納豆とキムチ

仕事が終わって、夜の8時過ぎ、自宅の最寄り駅につく。


家に帰ってもご飯はないので、駅ビルのレストランで夕食をすませることにしよう。


入ったのは大戸屋。信頼と安定のお店だ。


案内されたのはカウンターの席。


満席じゃなくてよかったと思いながら席につく。


自分のすぐあとに、40代ぐらいのおじさんも入店。


席を一つあけた隣に座った。


店内はお一人様が多く、静まり返っている。


ここの大戸屋は注文がタッチパネル。注文する声すらないのだ。


私が注文したのは「ナスと豚肉の炒め物定食」。夏らしいメニューだ。


静かなお店で食事がくるのをただ待ち続ける。


「お待たせしました、ご注文の品です。」


お盆の上には、炒め物とご飯とお味噌汁。


そして、納豆とキムチがあった。


ずいぶんと盛り沢山な定食だな。


そう思った私は、


「朝ご飯みたいだな」


そうつぶやいてしまった。


普段は絶対独り言なんか言わないのに。


なぜかその時は気が緩んでいたようだ。


納豆とキムチが乗っている定食を見て、「朝ご飯みたいだな」と声を出してしまったのだ。


静かな店内に響き渡る自分の声。


恥ずかしい……。


気を取り直して、いただこう。


箸を取り出し、食べようとすると。


「お客様、すみません。お客様は納豆とキムチは頼まれていないですよね?」


店員さんが焦った様子で聞いてきた。


私の回答を待たずに話を続ける。


「お客様がご注文されたのはサイドメニューなしのこちらの定食でしょうか?」


テーブルにおかれたのは、ナスと豚肉の炒め物とご飯とお味噌汁。そのお盆には納豆とキムチはない。


「あ、そうかも知れないです。」


「大変失礼いたしました。こちらをお召し上がりください」


お盆が交換される。

納豆とキムチが乗ったお盆は店員の手の上に。


どうやら間違えていたようだ。納豆とキムチが定食にデフォルトで含まれているわけないよな。


あのセットはいったい何だったんだろう。お盆の行方を見ていると、隣の席のおじさんの眼の前に置かれた。


「大変失礼いたしました。こちらがご注文のナスと豚肉の炒め物定食と納豆とキムチのサイドメニューです」


私とほぼ同時刻に入店したおじさん。私の隣の席に座って、同じタイミングで同じ定食を注文していたようだ。


片方はサイドメニューなし、片方は納豆とキムチのサイドメニューつき。


出来上がったのも同じタイミングだったので、店員さんが間違えてしまったようだ。


こんなこともあるんだなぁ、と思っていたら、なんだか隣のおじさんがちょっと怒っているようだ。


ため息をついて、見るからに私は機嫌が悪いオーラを醸し出している。


店員さんは再度深く頭を下げる。


あ、やばい。


そういえば、納豆とキムチのセットを見て、「朝ご飯みたいだな」って声に出してた。


おじさんのこと馬鹿にしたみたいになってる。あれが火に油を注いでしまったのか?


いや、そもそもあれが怒りの正体か?


ごめんなさい、納豆キムチおじさん。


ズルズルズル〜っという納豆をすする音を耳にしながら、私は急いで定食を平らげ、そそくさと店をあとにしたのだった。


今度おんなじメニュー頼んだときも、納豆とキムチはつけないでいようかな。


隣の席の人に「朝ご飯みたいだな」って言われたらなんか嫌だし。

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日々のめも 子鹿なかば @kojika-nakaba

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