六 神の領域

 色素の薄い榛色の瞳が、睡蓮を睨む。

 鋭い鷹のような瞳と、色素の薄い茶褐色の髪。くっきりとした目鼻故か。秋雪とはまた違った整った顔立ちは、冷徹の噂に違わぬ鋭い顔つきのまま睡蓮を出迎えた。

 目は見るからに威圧的な顓頊せんぎょく皇太子殿下を前にして睡蓮は怯む事はなかった。毅然と居住まいを正して身構える様子すらない。

 それは、背後に天擂が護衛のように佇んでいるからではなく、睡蓮の持ち前の度量である。

 そんな睡蓮の様子に、顓頊はふっと笑った。


「弟は愚かだ。そなたを妻としていれば、こうの地位として生きていけたものを」


 顓頊の淡白な物言いには余裕があった。何よりも、こうとは皇族から外れた身分の事でもある。


「……私との婚姻以前に、皇太子は顓頊第一皇子殿下と決まっていたという事ですか」

「そなたと婚約した頃合いから、弟の精神性の脆弱さが目立ってな。この九年で顕著になった結果だ。だが、あれでも皇后の第一子。私が存在せねば、あれが次代の皇帝に成り得ていたのは確かだ。だからこそ、利用し易い弟を推す者も多かった。まあ、それも一掃されるがな」


 語り終えた顓頊は再び鼻を鳴らして笑った。当人にしてみれば喜ぶ結果なのだろうが、性格なのか語り口は常に淡白なままだ。


。それで、そなたの今後だが」


 口調は変わらずも目は射抜くように鋭い。


「隠れて生きたいならそうすれば良い。こちらもそれなりに援助するつもりだ。だがこの特例はそなたが異能を持っているが故であると理解してもらおう。こちらも見返りがあってこその援助なのだと」


 睡蓮は姿勢こそ崩さなかったが、僅かに自身が喪失したように目を伏せた。


「殿下、私の異能は既に消えております。返せる手立てが無いのが現状でございます」

「何故消えたと考えた」


 顓頊の思ってもない突飛な返しに、睡蓮は戸惑う。


「……使えなかったからです」

「使えなければ消えたと同義になるのか」

「それは――」


 顓頊は肘置きに肘を突き、身体を傾けてしかし目は卓の上のどこをも見ていない。まるで考え込むような姿勢で顓頊は更に言葉を続けた。


「異能とは神の祝福。つまりは神の領分だ。神を人智で推し量る事が不可能であるように、異能もまた同義」

「ですが、もう十年も……」

「神であれば十年など刹那であろう。考えるべきは時間ではなく、使えなくなった要因だ」


 要因とされる事案。睡蓮には思い当たる節はあった。あの日は治療院への来訪が異様に多かったのだ。異能を使いすぎると、肉体にも精神にも異常をきたす。限界間近のところへ、白髪の――


「白秋雪しゅうせつ様が最後に治癒を施した方でした」

「ああ、白家の子息。彼は龍を宿した者だ。つまりは龍気を持つ者。当時の事故で負った怪我は命に関わるものであったと聞く。即ちそなたは龍気に触れねば治す事は不可能であった筈だ。それにより、一時的に肉体と精神が限界を迎えた」

「では、異能もまた限界を迎えて眠っていると?」

「あくまで推測だ」


 睡蓮は黙り込む。何も顓頊を疑っている訳ではなく、事実時折治し難いと感じる人物はいたのだ。そして最たるものは、白秋雪の治癒は極めて困難と感じた事も。


「異能を完全に理解するなど不可能だ。いつ目覚めるのか、生涯このままなのか。だが、異能が神の意思であるならば、宿した事に意味はあるだろう。意味が来たその時、力を貸せ。それが見返りだ」


 睡蓮は意味も無く自身の手を見つめる。確かにあった力の実感を残したままの掌は矢張り何も感じない。けれども、道術の端くれを覚えて気の流れだけはしっかりとその手にある。

 睡蓮は顔を上げて顓頊の鷹にも似た鋭い瞳を見つめ返して、一つ頷いて返した。


「それで、」


 と、最初の話へと戻ったのだと悟る自然と唇は動く。睡蓮の心はもう決まっていた。


「もう一度、治療院を……もう人の手に渡ってしまいましたが」


 睡蓮にとっては一大決心だったが、顓頊の言葉は軽いものだった。


「そうか、そなたの言葉であれば現在の院長は簡単に立場を譲るだろう。だが、あれは治療院ではなく今後は道院とせよ。その方が何かと都合が良い。名前は好きに決めろ」

「ですが、道主がおりません」

「そなたがなれば良いではないか」


 またも、淡白な口は軽く言う。


「やる事は同じだが、仙女率いる道院とすれば聞こえは良い。勿論、援助はする」


 あっけらかんと言い放つ男は、睡蓮ができて当然のように言う。


「それと、そなたには護衛を幾人か着ける。一人はそこの男だ好きに使え」


 あれよあれよと目まぐるしく決まっていく事柄の中で、睡蓮は目を逸らしていた事実に肩が跳ねた。


げん太尉たいいの三男だが、父親から言質はとってあるから気にするな」


 そろりと背後へと目をやると護衛同然に立っていた男――天擂と目が合うも、睡蓮は気恥ずかしくなりそのまま目を逸らして再び顓頊と顔を合わせた。


「他に決めておきたい事か聞いておく事はあるか。具体案はどの道後日だが」


 睡蓮の望みは概ね叶う状態だ。皇太子が後見となる道院ともなれば下手に手出しする者もいない。

 自身の異能の件もすっきりとした今、睡蓮の脳裏に浮かんだ事は一つだけ。


「第二皇子殿下は何故私を嵩天山すうてんざんまで運んだのでしょうか。時間も手間もかかる。殺害と言う手段において実用的とは言い難い筈」


 睡蓮は自身が殺されそうになった時を思い返す。確かに狙い通り妖魔は睡蓮の前に現れ、そして――阻まれた。


「一つは入れ込んでいた女がいたという事。まあ、その女はあっさりと行方をくらませたが。もう一つは恐らく劣等感だ」

「劣等感?」

は皇后に支配され皇帝に成るべくして育てられた。しかし、それも叶わず、好いた女とも婚姻出来ない。その上、そなたは一度あれに刃向かった。しかもの矜持を見事に傷つけて、だ。そなたが仙女らしくあればある程、己が劣っていると感じた。だから、そなたは悲劇の死ではなく惨めな逃亡者として死んで欲しかったのだろう。これも、あくまで推測だが」


 睡蓮は膝の上に置かれた手を思わず握る。が、心の内ですとんと何かが収まったような気もして、全てを忘れてしまえるように目を伏せた。

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