第7話 忌み地

 7月の守護神は白狼のベルナデット。

 彼の逸話はこうだ。

 蛮族の大群に村を襲われ、反撃を挑んだ血気盛んな若者たちは、敢えなく散っていった。残されたのは、わずかな若者たちと、女、子どもと老人ばかり。人々は村を諦め、森に逃げ込んだ。その森の番を務めていたのが、ベルナデットという逞しい青年だった。彼に統率された人々は、弓を拵え、罠を置き、森へ攻め入る蛮族たちに対抗し、ついには撃退に成功する。魔剣は彼の武勇と統率を認め、神格化へと誘ったという。トリスケルは、猛々しい白狼の横顔。繁栄、狩猟、鍛錬、輪廻、森、弓を守護する。

 そして、シュバルツェンベルグ公領はシュバインシルトの森の出身である、辺境騎士団の騎士クルト・フォン・ヴィルドランゲの守護神でもあった。


 クルトは甲冑を脱ぎ去り、腰に愛剣を一振り吊るす。上は袖を捲って胸をはだけた肌着一枚。下は綿のズボンとブーツの姿で、7月の日差しの中、斧を振るい始めた。


 騎士たちは、戦地にあっては例え就寝であっても甲冑を脱がない。とはいえ、全身甲冑のままでは寝苦しいので、胴鎧や肩当ては外すのだが。敵が急襲して来た時に備えての“時短“という意図からも、それは合理的だ。しかし、とりわけパヴァーヌの騎士などは「いついかなる時も甲冑は脱がず、常に有事の構えをすべし」などと吐かす。言って仕舞えば、精神論だ。しかし確かに、目が飛び出るような量の金貨の対価で、ようやく手にすることができるオーダーメイド製の全身甲冑は、全ての騎士の憧れであり、アイデンティティの象徴でもある。剣は叩いているうちに刃こぼれし、曲がったり、折れたりする。会戦ともなれば、一本で済む話ではない。だが、全身甲冑は特別なものだった。騎士は、何よりも全身甲冑を愛している、と断じてしまっても過言ではない。


 だが、クルトにはそこまでの執着がなかった。

 狩りをするならば、森の中で動きが鈍り、身を潜めることができない、馬と甲冑は置いておく。ましてや、木を切り倒す作業に、甲冑は余計な体力を損なうばかりでしかない。

 もし、この場に剣を持った敵が現れたなら、それは敵が優位に立つ戦略に長じている、優秀な兵だったということだ。甲冑は諦めて、肌着のまま戦い、剣技で持って打ち破ればいい。

 そのために、毎日の稽古があるのだから。

 クルトは、そういう思考の持ち主だった。

 将には不向きかも知れない。だが、斧を持たせれば、木こりも舌を巻く腕前を見せた。

 先に倒したい方向に向けて、くの字の切れ込みを入れ、次に幹の反対側を鋭角に深く掘り込む。少し残して木がまだ倒れない状態を保持しつつ、木で作った楔を打ち込む。楔は打ち込まれる度に、徐々に幹を傾ける。そして、ついには残した部分が自重に負けて裂け砕け、最初に切り込んだ方向に倒れていくという段取りだ。最初の切れ込みが水平でなければ、斜め方向に倒れ、深く掘りすぎて残した部分が浅口なると、予期せぬタイミングで倒れてしまう。それらを“受け口“、“追い口“、“ツル“などと呼ぶ。故郷の森で会得した手法だ。


「倒すぞ!」

 周囲に声をかけてから、楔をより深く打ち込む。トドメの一撃だ。

 メキメキ…バキッと、ツルが音を立てて裂け折れる。

 周囲の木々の枝葉が絡み合い、倒木は意外にもゆっくり、静かに、地味に倒れる。

 クルトは首から下げた布で汗を拭い、水袋を一口煽った。

「ふぅ〜労働の汗は清々しい〜、なんて思ってやしない?」

 半エルフのル=シエルが、呆れた口調で声をかけた。

「なんだよ、思っちゃ悪いのか?何がいけない?」

 幼馴染であり、従者でもある彼は、力仕事がてんでダメと来ている。おかげで今回の遠征でも、クルトの替槍は、ポールアックス一本のみになってしまった。クルトたちの一隊は、山道を登る行軍路であるため、軍馬を連れないで来たからだが、ポールアックスと予備の長剣を一振り。それだけで、ル=シエルの限界荷重に達した。他の従者たちが、てんこ盛りの荷物を背負って文句も言わず、の状況を見ても、彼の小言は減らなかった。

