039 選択

 こちらに向いている腹にあたるじゃばら状の部分が波打っている。さっきの音は反対側の背のほうで亀裂きれつが生じたことによるものだろうか。茶色に見えていたさなぎからが明るく光輝き始める。しだいにそれは黄金の輝きへと変化していく。そして蛹の上部から崩れていき、さらさらとその金色の粒子が地面へと消えていく。蛹の外殻がいかくがすべて失われ、現れたのは、柔らかな光に包まれたナニカ。


「な、何ですかこれは……? ああ、こんなことがあっていいはずがない! 一体あなたは何だというのですか……」


 神父がその場にへたり込む。隣のイタリア男は目を閉じて首を振っていた。


「きれいです」


 小夜さんの感嘆かんたんするつぶやきが聴こえた。一方の沙也加のほうはなぜか涙を流してソレを見上げていた。


 あれは『使』。


 そう言わざるを得ない光の存在。


 その輪郭はぼんやりとしており、見方によっては宗教画に見るような翼の生えた天使を想像させるし、そうではなくペガサスにも思えてくる。はっきりとはしない光の塊が不規則にその輪郭を変化させている。俺の脳の進化の初期からあるだろう部分が、ひれ伏すようにと命じているようにも感じられた。その神々こうごうしさはそこに居る俺達の言葉を失わせた。


 

 ア・リ・ガ・ト・ウ……



 光の存在が俺を見た気がした。



 バチッ。



 ここは見覚えがある。真っ暗だがまたたかない星がいくつも見える。ああ、また来てしまった。大気圏たいきけんの遥か彼方かなただ。そして俺の眼の前で微笑んでいるのはかつて見た美しいの姿。彼は何も身に着けておらず裸だった。そういう俺も服を着ていない。だが、見慣れたアレをお互いぶら下げているだけで特に恥ずかしいという気はしなかった。彼が右手を上げるとその宇宙空間を飛来する一羽の白鳥はくちょう、ではなくライチョウ。先生か……。背中にはが乗っている。


『これまた凄いところに呼ばれてしまいましたねぇ』


『トモダチ! トモダチ!』


 地面などないはずなのに着地してぼやく先生とは対照的にその背でうれしそうに跳ねる禍津神。は笑顔でそれを見ている。


 彼が俺の手を取る。その手にはふつうの人間の温かみがあった。身体がふわりと浮かぶ。彼に導かれるように向かう先は、青く美しい俺達の故郷の星。とんでもない速さで飛行しているはずなのに風圧も重力も一切感じない。後ろを見るとライチョウ先生が相棒を乗せて優雅に飛んでついてきている。青い海に青い空、見事な自然を見下ろしながら飛んでいる。しばらくすると広大な平野が広がる。あれははななのだろうか一面黄色い絨毯じゅうたんのようだ。さらに進むと特徴的な三角形に尖った山が見えてきた。あれはマッターホルンだったか。見えてきた湖面にはその姿が逆さに映っている。そんな雪景色の山々の間を抜けて進む。


 彼が俺のほうを振り返って笑う。その先に見えてきたのはパルテノン神殿。俺が記憶で見た完成したばかりで新しかった建造物は長い時代の流れによって、もう遺跡そのものだった。たくさんの観光客の姿も見える。あの時見たのとは違い人々の表情は明るく楽しそうだ。彼らのすぐそばを飛行して通過するが、やはりこちらの姿は見えてはいないようだ。子どもたちがはしゃぎ、恋人たちが愛を語らっている公園。にぎやかな市場いちば。平和で幸せな光景が続く。


 海を渡り、色彩豊かな建物が見える大きな島を通過した頃、一転して厚い灰色の雲が空を覆う。遠くに砂漠が見えてきた。エジプトだろうか、はっきりとは分からないがあれはピラミッドなのだろうか。そこから左へと彼に引かれて旋回せんかいする。見えてきた金色のタマネギ型の屋根はモスクだろうか。その下方に巨大な壁が見えてきた。多くの人々がその壁に向かい、ある人は手や頭をつけ祈っている。


 さらに彼は右へと方向を変えた。そこは破壊された建造物だろう、瓦礫がれきの山があった。武装した兵士たちが小銃を撃ちまくっている。離れた場所で煙と巨大な炎。何かが爆発した。それほど離れていない場所まで飛行したが、そこでは人々が何気なにげない日常の生活を送っているように見えた。


 彼が俺の手を握る力が強くなった気がした。そしてふるえているような気がした。彼は方向を反転して北へと向かう。彼の表情はいつからだろうか感情が見えなくなっていた。ここも破壊された巨大な建物が並んでいた。地上には兵士の姿。さらに進んだ平野では戦車が隊列を組んで進んでいた。何か黒いものがそれに向かって飛んでいる。ああ、あれは見た記憶がある。軍事ドローンの攻撃を受けて隊列を外れ爆発する戦車が数台見えた。


「これは、俺がなの?」


 俺の口から思わずそんな言葉がでてしまった.


 あの壺から感じたのはこの戦場から感じる気配と同種のものだった。あのとき飛んでいったどす黒いものが、きっと世界に拡散されたのだろうということを、俺は薄々うすうす気づいていた。世界中の負の感情を、あの壺が長い年月を掛けて吸収していたのだとすると、俺がしたことは……。


 彼は俺を振り返り、空中に静止した。そしてゆっくりと首を横に振る。


 そして俺をやさしく抱きしめた。


『人類ハ・皆・スル。無数ノ選択。ソノ結果ガ・未来ヲ・ツクル。人類ノ・選択ノ・結果。ソコニ・



 バチッ。 

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