第8話 シャルル

 山の麓を一周する偵察行から帰還したシャルルは、渓谷の高台に腰をかけ、忙しなく働く騎士団たちを眺めていた。多くの者たちが、矢を拵えていた。束にされた矢が、まるで薪の山のように積み上げられている。また別の者は、井戸の水を獣皮で作った袋に詰め込んでは、別の場所へ運んでいく。

 手持ちぶたさのアンリエットは、矢を作るよりはと、水運びの仕事を手伝っていた。いつの間にか、すっかり彼等に打ち解けているから驚きだ。騎士団にとって、彼女は敵のはずなのに…。

 その様子に首を傾げながら、シャルルは騎士団から受け取った水と乾燥パンを食べていた。

 水は若干、土の臭いがしたが、塩気のあるパンは、保存食としては悪くはなかった。

 だが、自分ならばもっと上手く焼ける。

 山では見ないが、陽当たりと風通しの良い場所なら、どこにでも自生しているオレガノを入れてもいい。

 砂糖漬けにした果物を入れたなら、保存食とは思えないほど美味いパンにもなる。

 両親が作ったパンを、もう一度食べてみたい…叶わぬ想いを、シャルルは今でも胸に抱き続けている。



 シャルルの育った港町の領主一家が、家事によって他界してから、さらに1ヶ月ほど後。

 秋の実りに沸いた町の住人たちは、久方ぶりに活気を取り戻していた。

 麦の収穫が終わり、畑を耕し直し、畑休めのために、花の種を蒔き終えた頃の事だった。

 聖教皇国の紋章を掲げた船が一艘、寄港しようとやってきた。

 記憶の限り、誰もが初めての出来事に浮き足だった。

「新たな領主様を連れて来なさったのか」

「町長を呼べ、しっかり出迎えねばいかん」

 だが、水先案内の小舟が呼びかけても応答はなく、ガレー船は空きのある桟橋に勝手に寄港しようとする。

 その頃になって、水先案内は、船から顔だけを覗かせる乗員の姿を認めた。

「蛮族だ、これは蛮族の船だぞ!今すぐ逃げろ!早く!」

 水先案内は港に急いで戻ると、そう民たちに告げた。

 蛮族の海賊船による襲撃は、港町にとっては想定内の脅威だった。

 どこの町や村も、見張りの塔を建てて、蛮族の接近と知るや、逃げ隠れるか、徹底抗戦のどちらか、或いはその両方の備えをしている。町によっては、山中に隠れ里も用意してあるくらいだ。

 シャルルのいる港町にも、隠れ里があった。

 蛮族が来たら、年寄りと子どもと女たちは、山奥の隠れ里に落ち、海が荒れる冬まで身を隠す決まりになっていたのだ。しかし、領主を失ったばかりの港町は、脅威に対する反応が日和見がちになっていた。里に逃げるとなれば、仕事も畑も投げ出して、家財も持ち逃げされるままになる。誰もギリギリまで、逃げ出したくはないのだ。窓から顔を出して、港の様子を伺うばかりで果断な行動に移れなかった。

 号令をかける者がいない、それが町を壊滅に導く。

 桟橋に飛び降りた蛮族たちは、カトラスを手に暴れ回った。

 人々は、被害が絶望的だと知り、そこで初めて恐怖し、混乱が生まれ、それが町全体へと伝播する。組織的な反抗をすることもできぬままに、抵抗した大人たちは容赦なく首を刎ねられ、抵抗しなかった多くの老人と小さな子どもたちも腹を刺された。

 降伏した大人たちと、働き手になる大きな子どもたちは、首に縄を掛けられ、数珠繋ぎとなって船に乗せられる。悲惨なのは、船にこれ以上乗せられないと分かるや、海がまだ暖かいことを良いことに、あるいはそんな事すらお構い無しなのか、縄で首を繋いだまま海に落とされた。

 妙な発音の異国の言葉を話す半裸の巨人たちにとって、人族の命はこれほどまでに価値が低いものだと知らしめられ、その光景に目眩がした。これならば、食用として重宝される大ガエルの方が、よほどありがたられているではないか…シャルルは、首に縄をつけた格好で、甲板の上に吐瀉物をぶちまけた。