「この槍、本当に使うの?木が邪魔で使えないんじゃないの?僕の苦労は意味があるのかな〜」

 と、きたもんだ。

 そんな彼は現在、腰を屈めながらクルトに苦言を呈す。

「僕が言いたいのはね、姫様に助力をしたい気持ちは理解しているけども、それが、いつまでなのかって事だよ。トーナメントから、どれくらい経ったか分かる?」


 トーナメントとは、馬上槍試合の事だ。いわば騎士たちの祭典。クルトはトーナメント会場で出会った女剣士の手助けを誓い、彼女の軍勢に参加し、今では辺境の奥地で、こうして木こりをやっている。


「さてな…言われてみれば、もう、だいぶ暑くなってきた。どれくらい経つんだ?」

「半年だよ。分かって言ってるよね、それ。辺境征覇は全体的には、今のところ順調で、兵士や騎士たちも増えてる。まぁ、減ってもいるけど、相対的には増えてるよね」

「相対的には、な」

「だから、騎士の一人くらい、今更減っても問題じゃぁないって話だよ。そろそろ、潮時なんじゃないのかって事。ねぇクルト、シュバインシルトに戻ろうよ。領主様もきっと…」

「ル=シエル、お話しに興じてないで、こっちに来て、枝葉を刈ってくれ」

 従者仲間から声を掛けられ、ル=シエルは仕方なく、話を中断して「今行く」と答える。

「…ほんと、ちゃんと考えてよね、引き際ってやつ、をさ!」

「女房か、お前は…」

 クルトは、小走りに走り去る彼の背中に、毒づいた。


 クルトが長を任された部隊には、新参騎士が3人ばかりしかいない。代わりに、辺境で慣らした歩兵たちが、千名も配属された。アマーリエが率いる二千名の本隊とは、はなから別行動をとっている。ここまでの道を、それだけの人数を率いて辿り着くことは、地勢を知らないクルトには不可能だった。

 紋章官ロロ=ノア。エルフの血を引く彼女が、別働隊の総司令官だ。

 鳥の目を借りた彼女が、敵の番屋を避け、一隊をここまで先導したのだった。その彼女は、手勢を連れて今は別行動をとっている。


 ピエレト山とは、嶺を伝って隣の山の頂に位置するこの場所には、陽光を受けてエメラルド色に輝く、美しい湖があった。

 四方を囲む嶺の中間に湛えられたこの湖は、人工湖だった。

 谷間を利用し、気の遠くなるほどの岩を積み上げ堰として、周囲の尾根から伝う水を貯めて出来たものだ。ロロ=ノアによれば、この堰はロックフィル型というものらしい。水の流れは完全には止まっておらず、堰の外に、大きな池ができていた。池の水は、川を成さず、地中に染み込んで消える。

 クルトが率いる千名の歩兵の役目は、この堰を破ることであった。


 この地に到着し、人工湖を目の当たりにした時、クルトはその作業の困難さを想像するに天を仰いだ。そこへ、ロロ=ノアは蘊蓄で切り出した。

「これは、この地で仕入れた過去の言い伝えです。川の流れを変えた所為で、山の民に敵対していた部族の集落は水に沈み、壊滅したそうです。この堰が造られたのは、現国王の若かりし時。妻である先王が崩御した、すぐ後の事のようです」

「妻が国王だったのか?」

「魔剣を所持していたそうです」

「…なるほど」

「その魔剣は、今は現国王の手にあるわけか」

「いえ、どこかに封印されたとのことで、行方は知れていません」

 クルトは、エメラルド色の湖底を覗き込んで言った。

「案外、この底にあるのかもな」

「だとしても、泥濘に埋もれて、発見は無理でしょうね」

「魔力を探知できないのか?」

「それが容易くできては、封印とは言いません」

「しかし…いくら人数を割いたとはいえ、この堰を決壊させるには、時間がかかるぞ。そもそも、堰を造るよりも破壊する方が危険なんじゃないのか?」

「何人かは、死ぬでしょう。ですが、朗報もあるのですよ。山の王が、堰をただ単純に造っただけでは無いようなのです。そのような小細工までを、王ひとりが考えたとは思えませんが、堰を崩す時の事も、どうやら念頭に置いておいたご様子でしてね」

