第十二話 符合
目の前で何かが揺れるように動いている。
歴奈の顔の前で、夜宵が広げた手の平を左右に動かしていることに気付いた。
「大丈夫?」
夜宵の声で我に返り、歴奈はコクコクと二度うなずいた。
フラッシュバックで呆然としていたらしい。
夜宵が手を引っ込め、長テーブルに乗り出していた体を向かいの席に戻した。
そして再び、はにかんだような微笑を歴奈に向けた。
斜向かいのドラゴを見ると、少し気まずそうに視線をそらした。
歴奈は笑おうとしたが、自分の口から聞こえた笑い声は、いびつなものだった。
本当にこの部が黒歴史研究部だと確信した動揺を隠せず、歴奈はうつむいた。
先週の土曜、夜宵に会って最初に言われた言葉は一部が聞き取れなかった。
だが――。
『あなたは、【黒】歴史の相談者かしら?』
実はそう言っていたはずだ。黒歴史研究部だから、『黒歴史の相談者』が訪れる。
ドラゴも『普通じゃない歴史も研究しているし』と言っていた。
普通ではない歴史の研究。すなわち、『黒歴史』の研究。
少なくとも、赤石の黒歴史について『研究』したのは間違いないはずだ。
部室に来る途中、歴奈は赤石の口にした『フェイク彼氏』のことが気になり、ドラゴに赤石との関係や相談のことを訊ねた。
ドラゴは口を濁して話題を逸らしたが、『フェイク彼氏』のことは、先ほど見た『黒歴史簿』にしっかりと書かれていた。
ただし『黒歴史簿』に書かれていたように、赤石を本当に助けたのかというと相当に怪しい。
赤石は自分で『フェイク彼氏』のことをSNSに公表したと書かれていたが、そんなことがあるだろうか。少し見ただけだが、赤石は自分が格好良い存在だと思われていないと気が済まないタイプのように感じた。
赤石本人ではなく、夜宵かドラゴが暴露したと考えた方が自然だ。
黒歴史研究部がそういった悪事を行っている場合、活動内容をそのまま文書に残したりはしないだろう。やはり『黒歴史簿』の内容は、多分に歪曲されている可能性が高い。
そうなると赤石は『相談者』ではなく、『被害者』ということになるのではないか。
赤石以外にも、この部室を訪れて被害に遭った者は何人もいると考えた方がよさそうだった。
夜宵とドラゴが使う分以外にも、マグカップや飲み物の備品が多数揃えてある。
これまでに感じていた違和感が、この部が黒歴史研究部だという事実に符合していくにつれて、入部したいという気持ちは霧散していった。
夜宵とドラゴへの尊敬も既に消し飛んでいる。
二人のことは、著しく性格の歪んだ不審者のようにしか思えなくなっていた。
黒歴史を研究して調べ上げ、その内容を嘲笑する。
人の黒歴史を暴露して、評判を貶めて喜ぶ。
黒歴史のことで弱みを握った相手に、ゆすりたかりを仕掛ける。
そんな光景が目に浮かんだ。
もしや先ほど歴奈が飲んだ紅茶は、黒歴史を白状させるための自白剤入り――。
そんな疑念さえも胸中に渦巻き始め、思わず身震いした。
つい先ほどまでは、入部を申し出る寸前だった。
それなのに今では、波風を立てることなくこの部室から退散するにはどうすればいいのかを、必死で考えている。
小さく物音が聞こえた気がしたが、それよりも脱出方法の検討のほうが大事だった。
「メグ――」
「しっ」
ドラゴ、夜宵の緊迫した声が耳に入り、歴奈は顔を上げた。
何かを言いかけたドラゴを、夜宵が口の前で人差し指を立てて制止したようだった。
ドラゴは眠そうな顔をしていない。大きく開いた目で、歴奈の斜め後ろを見ている。
その視線の先を見て歴奈はゾッとした。
出入口のあたりから、女子生徒がゆっくりとこちらに向かってきている。黒いセーラー服姿でスクールバッグを右肩に掛けているため、潮乃音高校の生徒であることは分かる。
だが、尋常な様子ではない。
うつむいた顔は長い髪に隠れていてほとんど見えない。そして、前傾気味で両腕をだらりと体の前に垂らしている。まるで、ホラー映画の幽霊を感じさせるような風貌だった。
ドラゴが立ち上がり、素早く女子生徒に歩み寄った。
「あの、眼鏡が外れてしまったところを、見られてしまったかも、しれなくて」
女子生徒の、途切れ途切れの声が聞こえた。
「大丈夫。もし何かあっても、きっと守るから」
ドラゴが宥めるように、女子生徒の肩に触れた。
夜宵も女子生徒に近づき、パーティションの方を指差した。
「話しは奥で。ね?」
女子生徒が小さくうなずいたように見えた。夜宵とドラゴが女子生徒を歩かせ、三人でパーティションの奥に消えた。
「ごめんなさい。ちょっと急用で」
夜宵がパーティションから顔だけを出して言った。顔の前で片手を立てて、ゴメンという仕草をしている。そして、すぐに奥へと引っ込んだ。
入れ替わるようにドラゴが出てきた。パーティション前に並んでいる椅子から、歴奈のスクールバッグを取ってこちらに向かってくる。
「悪いけど、今日は帰る準備をして」
「あ、はい」
歴奈は立ち上がり、差し出されたスクールバッグを受け取って持ち手に肩に通した。
開いたままの引き戸から部室を出た。小さく聞こえた物音は、あの女子生徒が戸を開けた音だったようだ。
ドラゴが自分で掛けたカーテンをくぐって外に出て来た。そして引き戸を閉めると、廊下や階段の下を見渡したようだった。今は無人だ。
鍵を閉める音が聞こえて振り返った。引き戸の窓の向こうに夜宵がいた。また歴奈に、ゴメンという仕草を見せた。歴奈は戸惑いつつも会釈を返した。
夜宵が、ドラゴとうなずきあった後でカーテンの向こうに消えた。
「途中まで送る。話さないといけないこともあるし」
部室から出られても解放はされないらしい。予想はしていた。
歴奈は触れてしまった。
歴史研究部の正体が実は黒歴史研究部だという、触れてはいけない秘密に。
それだけではなく、黒歴史研究部の被害者と思しき女子生徒にも遭遇してしまった。
あの女子生徒が被害者なのは明白だろう。パーティションの奥に隠し、歴奈を部室から出して接触させないようにしたことがその証拠だ。
ドラゴは、周囲に見られていないかの警戒もしていたようだった。
「行こう」
ドラゴと一緒に歩き出したが、後ろ髪を引かれるような気分に駆られた。
足を止めて部室の方に振り返ったとき、やはりと思った。
「忘れ物?」
「いえ、大丈夫です」
ドラゴと階段を下りながら、部室名のプレートのことを考えた。
歴史研究部という文字の前の、黒塗りの四角。以前からなぜか気になっていたが、振り返って見たときに、その謎が解けた。
四角は完全に黒く塗りつぶされてはおらず、目立たない細い灰色で、『黒』という文字が縁取りされていた。
つまり部室名のプレートには、『【黒】歴史研究部』と、最初から書かれていた。
そのことも、歴史研究部の正体が黒歴史研究部という事実に符合していた。
黒歴史研究部を見学してしまったという現実が、歴奈に重くのしかかってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます