第620話 球春到来

 バッティング練習では、僕は広角にライナーで打ち返した。

 どうだ、恐れ入ったか。


 ゲージを出ると、テイラー・デビットソン選手が通訳を従えてやってきて、僕に話しかけた。

「ペラペラペラペラ…、ミノホドシラズサン、ペラペラペラペラ…」

 おい、今も身の程知らずさんと言ったよな。確かに聞こえたぞ。

 村木通訳が訳した。

 

「山崎選手からは、高橋選手は内野ゴロ打ちの名人と聞いていたのですが、稀に鋭いライナーも打つのですね。

 身の程知らずさんらしい、素晴らしいバッティングです…、怒らないでくださいよ。

 僕はただ直訳しただけなんですから…」

 そう言い残して、村木通訳はテイラー・デビットソンを引っ張って逃げるように去っていった。

 

 それにしても山崎の野郎…。

 余計な事を吹き込みやがって。

 次会ったら、覚えていろよ。

 ロープで縛って、市中引き回しの刑にしてやる。

 そんな事を考えていると、少し気持ちも落ち着いてきた。

 

 そもそも僕は決して狙って内野ゴロを打っているわけではない…。

 一生懸命にやった結果として、内野ゴロが多くなっているだけだ。

 谷口みたいな長距離打者はホームランの打ち損ないがヒットなのかもしれないが、僕にとってはヒットの延長の超会心の当たりがホームランである。


 午後からはノックまたは紅白戦。

 僕はまず内野手としてノックを受け、紅白戦ではレフトで出場した。

 そしてその後は外野手としてのノックである。

 かなりのハードスケジュールだ。


「金城ヘッドコーチ」

 僕は意を決して、金城ヘッドコーチの所に行った。

 監督は変わったが、コーチ陣はほとんと変わっていない。

 

「おう高橋、どうした?

 いつになく真剣な顔をして。

 練習量が多くて辛いって、話以外なら何でも聞いてやるぞ」

「え、いえ、あの、その。

 やっぱり何でも無いです…」

「そうか?

 何かあればいつでも言えよ。

 内外野を兼務して辛い、って話以外ならいつでも相談に乗るからな」

「は、はい、ありがとうございます」


 外野挑戦を決めたのは、自分自身だ。

 とは言え、単純に言うと練習量は例年の1.5倍だ。

 若い頃ならともかくアラサーの身には辛い。

 まあそんな事を言っても誰も聞いてくれないが…。


 「ヘイ、タカリュー。チョウシハドウデスカ?」

 ジャック監督が宮田通訳とマスコミを引き連れてやってきた。

 ジャック監督の中で僕の呼び名は、タカリューになったようだ。

 まるでアパレルチェーンか、ポケ◯ンのモンスターみたい。


「ガイヤ、ナレマシタカ?」

「ええ、まあぼちぼちです」

「ボチボチ?、ドウイウイミ?」

 宮田通訳が訳すと、ジャック監督は大笑いしている。

 そんなに面白いことを言ったか?


「ソレハタイヘンネ。

 レモンヲカオニハッテネル、イイネ」

 一体何と訳したんだ?

 全く持って意味不明。


 大笑いしながら、ジャック監督と宮田通訳は去っていった。

 このチームにまともな通訳はいないのか?

 

 キャンプは基本4勤1休。

 つまり4日連続で練習すると、1日休養日ということである。

 練習はきついが、休日は体力回復に努め、また沖縄を満喫することにしている。

 どんなに疲れていても、沖縄の海を見ていると元気が出てくるのだ。

 特に夕方、日の入りの時間帯は最高だ。

 美しい海が段々と朱に染まって、やがて太陽が水平線の際に沈んでいく。

 それはため息が出るくらい美しい光景だ。

 まあ、それは明日からまた4日間練習か、というため息かもしれないが。

 これがサザエさん症候群という奴なんだろう。きっと。


 そして2月も下旬になると、いよいよオープン戦が始まる。

 この時期になると、各社から選手名鑑が発売され、作者も初めプロ野球ファンの方々も開幕を待ちわびている。

 いよいよ球春到来だ。 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る