 紋章官は、胸の上で手を組み、片方の手を顎に当てた。

「どうやりゃ、そんな事まで調べられるんだ?」

「情報は、現地に落ちています。誰かの頭の中には、何かの記憶が残されているものです。その中から、意義のあるものを選別するには、いささか骨が折れますが、ね。詳細は、私の商売に関わるので、秘密とさせていただきます」

「魔術も使える紋章官の仕事なんざ、どうせ俺には想像もできない。とにかく、その堰を崩す仕組みを解き明かして、上手にバラせばいいんだな?」

「タイミングも、重要です」

 クルトは、髪を掻き回した。

「言うは易しだぜ?経験者を募ってはみるが…ぶっちゃけ、イメージも湧いてねぇ」

「ピエレト山の地勢からして、堰を破ることで、最も効果を生む方角は…自ずと絞れます」

 ロロ=ノアは、背の高さではクルトに若干譲る。しかし、スラリと伸びた美しい四肢と、それを飾る男装のタイツと軍装、そして芝居がかった態度が、彼女の存在を一際大きく錯覚させる。

「分かってるよ。鼻につく言い方だぜ?古参の騎士たちには、お前、受けが悪いだろう?」

 クルトは高台の端まで歩き、こんもりと綺麗に盛土されたような、特徴的な山を指差した。

「南のピエレト山を直撃するコースだ。元々あった川を氾濫させる体で、山を取り囲む敵軍を一掃できる」

「ご賢明です。柔軟な思考と、不屈の精神を買って、あなたを推挙した甲斐があります」

「俺は、お前より前から、アマーリエと知り合っている。重鎮ぶるのは止せ」

 さぞや楽しそうに、エルフは歌うようにして笑う。

「ほんの数時間の差でしょうに…」

「大切な数時間だ」

「そうですね。おっしゃる通りです。彼女がまだ、“ただの少女“でいられた大切な、数時間、でしたね」

 慇懃無礼に、首を垂れた。

「あの時からずっと、俺はお前のことを不気味に思ってる」

「そこまで言われると、むしろ心地が良い」

「タイミングは、どうやって知ればいい?」

「私が、それと分かる合図を送ります」

 クルトは、足早に距離を縮める。

「おい、おい。その場に、お前は居ないような口ぶりだな」

「堰を細工した張本人が、絶好の機会にそれを忘れているとでも?」

「防衛戦の手立てなら、心得ている」

 ロロ=ノアは、微笑みながら、指を立てた。

「それには、十分期待させていただきますよ。ですが、私には私なりの方法も心得ておりますので、しばらくの間は、好きに行動させていただきます」

 高台の上に、背の低い女性がひとり、登ってきた。

 エルフ族の野伏であるレオノールだ。彼女は、辺境の地でロロ=ノアが見出した側近だ。ロロ=ノアに心酔しており、彼女の手勢として野伏の斥候小隊をまとめている。彼女がそれを任せるくらいなのだから、レオノールの実力は確かなものだと知れる。

 今のいまとて、姿を現すタイミングを見極めた上での登場だ。

「準備が整いました」

 遅くもなく、早くもなく、小さくもなく、大きすぎることもない。丁度良い塩梅の声を発するレオノールに対し、クルトは苦手意識を捨てきれない。恐らく、レオノールは自分のことが嫌いなのだ。そう、直感できる空気を、彼女は纏っている。そして、クルトはその手の感覚に優れていた。

「では、後のことはお任せしますよ」

 丁寧な礼を残して、ロロ=ノアは湖を後にした。


 その後、隊長格を呼び集め、方針を説明し役割分担を命じた。

 防衛設備の担当には、二重の防御柵と、その前方と中間に、堀を掘らせた。

 その間に、本来の川があった周辺の堰を調べ、決壊させる仕組みを理解する。

 人員を再度、調整し直し、完成した防柵を常時守備する部隊を二百名に絞り、残りを工兵に回した。もちろん、敵襲があれば工兵たちも武器を取り、すぐさま防衛に参加する。

 今、行っている作業は、堰から常に溢れ出している水を他へ逃し、浸水しないエリアを造るための防水柵のための材料集めだ。これを湖側でも行わねばならないから、大変な作業だ。クルトは甲冑を脱ぎ捨て、斧を持ち、作業に加わり、定期的に作業の進行を見てまわっては、叱咤激励した。


 皆、よく働いた。

 辺境征覇に乗り出して、一番最初に苦境を救ったハルトニアという村からの参加者もいた。その後に征覇する事になるシュナイダー侯領までの間にも、数多くの村を周った。猛威を振るう蛮族たちを掃討し、暴虐の限りを尽くす豪族たちを下し、現地の志願者を集い、専属の守備兵をおいて野盗の襲撃からも守り、代理統治者による法の支配と公平な税制を発布した。実務的には、紋章官の存在なくば果たせなかっただろう。だが、その行動方針を決めるのは、あくまでアマーリエだ。

 その彼女の二つ名は、辺境を征覇していく度に増えていった。

 風土病からの解放者。

 白銀の姫騎士。

 魔剣の巫女。

 やがて、クラーレンシュロス伯領の敗残兵でしかなかった騎士たちは、やがて“辺境騎士団“と呼ばれるようになる。

 各地の守備隊として任務にあたっている志願者を除いた、行動部隊としての辺境騎士団の戦闘員数は、現時点で三千人。武器を持たず、補助的な役割に従事する者も、千人を超える。徴兵が可能な基盤があったわけではない。たった一年余りで成し遂げた、急速な成長と言えた。しかし、やっと目標の一割を超えた程度でしかない。

 アマーリエの目標は、たった二年で故郷を奪還できるほどの軍勢を仕立てることなのだ。

 しかし、金は無く、同盟もなく、交流すらない。

 辺境という新天地、数多の諸族に分断されたこの僻地で、アマーリエは新たな関係性を構築する。この戦争は、そのための通過儀礼だ。兵を借りるにも、同盟を結ぶにも「まず力を」それが、辺境の掟だ。同等以上の相手と認められねば、足元を見られるだけ。契約や誓約といった慣例に疎い者たちは、平気な顔でそれを破るものだ。通過儀礼を経て、辺境騎士団に与した者たちは、諸族の壁を越えて一丸となりつつある。辺境騎士団は、これからも急激に拡大するだろう。

 それに、クルトにとって一番重要なことは、居心地の良さにあった。アマーリエを助けたい、トーナメントの会場で出会った頃の、破滅の縁を彷徨うばかりで、人生を切り拓く術を何も持たなかった、世間知らずな少女の力になってやりたい。その想いで繋がりあった、気の合う騎士たちと汗と血を流す日々が、彼には心地が良かったのだ。

