第二話 潮乃音高校


 歴奈は腑に落ちない気持ちを抱えたまま、階段を下っていた。


 踊り場で折り返すと、白い制服姿でスクールバッグを背負った女子が下から手を振ってきた。ぼんやりとしているうちに、一階のすぐ手前まで下りてきていたらしい。


れきちゃーん」


 呼ばれたので早足で階段を下りて、榊原さかきばら文華ふみかと向かい合った。


 歴奈の目の高さあたりまでの身長。少し小柄だ。確か151センチと言っていた。


ふみちゃん、お待たせ」


 中学は別だが同じ塾に通っていた友達で、「れきちゃん」、「ふみちゃん」と呼び合っている。


「大丈夫よ。ほとんど待ってないわ」


 文華が首を横に振ったあとでメガネの位置を整えた。フチなしのキツネのようなツリ目メガネ。瞳は大きくパッチリしているが、メガネの形と同じで少しツリ目気味だ。


 髪は何本かのヘアピンでアレンジして斜め前髪にしている。襟足のバンスクリップでまとめたキリっとした印象の髪型だ。幼さが残る顔立ちながら、知的な雰囲気が漂っている。


 実際に頭もいい。塾での成績はトップクラスで、今では潮乃音高校の特待生だ。


「まだ図書室だと思ってたよ。文ちゃん、本の虫だから」


 歴奈は歴史研究部に、文華は図書室に行くということで、ここまで来て一度分かれた。


「図書室、開いてなかったのよ。週末に読む本を借りたかったのに」


 文華が頬を膨らませた。好きな本のことになると、知的な印象よりも幼さが前面に出る。


「歴ちゃんも早かったわね。歴史研究部も、今日はお休みだったの?」


「部長さんがいたけど、今日の見学は無理だって。でも来週の月曜日ならいいみたい」


「やっぱり来週からなのね。それで、部長さんはどんな人だったの?」


「すごい美人だった。何だか、不思議な感じの」


「ふーん。でも良かったじゃない。歴ちゃん、部員が男子だけなら嫌だって言ってたし」


 歴奈は人見知りで、相手が男子の場合、なおのこと緊張してしまう。


「そうだね。女子の部員がいると分かっただけでも、行ってみた甲斐はあったのかな」


 歴史好きには女子も増えているようではあるが、男子の方が圧倒的に多数派だ。


「でも、今日はこれ以上学校に残っていても仕方ないわね」


「うん。帰ろう」


 文華と一緒に、中央棟から教室棟への渡り廊下に出た。


 渡り廊下の左側は体育館だ。体育館と中央棟の間は自動販売機のある休憩所になっている。そこのベンチに学ラン姿の男子二人が腰を下ろしてジュースを手に談笑していた。女子のセーラー服と異なり、男子の学ランは黒だけらしい。


 右手は中庭だ。中央棟と教室棟、それをつなぐ四本の渡り廊下に囲まれている。一階だけでなく、三階にも二本の空中渡り廊下が通っている。


 中庭にもいくつかベンチがあり、スマホを見たり菓子パンを食べたりしている生徒たちの姿が見えた。春の陽気で心地よさそうだ。


「体育館も閉まっているわね」


 文華の言う通り、渡り廊下に面した体育館の二つの扉はどちらも閉じられていた。


「そうだね。部活のプリントだと、バスケ部と卓球部の活動場所だったっけ?」


「そのはずよ。運動部は週に五、六日練習するところがほとんどだから、土曜日も活動日だと思うわ。新年度になったばかりで色々切り替わりの時期なのかも。顧問の先生の交代とか。図書室が開くのも、図書委員が変わる影響で来週からだそうよ」


 大黒が立て込んでいると言っていたのも、顧問の交代などが理由なのかもしれない。


 一昨日、入学式と始業式で初登校したばかりだ。クラス発表で文華と同じクラスだと分かったときは嬉しかった。昨日が初めての授業で、今日はクラス委員決めなどがあった。


 教室棟の校舎に入った。すぐ近くに登下校用の昇降口がある。

 文華と一緒に一年A組の下駄箱に行って上履きからローファーへと履き替えた。


 昇降口を出ると右側の通路を進んで駐輪場に向かった。すれ違う生徒たちは自転車を押しながら歩いている。校門を出るまでは自転車には乗らないルールになっていた。


 歴奈たちも駐輪場から自転車を押して校門の外まで歩いた。


清海市せいかいし私立しりつ潮乃音しおのね高等学校こうとうがっこう


 校門近くの学校銘板が目に入った。この学校は略されて『潮乃音高校』、または単に、『潮乃音』などと呼ばれている。


 市立いちりつではなく私立わたくしりつだが、校名には清海市が入っている。


 清海市は都会と田舎の中間のような市だ。地方都市と言われるような西側の市と、やや田舎の北側の市と電車で繋がっている。南と東は海だ。


 東の軽河湾にJ字型に突き出た四キロほどの細長い半島を、間帆まほ半島はんとうという。


 砂嘴さしと呼ばれる地形だ。この学校は間帆半島の付け根から1.5キロほど進んだ位置にある。海は近いが、それでも校名のように波の音が聞こえるわけではない。


 自転車を左に向けてサドルに跨り、文華の後ろに続いて走り出した。


学校の前は並木道だ。街路樹のせいで少し狭くなっているのがやや不便だが、木々の梢がアーチのようになっている風景は好きだった。木漏れ日が差している。


 並木道を抜けたところで車道に出て、文華の横に並んだ。


 すぐ先の『潮乃音高校前』のバス停を通過した。バスを待っているのは数人だった。バス通学が少数派だからだろう。だが、間帆半島に電車は通っていない。


 駐輪場の自転車の数などから考えると、間帆半島の外から自転車通学している生徒がほとんどのはずだ。徒歩で通えるほど近い距離に住んでいるのは一握りだろう。


 しばらく走って自転車道に入った。右手の建物の切れ間から、真帆半島西側の荻舵湾おぎだわんがちらちらと見えた。この荻舵湾を迂回するには南端の付け根まで行く必要があるため、半島と行き来するのにはどうしても時間が掛かる。


 そうでなくても歴奈の家は遠い。通学時間は、文華の倍以上だ。


「帰るまでにお腹空いちゃうでしょ? 『ベイプラザ』でご飯食べていかない?」


 文華の言う『ベイプラザ』とは、間帆半島付け根あたりの位置にあるショッピングモール、『ベイプラザ清海』の略称だ。多数の店舗があり、飲食店も充実している。


「いいね。寄っていこうよ」


 空腹うんぬんよりも、文華と一緒に食事ができることが嬉しかった。

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