 この後、しばらくの間の記憶は曖昧になっている。

 まるで記憶が抜け落ちたかのように、うまく思い出せないのだ。

 一度、まな板に載せられた事は覚えている。

 その時、何と言って切り抜けたのかは、覚えていない。

 判っている事は、生き残るためにありとあらゆる努力をした、ということだった。

 その中で、功を奏した事は二つあった。

 ひとつは、言葉の習得。

 蛮族の中には、西方共通語を使う者もいたが、それはごく稀だった。単純な単語の羅列のような、原始的な言葉が一般的だった。それを、片言ながらに意思疎通ができる程度には、習得することができた。シャルル以外の捕虜たちには、何故かそれが出来なかった。

 次は、料理の腕前を披露できたこと。

 それから何年間にも渡り、蛮族の海賊船で調理担当をする事になる。自分が人族の端くれと自認しているとしても、人間やエルフ、ドワーフなどから遠い姿形をして生まれたことに、創造主とやらがいるのなら、初めてそれに感謝した。少なくとも、役割を与えられたシャルルは、その特殊な外見に助けられ、間違って喰われる心配だけはなかったのだ。


 役に立ち続ける事、それが至上命題となった。

 しかし、パン屋の賄いとは違い、蛮族の海賊船専属料理長が扱う食材は、魚、亀、豚、羊、山羊から人肉、果ては蛮族の肉に至るまで、多種多様なレパートリーを網羅するものとなった。常に自らの死を意識しつつ、片言の蛮族語を駆使しながら、そのいかれた料理をただひたすら、毎日2度、作り続けた。

 実のところ料理自体、難しい内容はまるで無い。

 焼き目の付いた肉は好まれたが、基本的には血が滴るほど生に近い方が良い。

 肉を噛み切ることに特化した歯を持つ彼等には、薄く切った肉や、細かく切り分けた肉では充実感を得られない。なるべく、厚く、大きな塊が好まれた。

 特に彼等を病みつきにさせたのは、オイルコットンで包んで寝かせた熟成肉だった。月に何度かしか提供できない、これが出るたびに、必ずどこかで奪い合いが起こり、その度に何匹かが海に放り落とされる。

 船が寄港しても、下船は許されなかった。

 人間の死体が厨房に運び込まれても、何とも思わなくなったが、地面を踏めないストレスは、耐え難い苦痛だった。念願の地面を踏める時は、海が荒れる真冬の間だけ。どこかの町の建物に監禁され、手足を鎖で繋がれた状態のまま、石の床の冷たさにひたすら耐える日々が続く。

 一緒に連れ去られ、生きた奴隷として酷使されていた港町の人間たちは、丸二年が過ぎた頃には誰もいなくなっていた。


 また春が訪れ、海賊船が出航する。

 何度目かの襲撃が終わり、戦利品として幾つかの樽が厨房に運び込まれる。

 襲撃直後に運び込まれる樽には、大抵は殺した人族が詰め込まれている。

 言わずもがな、食料のためだ。

 しかし、この日は違っていた。

 樽の中には、まだ息のある女が入っていたのだ。


 すっかり人の死体を切り刻むことに麻痺していたが、これには流石に狼狽した。

 しかもよく見てみれば、全身に短い体毛を生やし、尖った三角の耳が頭の上部に付いている。しばらく無関心を装い、蛮族たちが居なくなるまで待つと、樽の中の女に話しかけた。

「聞こえるか?おい、心がまだマトモなら、俺の問いかけに無言で頷け。この言葉は分かるか?それともこの言葉なら分かるか?ハナシ、リカイか?」

 どこを見ているか定かでなかった女の目線が、ゆっくりとシャルルに向けられ、やがて瞳の虹彩が絞られる。まるでたった今、初めて生を受けたかのように、女の顔に生気が宿った。

