038 羽化

「おっ、おお!?」


 虫かと思ってあわてふためく俺の目の前に小さな黒いクモのようなのが、ふわふわと浮かんでいた。


「ま、禍津神……、なのか?」


 こぶし大サイズになった俺の相棒が、その穴でしかない目、鼻、口で不思議そうな表情をつくって俺を見上げていた。その頭部側面から無数に生える右腕はわしゃわしゃと動いているのだが、なぜかペットの犬がご機嫌に尻尾を振っているのと同じ様に俺の目には映っていた。


『オデ、トモダチ。アレ、トモダチ?』


「えっ?」


『オデ、トモダチ。アレ、トモダチ?』


 禍津神が繰り返す。アレか……。うん、そうだな。


「彼は俺の大切なトモダチ。いや、トモダチ


『カレ、トモダチ。オデ、トモダチ』


 そう相棒は言ったかと思うと消えてしまった。


「な、何ですか!? これは?」


 神父の慌てる声が聴こえてきた。その方向を見ると壺がイタリア男の手を離れて浮き上がっていた。壺の下には禍津神がいて、逆さになって持ち上げているようだった。浮き上がる壺をなんとか抑え込もうとする二人。


『キミトくん、いますからね』


 すっと上空から白いものが高速で飛んできたかと思うと壺をさらってしまった。あれはライチョウ……先生か。禍津神はライチョウ先生の背の上に乗っているのが見えた。そして俺に向かって飛んできた。


「あわっ!」


 落ちてきた壺をなんとかキャッチした。 


 これは間違いなくヤバい代物しろものだ。黒い壺の表面には幾何学模様。これは文字なのだろうか、エジプトのヒエログリフだったか動物や人、道具を連想させる象形文字がびっしりと刻み込まれている。不快な気分にさせる黒いもやがそのふた隙間すきまから染み出していた。


「おお、キミトさん。その壺はたいへんに貴重なものでございますれば、どうぞこちらに」


 神父は俺がこの壺を取り返してくれたと思っているらしい。イタリア男がこっちに歩いてくる。


 これが……、この壺がすべてを狂わせたんだ。こんなものさえなければも……。


 俺は壺を二人によく見えるように


 そして……。


 

 地面に思いっきり、

 


 壺は粉々になり、黒く禍々しい雰囲気のモノが空へ何本もの筋となって伸びていく、それが上空でさらに枝分かれして四方八方へと拡散していく。


「な、なんということを……」


「イエ……、コレハ、好都合カモシレマセン。予定ガ早マッタノダト考エマショウ」


 二人は俺に怒ることもなく空を見上げていた。


 俺の足元の壺の破片は、それ自体がその黒い瘴気しょうきのようなもののもとになっていたようで、その数を減らしていく。最後にキラキラ光る小さな何かが残った。俺がそれに手を伸ばした瞬間、それは勢いよく飛んだ。それは怪物になってしまったのほうに飛んでいくと、そのまま吸収されてしまった。


 何だ?


 彼は羽ばたきを止めてしまったが、空中に静止したまま浮いていた。その強固で硬いはずの外皮がどんどん崩れていく。


 あらがうことをあきらめてしまったのだろうか?


 俺がそう心配すると同時に、様々な昆虫のパーツのぎの隙間、彼の体内から強い光が溢れ出す。まばゆ閃光せんこうが真っ暗だったあたりを白一色に染めた。


「おおっ、なんとあの姿は完全体ではなかったというのですか! 素晴らしい! やはり『』は間近なのですね。さてさてどのような破壊神が現れるのか」


 神父が何かひとり叫んでいる。目をこする俺の前にあったのは巨大な『さなぎ』 だった。茶色い楕円形の丸いフォルム。蝶やさなぎに近いだろうか。いびつな感じはなくまったく完全な蛹の形状をしている。気づくと俺の足元にライチョウ先生が居た。その背には小さくなった禍津神が乗っかって俺を見上げていた。


「先生、あれは一体何なんだよ?」


『いえ、私にもまったく……。あのからの中でナニカが生成されようとしているのですが、一切透視ができません。神の所業かはたまた悪魔のソレなのか……』


『トモダチ……』


 ちび禍津神のその言葉が、ミシミシという音でかき消された。


「何かが出てくるわ!」


「あれは……」


 沙也加と小夜さんの言葉に、先生と禍津神を見下ろしていた俺は顔を上げた。

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