episode13
公園の桜に緑の芽が着き始めた頃、Lillyのスタッフが増えた。ゆり子さんのお孫さんで、高校2年生の菫ちゃんだ。大きくてパッチリとした目が印象的だ。彩の入店してすぐ、お客様として一度きていた。バイトとして来たのはついさいきんだが、赤ちゃんの頃から親に連れられてLillyに来ているすみれちゃんはこの店のことを熟知している。そして、趣味でやっているというラテアートの腕は本人は謙遜するものの、彩から見るとプロ並みだ。ゆり子さんと同じく、温かい雰囲気を纏った子だ。しかし、ゆり子さんのものが包み込む様な安心感があるのに対し、菫のものはウキウキとした楽しさに満ちていた。
「あ!彩さん、お疲れ様です」
入店した日はほとんど変わらないのに、年の近い彩にもきちんと敬語を使う。
「お疲れ様。あれ?菫ちゃん一人?」
ゆり子さんはいつもの特等席にはもちろん、カウンターのどこにも姿がない。
「検査入院がのびたんです。大丈夫!お見舞い行ってもぴんぴんしてたから。それに、昨日病院で締め作業教えてもらったので」
菫は大丈夫、のところで手をグッドポーズにした。
「そうか、、心配だね」
綾が映画に行った四月の末日、ゆり子さんは店の段差で足を挫いてしまった。雨の湿気で床が滑りやすくなってしまっていたようだ。急遽店を休みにして、退院まで様子を見ることにしたのだ。
「自分の足より店が心配だって言われちゃいました。菫にはまだ任せられないって」
「ゆり子さん厳しいとこあるね。でも菫ちゃん、もうほぼ仕事覚えきっちゃってるでしょ。何も心配してないよ」
ここで2人の話が途切れた。お客様が入ってきたからだ。いかにもOL風な2人は、初めて来店したのだろう。店ををきょろきょろ見渡しながら歩いてくる。案内のためにカウンターを出かけた彩に、ここは私が、と言うふうに菫が目で合図してきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
二人は店の真ん中辺りの席に座り、注文はもう決めてあったらしく、菫がメニューを開く前にオーダーが入った。
「彩さん、新作二つです」
「はーい」
グラスを二つ用意し、お得意のピーチティーを淹れる。ほのかな甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「最近若いお客様増えましたよね。私、小さい頃からここきてますけどお得意様以外のお客様がこんなに多いの初めてです」
「確かに。最近雰囲気変わったかも」
「彩さんのピーチティーが人気の原因だと思います。ほら、今の2人だってそうじゃないですか」
「そうかな。メニュー一つで変わらないんじゃない」
いや、絶対そうですよと、菫は頑なな態度だ。
「そういえば、例の人には会えたの」
さりげなく話題を変えると、菫はぱちぱち音が鳴るんじゃないかと思う様な大きな目で何度か瞬きした。
「『ブラックの君』ですよね。残念ながら、まだ会えてません。お礼だけでも言いたいんだけどなー」
日曜日、ゆり子さんが足を挫いた時、店内には1人だけお客がいた。応急処置をして、病院まで付き添ってくれたらしい。菫が急いで病院に向かうと、ちょうど彼は帰るところだった。ゆり子さんから聞くと、最近よく来ていたお客で、いつもブラックコーヒーを頼んでいたらしく、彩と菫は『ブラックの君』と呼ぶ様になった。
「すっごいイケメンでしたよ。大人しそうな雰囲気なのに片耳にピアスして、ちょっと意外でした。」
「よく覚えてるね」
「そりゃあ、かっこよかったんで。年は彩さんと同じくらいじゃないかな。大学にいません?」
そう言われても、ピアスをつけてる学生なんて山ほどいる。
「いやぁ、分からないな」
そもそも交友関係が狭い方なのだ。
「またお店来てくれますかね」
「何度か来てたんでしょ。きっと来るんじゃない。私だったら、こんないいお店を見つけたら、何度も通っちゃうもん」
「そうですかねぇ」
菫はまるで自分の店が褒められたように嬉しそうな顔をした。素直で愛嬌のある感情表現が、詩音と似ている。きっと誰からも好かれる部類の人間だ。この二人合わせたら馬が合うのではと、いつか紹介しようと彩は一人企んだ。
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