四 悪意の対面①

「着いたようだ。さあ、降りなさい」


 皇后が促すと同時に、外からも客車の扉が開かれる。先程、睡蓮を追いやった女二人に加え、武官らしき男が三人。睡蓮を逃すまいとした瞳が、四方から突き刺す。睡蓮は躊躇うも、「さあ、」と痺れを切らして一段と低くなった皇后の声が、嫌でも足を動かした。


 睡蓮が馬車を降りたそこは、本殿からも離れた離宮のような建物だった。ただ賓客を迎える宮とは違い、窓は少なく、あっても格子が嵌められている。

 石煉瓦造りの外観の入り口は強固な鉄扉。外からはかんぬきが掛けられるようになって、まるで誰かを閉じ込める為の牢屋のよう。

 それが誰かなど背後に皇后いる時点で考える間でも無い。

 

 四方を囲まれ、更には皇后の目。蛇のように執拗に、獣のように鋭く睡蓮を捉えて離さない。

 そうして一人の武官が閂を外して押し開けば、堅い鉄扉が王業な音を立てた。


 薄闇の廊下が視界の入ると、もうそこに逃げ場はないような気もして。しかし後ずさる事すら許さないと言うように、皇后が背後から睡蓮の両肩を押さえつける。


燦潤さんじゅんがそなたの来訪をどれだけ心待ちにしていたか。さあ、仙女睡蓮。遠慮は不要だ。入りなさい」


 母の情愛が篭った。それでいて恐怖へ誘うような嫌な声色だった。

 睡蓮は仕方なく従うしかなかった。それと並行するように、女や武官も睡蓮を囲ったまま、絡みつくようにして薄闇の中へと足を踏み入れた。



 薄暗い廊下を何歩か進むとまた鉄扉が現れる。それが開かれた先。そこは、至って何の変哲もない離宮ではあった。


 簡素だが、牢屋とは言い難い。皇族や上級貴族を拘束しておく為の場所なのか、寝台や文机、くつろぐ為の長椅子や本など必要最低限の生活が保証されている。


 その部屋の中央の長椅子に、第二皇子はいた。呆然と無気力に項垂れて、身姿はそれなりに取り繕われてはいるが着崩れが目立つ。

 だらりとした姿の首が、ゆっくりと持ち上がる。誰かが入ってきた事に漸く気付いたと言った様子で視線を入り口へと気怠そうに向け、しかしその表情は希望でも見たかのように一瞬で輝きを帯びていた。


「ああ、睡蓮。よく来てくれた。会いたかったよ」


 それまで無気力が嘘だったかのように、希望で満ち溢れて立ち上がった第二皇子。まるで恋人同士の逢瀬を思い描いたのか、両腕を広げて睡蓮を迎える。それに乗じて、睡蓮の背後では背を押しやって抱擁を受け入れろと言わんばかりだ。

 しかし受けれられるわけもない。

 敵は六人。押さえつけられたなら敵うはずもない状況。だからと言って屈するなど到底できない睡蓮は口を開く。


「殿下、誰かと勘違いなさっているのでは。私と殿下がお会いするのはこれで二度目で御座います」

「何を言っている。そなたは私の妻になる女だ。遠慮は必要ない」


 前へと押され、第二皇子の腕が睡蓮へと届いてしまった。逃すまいと掴まれた睡蓮の上腕にギリリと痛みが走った。

 そんな事に気がつく様子もない第二皇子は睡蓮を長椅子へと連れ立って無理やり座らせると、互いに向かい合う形となる。

 睡蓮は隙を伺おうと皇后達の方へとそろりと視線を向ければ、皇后達は退室していく。

 ぎぎ――と嫌な音を立て、堅い鉄扉が閉ざされ二人きりにされた睡蓮は、自身の手を握りしめる男へと視線を戻した。

 九年前のような威厳も覇気も無い。怯えて、死を恐れる、皇族とは思えない程に弱々しい男。そんな男から飛び出す言葉も、恐怖が帯びる。


「睡蓮、このままでは私は異母兄上あにうえに殺されてしまう。だが、異母兄上とて仙女の夫を殺そうとは思わないだろう。だから……」

「その婚姻を取り止めにする為、私を殺そうとしたのは殿下ですよね?」


 間髪入れず、第二皇子の懐を突いた睡蓮の言葉で憔悴していた第二皇子が更に取り乱す。


「あれは、が私にっ、そなたを殺さねばならんと言って‼︎……そうだ、全てが悪い! そうだろう睡蓮、慈悲と慈愛の御心であれば、私の全てを受け入れてくれるのだろう⁉︎」


 取り止めのない言葉を続け、第二皇子は同じ事を繰り返す。

 自分は悪くはない。選択を間違えた。あの女が悪い。

 そうやって、心の砦を作って己を守る。

 睡蓮は、その最後の救い。

 それがわかったからと言って、睡蓮の口から「はい、わかりました」などと言う慈悲に満ちた言葉が出る筈もなく。


「殿下、もう私と殿下の婚姻は皇帝陛下によって破婚になりました。此処へは無理やり連れられてこられただけで、殿下への慈悲でも御座いません」


 言わなくてもいい事を。睡蓮はそうとわかっていても口は止まらなかった。

 睡蓮の人生は大波に飲まれるように流されてきた。けれども、何もしてこなかった訳ではない。

 自分にとって出来る最大限の抵抗――大河の前では僅かな水泡しか起こす事しか出来ないような悪足掻きを続けてきた。


 仙女として落ちぶれと言われた時も、婚姻が勝手に決まった時も、死にかけた時も。何も変わらないとわかっていても、足掻かずにはいられなかったのだ。

 その悪足掻きが、第二皇子に最後の終わりを告げた。


「私が殿下を愛する事は御座いません」


 その瞬間、取り乱していた第二皇子の表情が消えて、ずんと暗くなった。

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