第606話 決断

 「俺が今いるチームのマイナーに、テイラー・デビッドソンという選手がいた。

 そいつはある年のドラフトで、うちのチームから1位指名を受け、プロ入りした。

 全米でも5位の超有望株であり、チーム関係者皆から将来を嘱望されていた」

 そう言って、山崎はコップに入ったロマネ・コンティに口をつけた。


「そいつは内野手だったが、守備は隆よりも遥かに上手く、しかも隆とは違って強肩で、バットコントロールは隆の真逆で天才的であり、長打力も隆など足元どころか足の裏にも及ばない」

 いちいち僕の名前出すのやめようか。


「足も隆に負けないくらい速く、盗塁技術も隆以上で、内野は全ポジション守れたし、アマチュア時代はピッチャー、外野手もやっていた。

 そして頭もに良くて、隆とは猿とチンパンジーくらいの差はある」

 そこで山崎はポテトチップスを口に運んだ。

 最後のは違いが良くわからない。


「そいつは今シーズンで、プロ8年目だったが、結局一度もメジャーに上がることができず、今季途中にリリースされた。

 つまり、何を言いたいかわかるだろう?」

「あん、何が?」

 

「これだけ期待されて、才能があって、しかも努力家であってもメジャーに上がることさえできなかったんだ」

「ほう、それで?」

 

「こういう話は向こうでは履いて捨てるほどある。

 これで俺が何言いたいかわかっただろう?」

「ああ、お前も頑張れよ、って事だろう」


 山崎は大げさにため息をついた。

「一つだけお前がこのデビッドソンに勝っていることがあったな」

「おう、それは何だ?」

「鈍感力だ」

「ドンカンリョク?」

 何だそりゃ。


 「俺にも隆くらいの鈍感力があれば、もっとプロで成功できたかもしれないな」

 平井が缶ビールを飲み干して言った。

「俺はコーチを始めとして、色々な人のアドバイスを聞きすぎて、自分のバッティングを見失ってしまった」

 

「そうだろ。

 ドンカンリョクは練習でどうなるものじゃないからな。

 これこそ才能だよ」

 山崎と平井は顔を見合わせた。

 

「確かにな。

 お前のドンカンリョクが羨ましいよ。

 俺もそれくらいの才能があれば、マウンド上で悩まないで済むのにな」

 珍しく山崎が僕の事を褒めてくれた。

 

「そうだろ、そうだろ。

 俺はそのドンカンリョクを武器に大リーグに殴り込んでやる」

「ということは、やはりポスティングを申請するのか?」

 

「うーん、まだ迷っている」

 色々な考えが頭を巡り、なかなか纏まらないのだ。

 色々な人の意見を聞けば聞くほど、悩みは深くなり、今も心が揺れ動いている。

 

「お前は、あの、その、ちょっと頭の巡りが他の人よりも弱いのだから、あまり悩まずに直感で決めたほうが良いんじゃないか」

 平井なりに言葉を選んでいるようだ。

 でもゴリラ人間には言われたくない。

 少なくとも高校時代、お前よりは勉強ができた…、ような気がする。


 「そうだ。俺たちはお前を応援している。

 例え大リーグに挑戦して、ボロボロになって、悲惨な姿で日本に戻ってきても、俺たちは仲間だ」

 その言葉で僕が感動するとでも思っているのか?

 

 ガチャ。

 その時、鍵が開いて母親が帰ってきた。

「ただいま。ほら、お土産にあんたの好きな甘栗買ってきたよ。

 あれ?、誰がいるのかい?」

「まもなくおいとまさせるので、気にしないで」と僕が言った。

 

「え?、泊まっていくつもりだけど…」

「お前、こんな真夜中に道を歩かせて、暴漢に襲われたらどうすんだ」

 「真夜中に平井を見たら、相手の方がビビるわ。

 街中をゴリラが歩いている、ってな」


「あら、山崎君と平井君じゃない。

 懐かしいね。元気そうで良かった」

 高校時代にも山崎と平井はこうやって自宅まで押しかけてきた事があり、母親とは顔なじみである。

 ちなみに妹も彼らの事は昔から知っている。


「お母様もいかがですか。

 ワインとシャンパン、ウイスキーもありますよ」

「あら、見たことが無い銘柄ね」

「どうぞ、美味しいですよ」


 「母さん、飲み会で疲れているでしょ。まもなく帰すから早く寝たら…」

「大丈夫よ。少しお相伴に預かろうかしら。あら、このワイン美味しいわね」

「まあ、安物ですよ。

 僕の年俸のほんの一万分の一くらいの値段です。

 お口にあって良かった。

 良かったら、チーズもどうぞ」


 母親がこのワインの金額を聞いたら、卒倒するだろう。

 一瓶でパートの収入の何ヶ月分にもなる。


 母親はワインを一杯だけ飲んで、寝室に行った。

 結局僕らはリビングというか、茶の間で飲み明かし、明け方近くに2人は帰っていった。

 全く何しに来たんだ。


 山崎と平井が帰った跡の空き瓶やつまみの袋を片付けてから、僕は外に出た。

 眠気を通り過ぎて、何故か頭はスッキリしている。

 

 朝のひんやりとした空気を感じながら、僕は昔良く妹と遊んだ公園に行った。

 小学校高学年の頃、ここで遊びながら、母親の帰りを待ったものだ。

 そしてブランコを軽くこいだ。


 登りつつある太陽からの朝日を浴びて、僕はある決断をした。

 やっぱり自分がしたいようにしよう。

 自分の心に素直になろう。

 そう思った。 

 

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