episode5
緊張と空腹に耐えながらの入学式。慣れないスーツに身を包み、詩音のいないこれからの生活に改めて心細さを感じていた時だった。
その声で式が終わったのに気付いたのだ。
「藤野咲矢です____、よろしく」
席に座ってからずっと隣の女子にどう話しかけようか迷っていた彩は、反対側の男子はあまり気にしていなかった。
中心で分けられた真っ直ぐの前髪からのぞく白い額、その下には茶色がかった瞳とそれを囲う長いまつ毛。どこかの貴族のような均整の取れた顔立ちは大人しい印象を与えてくるが、声は溌剌とした雰囲気で外交的な性格だろうと予想できた。
見た目とのギャップもさながら、さらに彩を驚かせたのはその話し方だった。語尾を伸ばすくせ。無性に懐かしさを感じるのは、蓮斗もこんな話し方をする人だったからだろう。彩はかつて、彼から発される空気を含んだ最後の音が消えるまでずっと聴き入っていたことを思い出した。
「結城です。こちらこそよろしくお願いします」
柔らかく笑顔を向けれたのは、そんなことを思い出せたからだ。目の前の咲矢は束の間こちらをじっと見つめ、照れたような笑顔を返した。
「話せて嬉しい。初めて見た時から話しかけようって決めてたから」
(ありゃ)
これは勘違いさせるかも。ちょっと愛想良くしすぎたようだ。親しい人の前以外であまり笑わない彩は、自分の笑顔が特に異性に計算より好印象を与えてしまうことを知っていた。また、こちらの想定以上の好感度は良い結果を生まないことは経験上分かり切っていることだ。それ以前に、ストレートな言葉をかわすのは苦手なのだ。
「じゃあ、」
少し悪いと思いながらも、彩はサッと笑顔を引っ込め、立ち上がった。普段は相手に合わせつつ会話を切り上げることもできるが、今の彩にそんな余裕は無くなっていた。周りの新入生達はすでに出口へと向い始めていた。続こうとした彩の腕を不意に咲矢が掴む。
「待って」
彩を見上げる透き通った目と握られた力強さに心臓が跳ね上がる。今すぐ逃げ出したいような気持ちとずっと囚われていたいような気持ちがないまぜになる。咲矢が立ち上がり、今度は彩が咲矢を見上げる形になる。
「俺の彼女になって」
散歩に誘うかのように軽やかに言い放った。
「冗談、ではないよね」
聞かなくてもわかる、相手に失礼だと分かっていても聞かずにいれなかった。彩を見つめる咲矢の表情は真剣そのものだ。
「本気だよ」
彩の鼓動はさらに大きくなる。もう、相手には聞こえているのではないだろうか。私たち会ったばかりだよ、急にそんなこと言われても、、どう断れば丸く収まるか、瞬時に考える。さらに他の言い回しを考えかけたが、やめにした。
「ごめん、無理だ」
できるだけ簡潔で明確な言葉を選んだのは、今まで相手とぶつかることを避けて来た自分から変わりたかったからだ。恐る恐る咲矢を見ると、意外にも清々しい表情をしていた。
「そっか、ごめんね、急に」
軽い言い回し拍子抜けして、思ったままに口を開いてしまう。
「いや、、なんていうかびっくりした」
彩の言葉を受け、咲矢は目を伏せて笑った。その表情で、咲矢も緊張していたことが分かった。
「恋人がいるの?」
ついさっき、建前を無視して本音を教えた相手に、この言葉は実になめらかに口から出した。
「いないよ。でもずっと好きな人がいるんだ」
「そうなんだ」
そう言った咲矢の表情からは悲しみも興奮見つけることができず、ただ穏やかな様子だった。なんとも言えない沈黙を破ったのは咲矢だった。
「俺って結構気が長い方みたいだ」
独り言のように呟く。
「10回、俺とデートしよう。それでダメなら諦める」
いくつも断る理由が浮んだが、それ以上に、好奇心が勝った。
「わかった」
しっかりと頷く。
「今度こそ結城のこと振り向かせてみせるよ」
そう言って笑う咲矢の顔には闘志と期待、そしてなぜか寂しさが含まれていた。
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