「最初の言葉で分かる。変わった蛮族、何ていうの?」

 実のところ、自分のルーツの秘密を知っているのではないか、と期待していた。しかし、女の言葉はその期待は叶えられないことであると告げていた。

「それは俺が聞きたかった事だ。俺は自分の種族を知らない。毛が生えたお前なら、もしやと思ったんだが、な」

 厨房の船倉側の窓が開けられ、元調理師の、俺がその座に就任してからはお目付役兼、上司となったモーヴという名のホブゴブリン族が顔を出した。

「話しダメだ。生きた女、船に乗るの不吉。皆、知らない今、さっさと調理しろ」

「OKだ、ボス。希望のメニューはあるか?」

「船長、生き血、飲みたい。新鮮、大事。早く調理しろ。細かいこと任せる」

 他の船員には内緒の、船長限定特別ディナーだという意味だ。

「では、生き血の冷製スープと、血をたっぷり使ったパティを用意するぜ。締めるところを見られたくないから、一人にさせてくれ」

「殺すの嫌か、なら、俺やる」

 モーヴが笑うと、オレンジ色に染まった汚い犬歯が口からはみ出す。

「締め方を損ねると、肉の味が落ちると、前にも教えたぜ、ボス。俺はこの腕前で、自分の命を繋いでいるんだ。ボスであっても、教えるわけにはいかない。理解できるだろ」

「…確かだ。お前の肉は、魚も山羊も、全て美味い。こいつマズイなると、俺が危ない。だから、任せた」

「さすが、頭がいいぜ、ボス」

 シャルルは親指を立てたあと、扉を閉めると、これから締める予定の食材との会話に戻る。

「お前の種族は何て言うんだ?」

「私の村では、ミュゥと呼んだ。他所の人族からはキャットピープルとも呼ばれてた」

「他人行儀で、独創性のない呼び名だな。ミューの方が百倍マシだ」

「ミュゥ」

「え?」

「ミュゥ」

「あぁ、済まない。ミュゥ…だな。理解した。さて、正しい種族名を教えてくれたお礼に、いい事を教えてやろう。お前には時間が無い。そして、この船は今、沿岸部を航行中だ」

 女は黙ったまま、頷きを繰り返す。

「まず、生き血を抜く」

 女は黙ったまま、頷かない。

「俺はそれで料理を作り、一方でお前の身体をそこの残飯用の樽に詰める」

 血塗れの樽を見て、眉間に皺を寄せた。

「昼ごろになったら樽に栓をして、海に放り投げる」

「…もしかして、逃してくれるの?死体の埋葬ではなくて?」

「あぁ、もしかしなくても、俺は最初からその話をしている」

「そうなんだ、気付かなくてごめん。でも、夜の方がいいのではなくて?」

「奴らは、夜の方が返って感覚が鋭くなる。それに今の季節は、夜は波も穏やかになって静かだ。風が出始める昼ごろが、丁度いいんだ」

 軽い頷きを何度か繰り返す女。

「嬉しくないのか?」

「なぜ?もちろん、嬉しいわ。でも、それほど期待はしてないし、貴方にとっては、危険な行為のはず」

「…そうだな。まぁ、毛むくじゃら同士の縁ってやつだ」

「何、それ」

 初めて女がクスリと笑った。

「さて、血を抜くぞ、腕を出せ」

 女の動きはぎこちなかった。全身の体毛でよく判らないが、そこかしこから出血の跡があった。俺は手首の体毛の一部をナイフで剃り落とすと、木のコップを当てがった。しかし、どの血管を切ろうか思いあぐねた。殺さずに血を抜くのは、初めての経験なのだ。

「痛むぞ…」

「平気」

 急に知識が湧いてくるものでもない。ここは悩んでも意味は無かった。一番端の細めの血管を切り開くと、黒い血がどろりと流れ出した。ゆっくりと滲み出るそれをこぼさないように、コップで受け止める。