 アマーリエの隣で、その成長を支えてやりたい。

 クルトの従軍は、その気持ちから発露したものだ。

 この気持ちを、故郷への帰還を願うル=シエルには、まだ言えずにいた。


 夕刻、一日の作業が終わる時間に合わせて、クルトは調査組の報告を受けた。

 日除のタープの下で、地質に詳しい者三人が集まり、岩石のサンプルを手に説明をする。

「これが、堰に使われている岩石です」

 少し黒ずんだ、なんの変哲もない岩だが、よく見ると一般的な岩よりも、硬そうにも思えた。

「山頂付近でよく採掘される、斑れい岩という硬い岩石です。風化しづらいので、自然と山頂付近には多く集まるのです。そのため、この付近では採取しやすい岩石です」

 自然と、の意味は不明だったが、クルトはそこを流して話の先を聞き入る。

「その堰の中に、種類の違う岩石がありました。これが、その一部です」

 違いは、一見して分かる。こちらは、筋のような模様があった。

「変成岩の一種です。この大岩の一帯だけ、堰が薄くなっています。漏水は、そこから起きているのです」

「水避け作業をしている場所か?」

「その通りです。要点が絞れたので、今後はもっと、作業の規模を縮小できると考えます」

 クルトは、岩を手に取ると、ぽんぽんと投げ上げ、その重さを測る。

「問題は…岩は、岩だ、ということだ。少しも軽くない」

 三人の男たちは、顔を見合わせた。

「退けるおつもりで?」

「…引き抜くんだろ?栓を抜くように」

 笑い出した三人の様子に、クルトは眉を顰めた。

「愉快なことを共有する楽しみは分からんでもないが、もったいぶるな。俺にも答えを教えろ」

「いえ、これは失礼いたしました。決して、無礼をするつもりは…」

「答えは、なんだ?」

 男のひとりが、クルトから岩を受け取ると、それを神経質そうに角度を確かめながら地面に置く。

「ご覧ください」

 ハンマーでそれを叩いた。

「なんと…」

 変成岩とやらは、その一撃で裂けるようにして、あっさり割れた。

「大きな亀裂を数箇所入れることで、堆積した斑れい岩の重さにより破壊は進み、幾重にも砕けた瓦礫は、水圧によって押し出されます。さすれば、やがて決壊に繋がるものと」

「すごいな、これで目処がたった!よくやったぞ!」

 クルトは、男たちの肩をバンバンと叩いてまわった。

「いえ…その、推論ですので、まだ実際に経過を見てみないと…」

「粉砕まで、どれほどの時間を要するのかも分かりません」

「作業は、とても危険なものとなります」

 男たちはクルトの激励によって、その期待の大きさを改めて知った。彼らは、兵士として志願した者たちで、学者でもなければ、自刃を辞さない覚悟の将軍でもない。地質が趣味程度の、普通の人間たちだ。逆に萎縮し始めたのか、持論に不安を覚え始めたのか、口々に後ろ向きな発言を述べ始めた。

「謙遜するな。お前たちしか、頼れる者がいないんだ。覚悟を決めてかかれ」

 ひとりずつ手を取り、クルトが彼らを励ますと、口をぎゅっと結んで、男たちは頷きあった。

「岩を砕く作業は、人が手作業でやるわけにはいかないだろう。装置を考える。明日また、話し合おう」

 三人を送り出すと、クルトは口を手で覆って思案にふけった。

「あ…森の狼が、珍しく頭を使ってるぞ」

 茶化した声は、ル=シエルだ。

「また、小言を言いに来たのか?」

「うわっ、ひどい言いがかりだ。まったく…ひとりで考えるより、話し合いながらの方が、解決することも多い、ということを教えてやろうとしているのに」

「お前、俺の従者だってこと忘れてるだろ?」

「で、何を悩んで、頭から煙を出してたんだい?」

「タイミングのことだ」

「…察するに、堰を壊すタイミングのことかな」

 クルトはタープの下で、あぐらをかいた。ル=シエルもその隣に、足を組んで座り込む。

 クルトは左のこぶしを見せ、それに右のこぶしを振り子で振られるような形で、ぶつけて見せる。

「堰の要岩を、こうやって粉砕しようと思っている」

「なるほど。投石機のような物で、岩か破城槌をぶち当てるんだね」

「お前、すごいな」

「やだな、何年付き合ってると思うの…で、それが当たれば破壊できるんじゃないのかい?」

「岩を砕いてから決壊が起きるまで、どの程度の時間がかかるのかが、分からない」

「その答えは…」

 ル=シエルは、腕を組んで言う。

「クルトがいつ、結婚できるのか、って話に似てるよ」

 クルトは、首を下げて妙な表情を作った。疑問と、呆れ顔が合体した結果だ。

「答えは、“分からない“だよ。考えたって、意味ないよ、そんなの。学会の魔術師でもあるまいし、僕たちにその答えが出せるわけがない」

「確かにそうだが、そこをどうにか…」

 クルトの言葉を遮って、ハーフエルフの少年は語る。

「その通り、単に諦める訳にもいかないよね。だから、次善の策でいくしかない」

「その次善の策とは」

「きっと、さっきクルトが考えていたのと一緒だよ」

 クルトは、両手の中で、球が大きく膨らむような仕草をした。それを見て、ル=シエルは笑う。

「クルトらしい発想だけれど、僕も同じ考えさ」


 大量の木材を切り出し、巨大な破城槌が完成した。

 シュバルツェンベルグ公の攻城兵器ですら、これほど巨大な物ではない。動かす必要がないから、当たり前かも知れないが。ハンマーヘッドに岩を用いたこの破壊力が、いったいどれほどのものになろうか。きっと、想像を絶するものになるに違いない。工兵たちは、力作の成果を期待してやまなかった。

 水はけ工事も完了している。5mを超える大岩は、水中から姿を現し、全容を顕にした。

 破城槌の足場も固定し終え、明日は、楔を打つ。採掘の要領で、あらかじめ楔を打っておき、破壊を促すのだ。それが順調に終われば、いよいよ破城槌の実力が示されることとなる。

 空が赤らむ中、クルトは本日の作業の終了を告げる。

「準備はできたぜ、ロロ=ノア」

 木製の巨大な塔を見上げながら、クルトはつぶやいた。


「クルトは、知ってるかい?」

「…何をだ。要点を先に言ってくれないか」

 これまでの作業で、完成した建造物は工事現場だけではない。非番の兵たちが雨風を凌ぐ、番屋も整っていた。タープだけで夜を越した頃のように、蚊に悩まされることも少なくなった。

「幼馴染に無愛想だな。注意を引くために決まってるじゃないか」

「…」

 獣脂に灯した弱い明かりに顔を近づけ、ル=シエルが明るい笑顔を見せつける。

「名前だよ。苦労して造り上げた投石機に、王様たちは名前をつけるらしい」

「なんの意味がある」

「意味はあるさ。ふたつ以上あったら、名前がついていた方が、指示しやすいだろう?」

「じゃぁ、意味がない。今回はひとつしか、造らない。それに、用が済んだら壊すか、放置だ」

「いいじゃないか、いい名前を考えたんだよ」

「勝手にしろ」

「じゃぁ、発表します。その名もぉ…」

「…言うなら、早く言え」

「シーヴォルフ!」

「分かった。それで行こう」

「ちょっと、連れないじゃないか。落成式はやらないのかい?」

 いつもは気苦労ばかり愚痴るル=シエルが、今日は珍しく浮かれていた。クルトには、その理由がなんとなく理解できた。

 だから、気が重い。

「やらん。すぐに、作業開始だ。俺たちが到着してから、すでに三週間も経っている。そろそろ、アマーリエの本隊が、ピエレト山に到着する頃だ」

「そっか、残念…でも、敵の哨戒があってもいいのに、まだ誰も来ないね。住民もだ。誰ひとり、来ないのはおかしいと思わないかい?そろそろ、気付かれてもおかしく無いはずだよ」

「きっと、ロロ=ノアが動いているんだろう。最初に別れたきり、一度も姿を見せないからな」

「そうだね…頼りになる。怖いくらいに。音信不通なのに、誰も、彼女の事を心配していないのだから…僕にはそれが不気味で仕方ないよ…ロロ=ノアが、失敗するわけない。誰もが、そう信じ切ってる…異常だよ」

 クルトは、彼の指摘に関心した。感受性の違いだろうか。だが、同時に失望もあった。ル=シエルの視点は、辺境騎士団の兵士たちとは、異なる場所にある事が、はっきりと分かってしまったから。

「でも、そろそろ終わりが見えて来たんだね」

「言っておくが…まだ、準備が整った、というだけだ。正念場は、これからだ」

 ル=シエルは寝台に寝転び、明かりの影に消える。

「分かってるよ。でも、クルトならきっと、上手くやるさ」

 闇の中から、声だけが聞こえた。


 その夜、クルトは不可思議な音を聞いた。

 木の枝をへし折るような、短い炸裂音が連続して数回。

 まさかと思って、ひとり松明を手に巡回するが、シーヴォルフにこれといった異常は見受けられなかった。湖の水は夜の深淵のように黒々として見通せず、代わりに天空には輝く星々が覇を競い合う。

