二 仙女①

 華々しい皇都真鑾しんらん

 阿洸あこうとはまた違う優美な景観を誇る街並み。白い壁と、黒い屋根。四合院という壁に囲まれた家々が整然と立ち並ぶ。街中に流れる小川にかかる小さな橋や欄干。寺院には鮮やかな朱色が塗られてその赤の際立つ事。


 その都を、睡蓮は深く外套を被って歩いていた。


 久しぶりに訪れた――と言っても、一月と少しの期間に過ぎないが、睡蓮はまるで見知らぬ地に赴いたような気分だった。


 知っている筈なのに、知らない土地。

 人目を忍んで歩くようになったのは、いつからだっただろうか。周りと目が合わないように目線を落として歩くようになったのは、いつからだったか。

 薄弱とした日々が確かにあり、下ばかりを向いて歩いていた。


 ――十年か……


 睡蓮は感慨深く、建物の隙間に見える空を見上げた――が、

 

「顔が見えちまう。そら、一旦白侯はくこうやしきまで戻るぞ」


 睡蓮の背後から頭にそっと無骨な手が乗せられ、睡蓮は素直に頷いた。

 睡蓮は外套で大して広くはない視界で、精一杯の目線を上げてみる。しかし、隣を歩く男の顔はどうやっても見えてはこなかった。


 

 

 間も無くして、貴族街のとある邸へと辿り着く。厳重な私兵が門を守るそこは、白家所有の別邸である。私兵と軽い挨拶だけして二人は通り抜け、邸の本邸入り口を潜った直ぐの事だった。


「此度は雲州から皇都迄の旅路、お疲れ様で御座いました」


 白髪の壮年の男が街歩きから戻ったばかりの睡蓮の前に膝を突いてこうべを垂れ出迎えた。背後には秋雪を引き連れて、同じく恭しい姿勢で押し黙る。

 最初こそ何事かと慌てた睡蓮だったが、顔を上げた御仁の面差しは秋雪と重なった。


「……白侯様で御座いますか?」


 壮年の男は立ち上がり、そうして今度は拱手して伏した。


。当時名乗る事がはばかられました故、挨拶が大変遅くなりまして。はくこう慶雪けいせつと申します」


 白侯の顔には僅かな衰えこそあるが、秋雪と並ぶ二人はよく似ていた。懇切丁寧な姿から、その美しい佇まいまで。

 顔を上げたその顔は秋雪が年齢を重ねたような、それでいて歳を重ねた分と侯としての立場の威厳を醸し出す。


「何から何まで手配をお任せしてしまいまして申し訳ございません」

「息子の命が此処にあるのは、確かに睡蓮様の力のお陰。その御恩は一生かかっても返し切れるものではない。どうか、心苦しく思わずに受け取って頂ければ」


 白侯の目線がちらりと背後にいる天擂へと向いて、目線が合うもまたすぐに睡蓮へと戻る。


「夕食をご一緒に如何でしょう。其方の護衛の方も」


 睡蓮を食堂へと先に案内するように秋雪へと告げ、白侯は天擂を呼び止める。睡蓮は不思議に思うも、秋雪に促されるまま足を動かすしかなかった。

 二人との距離が出来て、漸く白侯は懐から二つの手紙を取り出し天擂へと渡した。

 

顓頊せんぎょく殿下とお父上からだ」


 天擂は臆する事なく受け取り、その場で広げる。どちらの手紙も一通り目を通すと不敵に笑みを浮かべ、しかし同時に口調は無礼なそれとは程遠い慎みのあるものだった。


「届けて下さり、感謝致します」

「殿下とお父上は何と申された」

次第で全て決まると」

「では問題は無いな」


 淡々と返す白侯に天擂は手紙を懐へとしまいつつ、その足は食堂へと向い始めた白侯の背後に着き、当然のように言葉を投げかけた。


「こちらはどうでしょうか」

「皇后が第二皇子を解放しようと必死だ。不穏な動きは今の所無いが、睡蓮様が皇都に戻った事を知れば……」


 前を行く白侯がはたと足を止めて、天擂を振り返る。どう出るだろうなと問い掛ける目は、鋭く天擂を射抜く。

 夕暮れが近づいて廊下が段々と薄暗くなる中、またも天擂は不敵に笑う。


「問題無いでしょう。全て計画の内です」


 白侯は天擂を信頼を寄せているように、何気ない口調で「その時は頼む」とだけ告げて、再び足は食堂へ。辿り着くまで、もう振り返る事はなかった。

 


 ◇

 


 翌日、皇宮は一様にどよめきの声が上がった。


 視界に入ったのは異様な光景。

 白家――白侯を筆頭として一族が参内した。

 白髪の特色ある髪色は、最西端で見受けられる特徴だ。その中でも白家は血が濃く残り龍の姿を保つ一族。


 白龍の姿は白神はくじんという神に姿も色も似ているとあって、姿は神々しい。それに加え、天上聖母にはとある神話が存在する。


 天上聖母が最も信頼した御使みつかいは白龍であったと。 


 その神話を体現するかのように、白侯の隣に並び立つ女の姿。

 純白の深衣しんいは滑らかに風に漂い、陽光が反射するたびに白糸で縫われた刺繍の牡丹が浮かび上がる。その上には羽衣を思わせる薄絹を羽織り、髪には白い睡蓮の花の簪と合わせたような細やかな銀の装飾。迷いの無い瞳は澱みなく前だけを見据えて、佇まいは伝承にある仙女がその場に顕現けんげんしたかのようだった。


 まだ本殿に差し掛かったばかりの其処。官吏達の往来はあれど、皆足を止め道を譲る。


 一堂が静寂に飲み込まれてしまったかのうに口を閉ざしていたが、誰かが小さく呟いた。


 「天上聖母様」、と。

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