三 仙女②

 仙女が参内した事により、皇宮は騒動となった。光陰の矢の如く話は広がり、皇后の元へと届くのに大した時間は掛からなかった。


 後宮の長たるおう皇后の宮へと、後宮の外から入り込んだであろう女が一人、皇后の前で膝を突く。


「皇后陛下、白侯と共に霍睡蓮が参内したとの事」

 

 その報告を耳にした皇后は虚な目で睨め付ける。


「手筈は整っているな」


 凍えるような冷ややかな声。自らの息子を思う故か、息子を蹴落とした男を恨むが故か、そのかんばせも、声も、呪いにも等しい悪意が込められている。


「問題無く。既に、霍睡蓮の元へと向かわせております」

「白侯への足止めは」

「滞りなく」


 女の端的な報告を耳にした皇后は、悪意を込めた顔色のまま立ち上がる。


「では、私も向かうとしよう。だ。私自ら歓待せねばな」


 皇后の目は虚ながらも、足取りはしっかりとして。しかし身に宿した悪意を抱え込んだまま目指すは――

 


 ◆◇◆◇◆

 


『睡蓮、俺は此処までだ』


 白家が用意した衣に身を包んだ睡蓮は、白家の邸を出る既だった。

 いつもの気さくな面持ちが前髪で隠れて、無頼漢さながらの様相のままの天擂。その姿は、仙女さながらの装いに身を包んだ睡蓮とは対照的だった。


『俺にもやる事がある』


 天擂の手が、睡蓮の髪へと伸びる。いつも以上に着飾って、神聖さすら醸しだす装い。その中でも、睡蓮の花の簪は存在感が残っていた。


『大丈夫だ、後で会える』


 簪を僅かに揺らした指が離れて、睡蓮は無骨なその手を追いかけそうになった。けれども、見上げた天擂の顔は愛しげに睡蓮を双眸に映して、落ち着き払う姿に睡蓮は手を引っ込める。


『今日の事が全てうまくいったら、天擂さんの秘密を教えてくれる?』

『秘密って?』


 わざと、戯けた様子で投げかけた疑問を疑問で返す。しかし睡蓮は悟ったように、気にする事なく天擂へともう一つの疑問を問いかけた。


『天擂さんは、なの?』


 睡蓮の言葉は澱みなく、ただ知りたいと言っているように澄み渡る。それだけで、天擂は満足したように笑みを溢した。


『全部終わったら話すよ』

 

 

 ◆



 皇宮の応接間。昔、第二皇子と面通しした時も此処だったか。そんな記憶を振り払うように、睡蓮は出掛けのひと時を思い出す。


 皇帝陛下と皇太子殿下の対面を前に、睡蓮は緊張していた。何事もなく第二皇子と婚姻していたとしても、そう容易に対面して顔を合わせる事も無い手合いだ。

 その上、いつも頼りにしていた男もいない。勿論、行儀作法が身に付いていない汕枝を参内させるわけにもいかず、隣には白侯のみ。

 粗相があれば、白家へと迷惑がかかるかもしれないと思うと睡蓮の心臓は縮み上がりそうだった。


 そんな時だった。


「白侯様、」


 応接間の扉が開かれ、そこには見慣れない官吏がいた。


「なんだ」


 白侯は警戒した声を上げるが、拒否する様子はない。


「皇帝陛下がお呼びでございます」

「私だけをか?」

「はい、先に話しておきたい事があると」


 白侯はちらりと睡蓮へと視線を送ると、「仕方がない」と、一つ呟いて膝に手をついてゆっくりと立ち上がる。そうしてもう一度睡蓮へと目線を下げて静かに口を開いた。


「睡蓮様、どうか此処から動かぬように」


 睡蓮が「はい」とだけ返事をすると、白侯は官吏と一緒に出て行った。

 一人取り残され、睡蓮は少しばかり気が抜ける。

 呆然と過ぎさる時間を眺めるように、睡蓮は冷めた茶杯へと手を伸ばした。

 雲州に比べると、皇都は夏の到来が早く。既にじめりとした暑さが顔を出し始めている。冷めた口当たりが丁度よいと感じて、心を落ち着かせるようにと残りを一飲みしてしまった。

 そうして茶杯を卓の上へと戻して窓を眺める。刻一刻と過ぎ去るばかりで、白侯すら戻ってはこない。

 何か問題でも起こっているのだろうか。睡蓮が茶杯に口をつけて、もうそれも全て飲み干してしまった時だった。


 再び、扉が開かれた。だが扉の向こうから現れたのは白髪の人物ではなく、女官だ。


「睡蓮様をお連れするようにと仰せつかりました、こちらへ」


 女官は淡々とした口調で、眉の一つも動かさない。

 

「ですが、こちらで待つようにと」

「私は霍睡蓮様を案内するようにと聞き及んでおります。白侯様もそちらでお待ちとの事」


 ただ命じられた事を実行するだけの人形もでなってしまったのだろうか。睡蓮は女官の不気味な表情に一抹の不安と迷いを覚えたものの、事実を確認しようもなく。


「わかりました」


 意を決して立ち上がると、女官へと向き合った。

 寒々しい声音が「こちらへ」と告げる。睡蓮は再び緊張で鼓動が高鳴る感覚がして、こっそりと胸を抑えて案内する女官へと続いていった。



 ◇



 睡蓮が皇宮を訪れるのはこれで二回目だ。案内されねば今自分がどこを歩いているのかすら、知りえない。

 だが、辿り着いた一つの扉は、睡蓮に不信感だけを抱かせた。方角と、通じる廊下から見えた景色である程度の予測はできる。


「皇帝陛下は外にいらっしゃるの?」


 睡蓮が投げかけた問いに、女官は「私はただ、命じられただけですので」と言って、扉を押し開く。


 睡蓮の考え通りそこは外へと繋がる扉だった。だが、本殿正面とは違い人気は無い。代わりに、一台の馬車がこれみよがしに停まっていた。


「お乗り下さい」


 睡蓮は二の足を踏む。その先に何が待つのか。緊張以上に胸の鼓動は警鐘を打ち鳴らし、行くなと叫ぶ。

 一歩、足を後退させたが何かにぶつかり首を後ろへと回す。


「これはこれは、仙女様」


 背後には突然現れた二人の女官らしき女が、睡蓮の退路を塞ぐようにして佇む。それどころか、礼儀など忘れたとでも言わんばかりに、無理にでも乗せようと背中を押す。


「さあ、皇后陛下がお待ちです」


 睡蓮は肩の力を抜いて、押されるままに馬車へと近づいた。そのまま乗り上げて、中で待つ女へと一瞥をくれて正面へと座る。

 睡蓮の真正面。口元を扇子で隠し、目を細めて淑やかに笑みを溢す女――おう皇后。


「さて仙女睡蓮、燦潤さんじゅんに会いに行こうではないか」


 弧を描く程み細められた目は、睡蓮を歓待しているようで、悪夢へと誘う悪鬼のようでもあった。

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