「どうしたの?」

 光の粒を連れながら、ル=シエルが現れた。寝床を飛び出したクルトを追ってきたのだろう。

「お前、なんだ、その光は?」

 彼の腰の辺りを漂う光は、ゆらゆらと揺れ動きながら、彼の足元を照らしている。

「光の精霊だよ。普段はなかなか成功しないんだけれど、さっき目覚めた時に、なんだか出来る気がしてね。ここ数日、この付近に精霊たちが集まって来てるみたいなんだ」

「そういう…ものなのか、魔法ってのは」

「でも、気をつけた方がいい。精霊たちがざわめくと、獣たちもソワソワしだす。きっとここは普段、人がいない水場だから、何がいてもおかしくないよ。昼間はたくさん人がいるからいいとしても、夜は…ね」

 クルトは、辺りを見渡した。首筋あたりが、ざわざわするが、松明の明かり程度では、数歩分の世界しか照らせない。夜空との境界だけが、森の存在を知らせる。その輪郭の下では、膨大な量の闇が支配していた。

「分かった。明日、調査しよう」


 次の日、シーヴォルフと、水はけ柵の点検を命じるが、亀裂などの異変は見つけられなかった。

 クルトは、兵たちの様子が一変していることに気づく。

 何があったと問い詰めれば、番屋の中で語り広げられた、現地の“噂話“がその発端だった。

「実は、この地は地元の者たちからは、“忌み地“とされているようでして…その、祟るらしいのです」

 昨晩の音は、他の者たちにも聞こえていたのだ。

「詳しく知る者を呼べ」


 逞しい体を持つ男が、クルトの前に連れて来られた。

 男が語った話は、豊かな地を求め、南へと移住した彼の祖母が、昔話したという内容だった。

 ピエレト山の直下の渓谷には、当時はまだ潤沢な水が流れ、斜面に沿ってたくさんの畑が拓けられ、今よりも格段に豊かな土地だったという。しかし、人々の生活は安寧とは無縁であった。その川には魔物が住んでおり、水を求めて近づく民の足を捕らえ、水中へと引き摺り込んで喰らいつくすのだ。一度、水中へ沈んだ者は、二度と姿を現すことなく、やがて下流で散り散りとなった衣服だけが発見された。

 魔物の災いを憂いた王は、川を封印し、山頂に作った湖に魔物を封印した。それ以来、湖は“忌み地“とされ、何人の立ち入りも禁止されたという。

 男の祖父母は、畑を失い、食いぶちを求めて山を出たのだという。


「道理で、敵に出くわさないわけだ。だが、グランフューメならともかく、山岳渓流に住み着く魔物など、高が知れているだろ」

 その時、パキンッという炸裂音がした。

 水はけ柵の中で、染み出す水を外へ掻き出す者たちも、要石を露出させるために堰の岩を運び出す者たちも、皆、手を止めて辺りを見回した。

 要石にひびが入ったのか?

 木材が裂けた?

 そんなことがあれば、工兵たちに危険が及ぶ。

 パキンッ

 また、聞こえた。

 クルトは、シーヴォルフを設置した岩山を登り、堰の上へと出る。隊長格数名と、ル=シエルもそれに続いた。

 10mほどの堰を登りきると、反対側にいる水はけ柵の中の工兵に声をかけた。

「今の音は何だ。要石か」

 工兵たちは首を振り、湖の方角を指差した。

「…湖からだと?」

 堰の頂上に登った者たちは、手をかざして湖畔を見渡す。

 空の下に、木々を冠した山並みが続き、その中央に風にそよぐ水面がある。遠いところでは、3kmほどあるだろうか。どこまで見渡しても、湖畔には人影もない。

 石灰を含んだ水はエメラルド色に輝き、時折吹く風が木々をざわめかすだけの、静かな湖。

 クルトは、湖の底を見つめた。

 要石のある堰から、急激に湖底は傾斜し、底が見えない。湖の中央部は、山海の窪みにあたる。いったい、どれほどの深さがあるのだろう。最深部には、光すら届かないかも知れない。

