十六話 冷たい風 終編 (■見学編 完)


「夜宵を悪く言っちゃったこと、内緒にしてくれる? 私は、黒歴史で悩んでいる人を助けている夜宵が好き。私の友達の相談にも喜んで乗ってくれて、見事に助けてくれたこともあったし。ただ、もっと心を開いてくれたら嬉しいと思っているだけ」


 歴奈がうなずくと、ドラゴの表情が少し優しくなったように見えた。


「それに、歴奈にも」


「あの、実は私、三国志の豪傑の強さを目指しているドラゴ先輩みたいな立派な志を持ったことなんて無くて、弓道はいい加減にしかやってないです。すみません」


 歴奈はうつむきながら言った。


「後からなんとなく気付いた。弓道部への入部は考えていないと言っていたし。それなのに勘違いしてまくしたてて、言い出し辛くさせてしまった。すまない」


「とんでもないです」


 歴奈は顔を上げ、首を横に振った。


「でも三国志が好きなのは、私と同じはず」


「ええ、まあ」


「それに歴奈は、歴史のことを話したり聞いたりしているとき、とても楽しそうだった」


「はい。お茶を飲みながら歴史の話ができて、凄く楽しかったです」


 あれは至福ともいえるひと時だった。


「なら、歴史研究部に入部してみない? 一緒に三国志の研究をしたい。歴奈が戦国時代や幕末の研究をしたいなら、もちろんそれで構わないし、応援する」


 ドラゴの好意が伝わってきた。


「夜宵も、歴奈が入部してくれたら喜ぶと思う。多分、私がいることよりも」


「まさか。ドラゴ先輩以上だなんて」


「本当。夜宵が下の名前で人と呼び合うのは珍しい。私をドラゴと呼ぶようになったのは、黒歴史研究部の活動を手伝うようになった後だった」


 夜宵から気に入られているかもしれないと思うと、少し面映ゆくなった。


「でも歴奈は黒歴史の活動にはノータッチでいい。夜宵も、強要することはないと思う」


 歴史研究部に入部したい気持ちはある。

 黒歴史研究部にも、説明を聞いて抵抗はほとんどなくなっている。


 ただ一点、黒歴史のことを隠したがっていても、本人の意思に反して調べる場合があるということを除いてだ。

 そして、そのことでは矛盾があるとも思っていた。


「あの、ちょっとお聞きしたいのですが、黒歴史で悩んでいるのを隠している人って、自分が黒歴史のことで悩んでいるなんて、言わないわけですよね?」


「その通り。友達とかに何か悩みを抱えているのか聞かれたとしても、黒歴史で悩んでいると素直に言うことは、まずない」


「本人の意思に反して黒歴史について調べるのって、そういう場合ですよね?」


「静観することで事態が悪化しそうなケースに限るけど、そう。受け付けた場合、解決方法を探るため、どんな黒歴史のことで悩んでいるかを調査する」


「ですけど、調べて結果が出ない限りは、黒歴史のことで悩んでいるかどうかは分からないですよね? 受け付ける相談を黒歴史に関するものに限定するのは無理なのでは?」


 歴奈が感じていた矛盾について訊ねると、意外なことに、ドラゴは首を横に振った。


「夜宵には、黒歴史で悩んでいることを見抜く能力があるから」


「えっ? えっ?」


 一瞬遅れて驚きが襲ってきた。


 ドラゴの表情が、しまったというように僅かに動いた。


「ゴメン。これは部外秘。だから悪いけど、詳しくは話せない」


 ドラゴが口を閉ざし、会話が少し途切れた。


「私は、そろそろ部室に戻らないと」


 ドラゴが腰を上げたので歴奈も立ち上がり、二人で向かい合った。


「歴奈が入部してくれるなら、とても嬉しい」


 入部するとは言えずにうつむいた。


「返事はすぐでなくていい。考える時間が必要だと思う。部外秘のことと、部室で見た彼女の特定に結び付きそうな情報以外は、友達に話して相談してくれてもいいし」


 歴奈は、ただ深々と頭を下げた。


「良かったらまた部室に来て。相談への対応中でなければ、いつでも歓迎するから」


 ドラゴはそう言って踵を返して歩き出した。

 背中を向けた状態で軽く右手を軽く上げた。

 ドラゴは渡り廊下まで進むと、中央棟の方に曲がって見えなくなった。


 一人になった歴奈は、力なくベンチに腰を下ろした。


 ドラゴに言われてどうしようもなく気になったことが、頭の中で反芻している。


『夜宵には、黒歴史で悩んでいることを見抜く能力があるから』


 冷静に考えれば、黒歴史で悩んでいることを見抜く能力などあるはずがない。


 だがドラゴの性格上、歴奈の気を引く目的でわざと思わせぶりなことを言うとは考えにくい。部外秘で話せないということも含めてだ。


 そして、土曜日の出来事が頭を過っていた。


 歴奈は歴史研究部の前まで行ったとき、自分の過去のことを考えていた。

 黒歴史と言うべき、あの忌まわしい過去についてだ。


 そして気が付くと、引き戸の窓の向こうに現れた夜宵から見つめられていた。

 そのとき、まるで心の底まで見透かされてしまったような気分に襲われた。


 さらにその後で夜宵は、「あなたは、黒歴史の相談者かしら?」と訊ねてきた。

 歴奈が黒歴史の悩みを抱えていると見抜いた上で、そう言ったのだろうか。


 ミステリアスで底の知れない夜宵であれば、人智を超えたような能力を本当に持っているのかもしれないという気もしてくる。


 不安に駆られていると、また風が吹いて歴奈の頬を叩いた。


 これまでよりも、その風を冷たいと感じた。


           (■見学編 完)

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黒歴史研究部へようこそ ジョイ晴 @joyharu

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