「…痛くないのか?」

「平気。村で鍛えられたから」

「鍛える?どんな風に?」

「六歳になると、大人たちから石を投げつけられるの。決まった日ではなく、突然、前触れもなく始まるの」

「何だよそりゃぁ…ひでぇな、いじめか?」

「いじめじゃない、平気。痛みに慣れるための、慣わし。友だちも、親も、優しい」

「変わった風習だな…それで、痛みに慣れるもんなのか?」

「感覚が無くなるわけではないけれども…だんだん、痛みに対して“恐怖“が無くなるの。あたり前だから。そして、利き腕の逆を折られて、石投げは終わり」

 シャルルは、聞いているだけで痛みを覚えそうだった。

「何で、そんな事をするのか、尋ねた事はあるのか?」

「…えぇ、聞いたわ。そのままよ。痛みに耐えられようになるって。村はね、全員で海賊をするのよ。男も女も、全員で海賊なの。大人になってから、変わった村だって知った」

 怪我を恐れない、狂戦士から成る海賊集団。初見のキャットピープルのイメージが邪魔をして、未だ理解が追いつかない。

「ねぇ…」

「どうした?」

「…寒くて、クラクラする…」

 慌てて手首を布切れで縛り、さらに上からオイルコットンを巻きつける。

「塩釜で蒸すの?」

「あれは、全身丸ごと蒸すんだ。お前を入れられる焼き場も、そこまで大量の塩も、この船には無いから安心しろ。これは、海に入った際に、血が流れないようにするためだ。まぁ、気休めかも知れないが」

 樽をひっくり返すと、底に残っていた他の死体の部品が、まち散らされた。よくある光景だ。後で掃除すればいい。空になった樽に女を座らせ、その上にかき集めた体の部品たちを詰め直す。

「豚肉と鶏肉だから、安心しろ。人族の肉じゃない」

 おっと、これは流石にバレるか…シャルルは、五本の指がついた部分だけは、入れないでやることにした。一通り詰めて女の身体を隠す。

「血みどろだな。ここから見ても、どれが残飯で、どれがお前か既に見分けがつかん。栓は直前で締めるから、海に落ちたと思ったら限界まで堪えろよ。すぐに見つかっちゃ、俺の方がやばい」

「うん…ありがとう。うさぎさん」

「その名で呼ぶな、嫌な記憶を思い出す。じゃぁな。幸運ってものがあんたにある事を祈ってるぜ」

 シャルルは蓋を締めると、部品として運び込まれた他の肉を使って、料理に取り組んだ。

 胸糞悪い食材をかき集めた最悪な料理だったが、その時は、いつもよりも気合の入ったものが出来上がった。


 料理を届ける時だけ、船長室への入室も許可されていた。

 まずは、船長室の前で待機しているお目付役のモーヴにちらりと中を見せ、共に入室する。

 船長は一際小柄なゴブリン族だ。力よりも技、戦闘よりも知略でその地位を得た頭脳派と言える。身体の大きさが権威に直結している蛮族の社会では、さぞかし苦労したのだろう。見栄を張りたいのか、鳥の羽や獣の毛皮で派手に着飾っている船一番の伊達男でもあった。その分、侮辱に対して敏感で、不服従のホブゴブリンどもには一切容赦が無く、船の全員から恐れられていた。

 もしかすると、自分を重用したのには、小さく弱い体に、シンパシーがあったのかも知れない、とシャルルは考えたこともある。

 くんくんとパテの匂いを嗅いでから、一口頬張る。血は採取したばかりの、女のものだ。しかし、肉は別の誰かのものを合わせて練った合挽だった。ゆっくりを咀嚼するその姿を見ながら、シャルルは自分がとんでもない危険を冒している事を痛感した。

 船長はゴクリとそれを飲み込むと、赤い葡萄酒をひとくち啜り…そして、満面の笑みを見た。

 やめてくれ、気色が悪い…。

 下がれの合図が、合格のサインだった。

 何とか、最悪の状況は脱した。あとは、明日の昼に、女の入った樽を海に落とすだけだ。問題は、何かと絡んでくるモーヴの存在だった。樽を捨てるには、甲板まで出なくてはならない。何度も残飯や骨などの廃棄は行なっているので、堂々とすれば怪しまれることは無いだろう。だが、樽ごと捨てるのは今回が初めてだ。できれば、モーヴの目を誤魔化したい。


