五 龍

 翌日にもなると睡蓮は名月城の敷地内にある庭園へと出向いた。散歩程度なら、と医官から許可を得ていたのもあるが、自身の身に起きた事実を前にして寝台の上でじっとしている事ができなかったのだ。


 皇都ならば初夏の日差しに汗を流す季節の始まりだっただろうか。雲州は山々に囲まれた標高が高い土地だ。その上、白仙山はくせんさんと呼ばれる国の半分を囲む山脈と隣り合わせになっており、中心部である皇都に比べると夏が遅い。

 そのおかげか清涼な風が吹き抜けて、夏は過ごし易い。その反面、冬は雪と寒さにに埋もれてしまう。しかし、そんな寒さも隣の――国の北方に位置する丹州たんしゅうに比べると、まだ良い方なのだとか。


 そんな涼やかな風を浴びながら、睡蓮は遅咲きの花々に囲まれた庭園を汕枝と共に散策していた。

 牡丹が見頃だと耳にして、歩いてみたのだが――――まだ半刻も歩いていないと言うのに、睡蓮は息が上がって丁度見つけた石椅子から動けないでいた。

 半月以上を寝台の上で眠って過ごした影響からか、どうにも完全に身体が鈍ったらしい。

 更に言えば、阿洸あこうは高地。皇都のような平野部に慣れた上に弱った身体ではひとたまりも無いだろう。


「情けないわねぇ」

「本当に面目ないです」


 息をする度に肩が揺れる。その横で、辛子色と黒色の縞模様の身体がごろんと地べたに横になっていた。その場で寝こけてしまいそうな姿で、くわっと大欠伸をする。


「部屋に戻った方が良いでしょうか……」

「ちゃんとお日様浴びて風に当たる事も大事よ。少しは動きなさい」


 口調こそツンケンとしているが、その言葉には思いやりが含まれる。最初こそ辛辣な態度だった汕枝さんしだが、機嫌を損ねる事は無いらしく基本的に汕枝は睡蓮の傍にいた。


「散歩に慣れたら都に降りてみるのも良いかもしれないわね。丘陵な場所に街を作ったから観光するには体力が必須だけれど」

「観光……此処って有名なんですか?」


 ぜえぜえと息を吐きながら、やっとの事で返事をした睡蓮は何気なく返しただけだったが、そんな睡蓮に対して汕枝は呆れた顔をしていた。

 

「……あんた、阿洸あこうって言ったら皇都からわざわざお貴族様が花見に来る場所よ。街並みだけでも結構有名だと思うけど……知らないの?」


 汕枝のツンケンとした口調に、睡蓮は困った顔をする。皇都から他州へと赴くなど、嫁入りか道楽できる程に余裕のある家だけだ。何よりも睡蓮は世間話をする友人がいない。天擂も、いくら馴染みであっても詳しく花見の話をした試しがなく、知り得ない話だった。


「春と秋は特に人が多いのよ。あと一月もしたら、お祭りもあるわね」

「お祭り……」

白神はくじん様が山から降りてらっしゃるって云われてるのよ。白仙山の上にいる龍の神様は冬の神様だけど、夏には豊作の恵と加護をもたらして下さる……そう信じられてるわね。そのお祝いみたいなものなのだけど、白銀の龍を模した被り物をして四人の舞い手が街中を練り歩くの。都中がお祭り騒ぎになるわ」


 お祭りという言葉に睡蓮の胸が期待に膨らんだ。


「是非行きたいです」

「私とあの男が一緒ならお許しも出ると思うし、秋雪様には私から言っといてあげるわ」

「ありがとうございます」


 嬉々とした面持ちで謝辞を述べる睡蓮。その顔を汕枝はじっと見つめる虎の眼は鋭いが、攻撃的なそれではない。


「あの、顔に何かついてますか?」

「いいえ。さあさあ、いつまでも座り込んでると椅子とお尻がくっついちゃうわ。もう少し歩いたら女官達がお茶と点心を持ってきてくれる頃合いよ。行くわよ」

「はい」


 汕枝の言葉に促され、睡蓮はゆっくりとだが腰をあげる。

 休んでいた椅子から少し離れると、柘榴の木々が赤い花をつけて並んでいた。鮮やかな赤は柘榴石を思わせる程に艶やかで、睡蓮の足並はゆっくりと庭を眺めながら進むと自然と緩やかになる。隣を歩く汕枝は特に急かす素振りもなく、四本足の歩調を睡蓮に合わせたように緩やかに動かしていた。


  

 そうしてもう直ぐ離宮へと辿り着こうかと言う頃だった。ふと頭上の光が遮られて影が落ちた。思わず空を見上げると、一陣の過ぎ去る風と共に一体の白龍はくりゅうの姿が明月城の本殿へと向かって行く。

 白い鱗に十一かん(※二十メートルぐらい)はあると思われる長い胴と尾が澄みきった青空の中を優雅に舞うその姿。揺れる髭がある鼻先から、柳のように漂う立髪たてがみの末まで。全てが明媚という言葉では足りない。

 睡蓮は龍という存在に、目を奪われていた。

 

 龍の存在自体は珍しいものではない。この国には龍人や獣人といった二つの姿を併せ持つ存在がいる。皇都では獣人こそ殆ど見受けられないが、龍人自体の数は少なくはない。ただ、全ての龍人の血縁者が龍に転じられるわけでもない上に、龍人、獣人共に普段は人の姿と差異が無い為、一見で見分ける事は難しいと言われていている。


「こんなにも近くで龍の姿を拝見したのは久しぶりかも……」

「皇都に暮らしてたら龍なんて珍しくも無いでしょう?」

「……そうね……多分そう。だけどもう、何年も見ていなかった気がする」


 睡蓮が見上げる空にはもう、白龍の姿は無い。しかしそれでも、汕枝が声をかけるまで、睡蓮は空を見上げたままだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る