が静岡オーシャンズに入団した時の担当スカウトだった方だ。
この方がいなかったら、僕はプロ野球選手になれていなかったかもしれない。
僕が在籍していた群青大学附属高校は、いわゆる高校野球の強豪校である。
特に僕の代には、顔と性格が悪いが物凄い球を投げる投手と、野球が上手いゴリラがいたため、公式戦は勿論のこと、普段の練習にもプロのスカウトが見に来ていた。
僕は漠然と将来はプロに行きたいとは思っていたが、高校生離れした二人の選手を近くで見て、正直なところ、プロに入る自信は無かったし、入れるとも思えなかった。
そんなある日、練習試合の後、偶然に各球団のスカウトが会話している場に出くわしたのだ。
その時、僕はたまたま球場に忘れ物をしており、一人取りに戻っていた。
そしてロッカールームから出ようとした時に、スカウト同士の会話が聞こえてしまったのだ。
「吉田さん、やっぱり山崎投手と平井選手は噂通り凄いですね」
「そうだな。
この二人は超高校生レベルだな。
特に山崎投手はすぐにでも、一軍で使えるレベルだ」
「本当ですね。恐らくドライチで何球団も競合するでしょうね」
どうやら若いスカウトと、少し年配のスカウトの二人が話しているようだ。
「でも山崎投手は性格に難有りという噂ですけど…」
「まあそれくらいの方がプロでは成功するかもしれない。
プロでは自分を持っていないと、流されてしまうからな」
「平井選手はどうですか?」
「ああ彼も良い選手だ。
ただパワーは凄いが器用さに欠けるように見える。
そこがプロでどう出るかだな…」
「高校生の野手では谷口選手と彼が注目されてますものね。
この二人が同じ高校にいるんだから、強いはずですよね」
「でもこのチームには他にも逸材はいるぞ」
「ああ、確かに選手層は厚いですよね。
吉田さんは山崎、平井以外にも注目している選手がいるんですか?」
「ああ、一人注目しているのがいる」
山崎、平井以外にもプロ注目の奴がいるのか?
僕は耳を澄ませた。
「誰ですか?」
「あの高橋というショートだ」
いきなり名前が出た事に、僕はちょっと驚いた。
「今は荒削りだが、かなりのポテンシャルを秘めていると、俺は見ている」
「そこまでの選手ですかね。
足は確かに速くて、守備もなかなか上手いですけど、あの程度の選手はその辺にゴロゴロしていると思いますけどね。頭も悪そうだし…」
人を石ころみたいに言わないでほしい。
て言うか、頭が悪そうとは何だ。
「確かに今時点ではそれほど目立つ存在では無いが、俺の勘では化ける可能性があると見ている」
「そうですか?
私の目には小さく纏まった、平凡な選手に見えますけどね」
失礼な。僕はちょっとムッとした。
「ハハハ。
まあ他のチームもそう見てくれていれば良いけどな。
俺の中ではこれからも追い続けたい選手だ」
「あ、もうこんな時間ですね。
そろそろ行きますか」
「おう、そうだな。
列車の時間に間に合わなくなる」
そして二人のスカウトは足早に去っていった。
この時、僕は初めてプロを意識した。
率直に言って、僕の事を注目しているプロのスカウトがいるということが、嬉しかった。
もしかしたら、今後の活躍によってはプロに入れるかもしれない。
この時、より一層頑張ろうと思ったものだ。
そしてドラフトの時、当初は6位の飯島投手を指名した時点で、指名を打ち切ろうとしたらしい。
しかしながらスカウト会議で、吉田スカウトが僕の事を強く推した事を、当時の田中大二郎監督が覚えており、ほぼ独断で指名してくれたそうだ。
つまり田中大二郎監督、吉田スカウトの二人がいなければ、僕はあの時プロに入っていなかっただろう。
吉田スカウトはその後、他チームのコーチに就任した事もあり、入団後、あまりお話する機会がなかった。
しかし今回、人づてに吉田スカウトが入院した事を聞いて、お見舞いに行くことにしたのだ。
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