「ボス、船長のところに行って、昨日のメシで何が一番旨かったか聞いてくれないか。それを、今晩、用意したいと思っている」

 昼寝前に、様子を見に顔を出したモーヴは、心底面倒がったが、船長のご機嫌を取りたいだろ?と持ちかけると、しばし考えたのち、モーヴは厨房を出て行った。

 樽を担ぎ上げると、急いで甲板に上がった。

「なぜ、捨てる。いい匂いだ」

 別のホブゴブリンに、立ち塞がれた。

「腐りかけのを集めたんだ。やめとけ、腹壊すぞ」

 残念そうに口を尖らすホブゴブリンを押しやり、甲板に出るとすぐに樽を投げ落とした。

 着水した樽の音は、船が波を掻き分ける音に紛れてしまい、案外静かなものだった。

 シャルルは樽の蓋が衝撃で開いていないことを確かめると、ほっと安心して、海辺の光景に目を移した。


 その光景に、シャルルは唖然となった。

 見覚えがある気がした…何か目印はないものかと、欄干を掴んで陸を見渡す。すると、その背中を誰かが掴んだ。そのまま、甲板にいたゴブリン族の背中まで放り投げられる。ついでに怒ったゴブリンにも殴り飛ばされた。

「樽捨てた!なぜだ!?」

 シャルルを投げたのは、お目付役モーヴだ。

「あれは、もう穴だらけで、使い物にならない。床は臓物だらけで、滑ってまともに立つ事もできないから、まとめて捨てるのに丁度良かったんだ」

 必死になって、全身で意思を表現して見せる。それが、蛮族流のコミュニケーション術だ。

「直せ!樽は手に入らない!」

「ふざけるな!家畜や人は、略奪のたびに船を満載にするほど手に入れるくせに、樽は貴重品だと言うのか!?」

 モーヴは何かを言いかけたが、シャルルの後ろ首を掴んで持ち上げると、船室へと降りる。他の蛮族たちがいない場所を選んで、シャルルを壁に叩きつけた。

「上の奴らは、襲撃組だ。夜、襲撃。今、気が荒い、言葉注意しろ!奴らが持って来るもの、金になるもの。酒の入った樽は、たまに。酒の入った樽、すぐに空にならない。空の樽、絶対に持ってこない!わかるか!?」

 後頭部を摩ると、白い手の毛に赤い血が付いた。

「…あぁ、分かった。俺が世間知らずで…お前に迷惑をかけた。厨房があまりに汚くて、短気を起こして、樽を捨てちまった…悪い。ごめん。謝るよ」

 モーヴは、意表をつかれたかのように、キョトンとした。

「理解した。それでいい」


 殴り合いが挨拶のような蛮族の社会において、言葉による謝意に対して対応が不慣れなのだ。一度揉め事が起きてしまえば、どちらかが動かなくなるまで殴り倒すのが、蛮族たちの流儀だ。しかし、そんなことに付き合っては、身体の小さなシャルルは、命が持たない。かといって、言葉ひとつで収まる相手ではない。だからまずは、激しく言い返し、一発殴られてから素直に引き下がる。それが、この船で身につけた社交術だった。


 厨房に戻り、床を海水とモップで清掃しながら、シャルルは海辺の景色を思い浮かべていた。

 確かに、見覚えのある雰囲気だった。

 何か、ランドマークになる物があれば…。

 その晩に、何十回か何百回か目の襲撃が行われた。

 そして、今回の襲撃が、分岐点となる。

 シャルルの、人生の分かれ道だ。


 甲板から外を伺いたかったが、襲撃の時の蛮族たちはひどく獰猛になる。船の上で肩でもぶつかろうものなら、シャルルなどはすぐに海に投げ落とされかねない。たとえ料理担当という存在理由があっても、この時ばかりは厨房に身を潜めているのが安全であった。

 大抵、襲撃は丸一日で終わる。援軍を恐れてのことだ。村や町の常備戦力はどこも乏しいが、近くの町や砦からやって来る援軍は、装備も練度も高く侮れない。蛮族たちの至上命題は、“楽して稼ぐ“である。人族とは命の価値観がずれてはいても、日銭を稼ぐために死に物狂いで戦い抜こうとするほど、蛮族とて愚かでは無いのだ。