「鳥がいない…」

 ル=シエルが、ぽつりとつぶやいた。

「どういうことだ?」

 クルトは膝を曲げて、背の低いハーフエルフの顔を覗き込んだ。彼は、湖畔を見つめたまま言う。

「静かすぎるよ…だって、あれだけいた水鳥が一羽もいない」


 クルトが湖畔に目を戻した瞬間、それは現れた。


 鏃のような歯が、楕円形の口腔に沿って、びっしりと並んでいた。

 舌はなく、クッポリと空いた喉の奥は、暗くて見通せない。

 眼前に突如として出現した“それ“は、クルトの隣にいた兵士の胴体を咥えて連れ去った。

 でかい。

 誰かが、おお!と叫んだ。

 うなぎ…いや、全身に虹色に輝く鱗を帯びている。蛇のような、魚のような…それは、堰の上に落下し、身体を打ちつけ跳ねると、空中で身を捩って湖へ頭を向けた。

 水はけ柵にぶつかりながら、それは飛沫を撒き散らして湖の中へと沈み、瞬く間に湖底へと消えた。

 連れ去られた兵士は、悲鳴すらあげる暇が無かった。

 静寂と、恐怖が、兵たちを支配する。

 20mはあっただろうか…長いヒレと、鞭のようなヒゲ、陽光を反射して虹色に輝く鱗、そして、巨大な口…。

 クルトは頭を強く振った。

「退避だ!堰の後ろまで戻れ!」

 辺りを見渡すと、堰の傾斜に座り込んだル=シエルと兵士たち。水はけ柵のうち数本が斜めにずれ、囲いの中へ勢いよく水を流し込んでいる。

「退去しろ!修復はあと回しだ!手を貸してやれ!」

 クルトは剣を抜き、工兵たちの撤収を見守る。

「ル=シエル、あれは何だ!?」

 ハーフエルフの少年は、目を広げて湖畔を見つめたまま動かない。クルトは、頭を叩いて尋ね直す。

「僕に分かるわけないよ!あんなでっかい、口の生き物なんて…見ただろ!?すぐ目の前まで来たんだ!」

 クルトは額の汗を拭い、そのまま髪を掻き上げて、首元の汗も払った。

「後で話そう。お前も下がれ」


「先ほどの音は、魔物の鳴き声だったのでしょう」

 クルトは兵員の撤収が完了すると、番屋に隊長たちを集めた。平静を取り戻した者たちは、意見を述べ始めるが、クルトはそれに反論する。

「それは、おかしい。獲物を仕留める前に、音を出すやつはいない」

 ル=シエルが挙手した。

「多分だけど、あの音は警戒音なんだ。水の中でもはっきりと聞こえる、あのパキパキ言う声で、相手を威嚇するのさ」

「狩場を荒らした俺たちを、追い払おうとしてたってわけか?」

「だけど、効果がないから攻撃して来た」

 クルトの問いに、ル=シエルはそう結論づけた。

「俺たちは、一発かまされたってわけか」

 兵士が不安そうに尋ねる。

「…また、襲って来るでしょうか?」

 クルトは腕を組んだ。

「ル=シエルの読み通りなら、必ず来るだろう。腹ごなしが目的でないならば…な。なわばりを持っている奴は、太刀打ちできないと分かるまで、諦めたりはしないはずだ」

「決壊の段取りの方は…」

 兵士の問いに、クルトは爪を噛んだ。

「もう、いつ合図があってもおかしくはない」

「しかし、このままでは…」

 重い空気が、部屋を満たす。


 アマーリエの本隊は今頃、ピエレト山の麓で山の民たちと戦闘中であろうか。ロロ=ノアは、クルトたちの千名が合流した三千名の兵士であっても、正攻法で山を陥すことは不可能だと言った。山を完全に包囲できる兵数ではなく、補給を完全に断つことができないからだ。さらに山の道は狭く険しく、天然の城塞と化している。加えて、彼女は恐ろしい予言までした。

 辺境騎士団が苦戦を強いられれば、周辺の諸族が動き出す。

 そうなれば、一網打尽だ。

 打開策として、兵の三分の一を割いてでも、湖の決壊を作戦の決定打とした。

 そのタイミングは、今にも訪れようとしている。

 アマーリエの本隊の命運を握っているのは、彼女本人ではなく、紋章官ロロ=ノアでもなく、騎士クルト・フォン・ヴィルドランゲなのだ。しかし、その作業を妨害している相手は水の中だ。それも、全長20mを超す巨大な魔物。

 人間がどうこうできる相手だとは、誰も思えなかった。

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