十五話 冷たい風 後編


歴奈は押し黙っていた。


「やっぱり引いてる?」


「あ、いえ。そんなことはないです」


 ドラゴに心配そうに訊ねられ、歴奈は慌てて首を横に振った。


「なら、他に聞きたいことはある?」


 歴奈は動揺を抑えつつ、頭の中で知りたいことを整理した。


「あの、そもそも黒歴史研究部はどうやってできたんですか? 部員は、二年生のドラゴ先輩と夜宵先輩だけですよね? 去年、お二人で、表向きは普通の歴史研究部として学校に設立を申請して――」


「違う。普通の歴史研究部は、私たちが入学する前からあった。私も夜宵も去年の今くらいの時期に入部して、しばらくは他の部員に混じって普通の歴史の研究だけをしていた」


「その頃にいた、他の部員の方たちは?」


「トラブルがあった影響で、私たち二人以外は部から去った」


「トラブル、ですか?」


「当時の部長と顧問の先生の間で少し揉め事があった。顧問の先生に反発して部長が退部すると、他の部員も一緒に辞めた。結果的に私と夜宵だけが残った」


 そのトラブルについても気にはなるが、今は黒歴史研究部のことだ。


「部員が私たち二人だけになると、夜宵に会うために黒歴史の相談者がちょくちょく部室を訪れてくるようになった。そうなってから聞いたけど、夜宵は入学して間もない頃から、黒歴史のことで悩んでいる人たちの相談に乗っていたみたい」


「元々は部活とは関係なく、夜宵先輩が一人で」


「そう。だから最初の頃は部室に相談者が来るたびに、私は邪魔にならないよう席を外していた。夜宵はそれでは悪いからと言って、部室を区切って相談用のあのスペースを作った。パーティションや備品をどうやって調達してきたのかは知らないけど」


 あのスペースは、そういう経緯で作られたのか。


「だけど同じ部の私に、夜宵への相談の仲介を依頼する人もだんだんと出てきた。その流れで自然と、私も一緒に悩みを聞いたり、色々と手伝ったりするようになった」


「ドラゴ先輩は、三国志の研究に専念したかったのでは?」


「相談が来るのは時々。普通の歴史研究部の活動に、そこまで支障はない。それに相談に来た人たちの悩みが晴れて元気になっていくのを見るのは好き。手伝うのは苦じゃない」


 ドラゴも黒歴史研究部の活動には望んで参加しているようだ。


「私が手伝い始めてしばらく経つと、歴史研究部は黒歴史研究部とも呼ばれるようになっていた。部室名のプレートも、その頃に夜宵が兼用の物に差し替えた」


「今の話を聞いた限りでは、お二人で黒歴史研究部を始めたというよりは」


「夜宵が一人で始めた。今も黒歴史の悩みを解決するのは夜宵が中心。私はサポート役」


 黒歴史研究部の実体は夜宵に帰結するらしい。


「夜宵先輩が黒歴史の相談を受け始めた理由を、ドラゴ先輩はご存じですか?」


「訊ねたこともあるけど、小首を傾げて微笑むだけで、何も言わなかった」


「あの、もしかして、相談料を取っていたりとか?」


「ないない。今も個人でやっていたときも、一銭も受け取ったことはないはず」


 ドラゴが顔の前で手を振った。


 歴奈も、本当に金銭目的だとは思ったわけではい。


「ただ夜宵は、受け付ける相談を黒歴史に関係したものに限定している」


 黒歴史研究部の名前から察してはいたが、何でも相談というわけではないようだ。


「そのことから考えると、夜宵が黒歴史に対して特別なこだわりを持っているのは、間違いないと思う」


 黒歴史に対する特別なこだわり。


 夜宵は黒歴史に対して、何か思うところがあるのだろうか。


「それに、黒歴史簿なんて記録も残しているし」


 ドラゴが軽く息を吐いた。


「赤石先輩について書かれたものを見ちゃいましたけど、あれは一体?」


「黒歴史簿のことは部外秘で、あれを見たことも、これから話すことも、他の人には言わないようにして欲しいけど」


「秘密は守ります」


「黒歴史簿は、夜宵が受けた黒歴史の相談の記録。黒歴史の内容にちなんだ『黒歴史名』というタイトルも付けてる。正直、褒められたものじゃない」


 確かにいい趣味とは言えないだろう。


「しかも記録を残すと人に見られてしまう危険がある。そう言って私が止めても、夜宵は聞かなかった。新しい相談を受けるときに過去の事例の記録が参考になるかもしれない、と言って。せめて厳重に保管してほしいと頼んで、金庫に入れてもらうようにしたけど」


「パーティションのスペースの奥に金庫に?」


 ドラゴがうなずいた。


「赤石先輩の黒歴史簿も、間違いなく金庫にしまってあったはず」


「夜宵先輩は金庫を見せてはくれましたけど、開けたりはしていなかった気が」


「そのときに取り出したということはないと思う。何も持たずに出てきたから」


「確か夜宵先輩は、表のスチール書棚から、黒歴史簿の入った黒いバインダーファイルを持ってきたみたいでしたが」


「でもあれには、前は本当に、『高校生歴史レポートグランプリ』に出した夜宵の古代史のレポートがファイルしてあった。それなのにどうして――」


 ドラゴが首をひねった後で、再び眉間に皺を寄せた。


「あらかじめ、夜宵が中身を入れ替えておいたとしか考えられない。歴奈に見せるために」


「えっ?」


「実は、歴奈が見学に来てくれそうだという話をしたとき、最初から黒歴史研究部でもあることを伝えるべきか否か、私と夜宵の間で意見が割れた」


 歴奈は言葉に詰まった。


「夜宵は最初から伝えたいと言ったけど、私はしばらく伏せて欲しいと頼んだ。普通の歴史が好きで来た子に黒歴史研究部だなんて言えば、絶対に引くと思ったから」


 ドラゴの予想通りだ。黒歴史研究部だと分かった時は帰りたくなった。


「夜宵は折れてくれたけど、本当は納得していなかった気がする。だから割と秘密度の低い赤石先輩の黒歴史簿を、あのファイルに前もって入れておいて、歴奈が見るように仕向けた。偶然を装って、自分たちが黒歴史研究部だと伝えるために。間違いないと思う」


 言われてみると、夜宵は意味ありげな笑みを浮かべていた気がする。


 それに今日の昼休みにも部室に来たと言っていたが、そのときにファイルに細工をしたということなのか。


「時々、夜宵のことが分からなくなる」


 ドラゴの眉間には皺が寄ったままだ。声も少し沈んでいる。


「夜宵は考えていることに限らず、自分の過去のことも、あまり話そうとしない」


 昨年から歴史研究部、そして黒歴史研究部として一緒に過ごしてきたドラゴでさえ、夜宵については分からないことが多いらしい。


「おっとりとしていてみんなに優しく接しているけど、本当は、誰にも心を開いていないのかもしれないと思うこともある」


 誰にも心を開いてない――。

 夜宵の謎めいた不思議な印象が、一層強まった気がした。


 また少し、風が吹いた。

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