 しかし、その日の襲撃は、珍しく翌日の夜まで続いた。

 船には次々と荷が積み込まれ、シャルルのいる厨房にも、死んだ家畜や、死にかけの家畜、死んだ人族や死にかけの人族が、次々と運び込まれた。

「いい加減にしてくれ、ここは調理場だ!こんなに置かれちゃ、作業できないだろう!」

 船長ほどには舌が発達していない襲撃組は、汚い歯を剥き出して威嚇し、「肉だ」とだけ言い残していく。

 死体は食糧にはなるが、金にならない。捨てるよりは拾って来い、と言われているだけで、彼らにしてみれば、さっさと厨房に詰め込んで、縁を切りたいのだ。

 シャルルは仕方なしに、床に散乱した十数体の死体を脇へ寄せて積み上げることにする。

 身体の割に膂力のある彼でも、死後硬直が解けた、柔らかな大人の死体を動かすには骨が折れた。こんな時には、モーヴは決まって顔を出さない。やれやれ、次は小さな死体で助かる…とその足を掴んだ時、彼は手を止めた。

 見覚えのある顔だった。

 それは、当時10歳程度であった、粉挽小屋に住む夫婦の息子だ。

 少し大人びた顔立ちだったが、それが返って確信へと変えた。


 急に胃がひっくり返り、吐瀉物をぶちまける。

 目の前にある死体は、どれも故郷である港町の者たちだ。

 今まで麻痺していた感覚が蘇る。

 シャルルの脳裏に、それは鮮明に蘇る。

 彼らは毎日、活き活きと働き、貧しく厳しい生活ながらも、時折、笑顔を見せて語り合う…そんな彼らの日常を、シャルルは思い出してしまったのだ。

 途端に、死体が恐ろしく見えてきた。

 血と臓腑の臭いが、鼻腔にこびりついてしまうのが、気持ち悪くなった。


 港町は、復興していた。

 その町を、蛮族たちは再び襲撃したのだ。

 厨房から逃げ出そうとしたシャルルは、葡萄酒の樽に顔面をぶつけて倒れる。

「喜ぶ、樽だ!」

 大きなオーク材の樽を抱えた、モーヴが立っていた。

「体調が悪い、少し、風に当たってくる…」

 珍しく上機嫌なモーヴの顔見て、激しい恐怖に襲われる。

「これは、船長の夕飯。いつも一緒、しっかりやれ」

 背中にモーヴの言葉を受けながら、這い上がるようにして甲板に登った。

 煙を上げる港町は、記憶にある景色とは少しだけ異なるものの、間違いなく故郷の姿であった。

 シャルルは震える身体を抱きしめながら、その場に崩れ落ちた。


 夕刻時まで動けずにいた彼は、続々と帰還してくる襲撃組によって船室へ続く階段に投げ落とされた。戦利品も増え、そこにいては邪魔だ、と言うのだ。モーヴをはじめ、誰一人として、シャルルがこの町から連れ去られた事など、覚えている節もない。

 船長の夕飯を作り、次いで船員たちの分も用意しなければ。

 何を…?

 考えただけで、再び吐き気を覚えた。

 厨房に入り、しばらく目を背けて立ちすくむ。

 自分に働く気がないと分かれば、船長もモーヴも、あっさり殺すだろう。

「死ぬよりかは…マシだ…そうだ、そう…」

 バールを掴み、モーヴが持ち込んだ樽を開けようと近寄る。

 樽の上には、半腐りの小ぶりの鯖が横たえられていた。

 湿度の高い船内に置かれた保存食には、肉でも焼き菓子でも、何にでもウジが沸く。

 樽の中に沸いたウジを、腐った魚の臭いで外へ誘き出すのだ。

 慣例的に、よく行われていることだが、すぐに食べる予定だと言うのに、モーヴのやつがこの樽をよほど大事に扱っていたとが知れた。

 バールを蓋の隙間に突き刺し、てこの原理でこじ開けた。

 土の匂いがした。

 中には、子どもの死体が丸くなって詰められていた。

 土まみれの衣服は黒ずんで、ボロボロだ。

「墓を暴いたのか…」

 それにしては、蝋のように白く生気の失せた肌は、腐食していない。

 樽に上半身を突っ込んで、顔に被った土を拭い、乱れた髪をどけた時、シャルルの手が震え出した。

 おぼつかない手でランタンに火を入れ、樽の中を照らす。

 そこには、最後に別れた時と同じ顔立ちの、領主の娘がいた。

 樽を丁重に横倒しにし、土を被った少女の遺骸をひっぱり取り出す。

 何度見ても、間違えようがない。

「なぜ、この姿で…」

 特殊な埋葬方法だったのだろうか…少女の服を触った手が、煤で黒くなっていることに気がついた。

 そうだ…思い出した。

 焼け跡から、この娘の死体は発見されなかったはずだ。

「瓦礫の下…いや、地下室か何処かに…」

 生き残りは使用人だけで、秘密の避難場所があったとするならば、誰もそれを知る者はいないかも知れない。

「なんだ…何を抱えている?」

 シャルルには、丸まった少女が、両手で何かを抱きしめているかのように見えた。

 身体は固く、腕は動かない…。

 シャルルの手が力を込めると、服がボロボロと崩れ始める。

 厨房の扉が、どんっ!と乱暴に開かれた。

「メシ準備、まだか!」

 モーヴだった。

 シャルルは一呼吸して、自分の気を落ち着かせた。

「こいつは、えらく特殊なやつだ。なんとかするが、少し時間がかかるぞ!いったい、どっから見つけたんだ!どえらい品だぞ!」

「…偉そうなやつの家、燃えた跡。宝が地下にあるかも調べた、ゴブリンども言う。地下の部屋に、そいついた」

 血の気を失ったシャルルの顔は、その体毛によって誰も気がつかない。気を振り絞って、シャルルは逆ギレを装う。

「とても、船長、楽しみ。不味くしたら、殺す」

「…あぁ、わかってる。特別なものにしてやるから、期待してろ」

「遅いも、殺すぞ」

 モーヴは出て行った。船長に、アレはどうなっている、とでも聞かれて状況を確かめに来たのだろう。現場復帰したシャルルを見て、ひとまずは安心したに違いない。

 シャルルは少女の懐に手を突っ込み、どうにか掴んでいる物の端っこを引き出した。

 ランタンを当てると、それは精緻な意匠が施された小刀だった。

 はっと、記憶が蘇る。

 確か、少女が6歳の時だった。両親から、守り刀をもらったと、見せびらかしに店まで来た事がある。

 間違いない…だとすると…。

 シャルルは、柄を掴んだまま離さない少女の手を掴み、小刀を抜こうと試みる。だが、鞘掛けを握った逆の手も同時に動いて、刀は抜けない。留め具を見つけ、それを外すと、すらりと10cmほどスライドさせる事だけ出来た。

「痛っ」

 鞘掛けを抑えていた指を引っ込めると、肉球から一筋の血がプチプチと現れた。

 改めて刀身に灯りを向け、驚いた。

「錆びて…ない…」


 刀身に付着した、ほんの一粒の血液…それが、吸われるように、すっと消える。


 刀身が薄紅色の光に包まれた。

 それは少女の片腕を包み込み、細く長い刀身を伸ばす。

 それは一度、籠手から真っ直ぐ伸びる直刀が生えたような、見たことの無い形となり、やがて徐々に刀身が短くなり…。

 今度は、少女の体が薄紅色の光を発した。

 服を破いて巨大化、いや、成人の女性の姿となると、まるで宙に浮くかのように立ち上がる。

 次に、瞳がゆっくりと開かれ…白く眩い光が、厨房を照らした。

 乾燥してひばりついていた唇が、上下にと、メリメリと引き剥がされる。

 開いた唇は、声を発した。

 その声を聞き、シャルルは涙を流す。

 想い出の中に、夢の中に、思い出せなかった…幾度も聞いたはずなのに、どうしても思い出せないでいた、昔のままの声色で…。

「コロ…シテ…」

 と、アンリエットはシャルルに願った。




 アンリエットは、逃げ出した山羊を追いかけ回し、ついに捕まえると、左手一本で角を掴んで持ち上げた。それを見た、騎士の誰かに仕える従者が、慌てて止めに入る。



 魔剣は、彼女に決闘を強いた。

 彼女は、それによる死を望んだ。

 あの日以来、シャルルは桃色の髪の剣士の従者として、旅を続けている。

 蛮族であろうと、放浪騎士であろうと、未だに彼女を殺せていないからだ。

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