第2話 橋の上の決闘
刺さるような真夏の陽光。
萌える新緑と、渓流を下る白い気泡。
冷たい水が岩を削る山岳渓流に、一本の苔むした石橋が架かっていた。
渓谷にこだまする、剣戟。
橋の上で繰り広げられる決闘は、すでに一刻ほどにもおよぶ。
はじめは声援を飛ばし、主人を勇気づけていた見物人たちも、これは互いに死をかけた戦いではなく、二人による遊戯なのではと訝しんだ。
「やれやれ、元気なこって…」
互いの魔剣が一合打ち合わされるたびに、どういう理屈なのか、刀身は火花のような眩い光を発する。まるで混じり合う二つの花火のようで、はじめはその美しさに見惚れたものだ。
…だが、長すぎる。
「いい加減、終わってくれよ…」
身体中に白い毛を生やした、まるでうさぎのような人物は、苔の上に“仰向けに“寝転がった。
足先を沢の流れに浸すと、毛がそばだつ。
「俺が義理堅い男でなければ、こんなに待ちはしないところだぞ」
橋の対岸では、全身甲冑を着込んだ男たちが、行儀良く一列に並んで決闘を見守っている。
辺境騎士団の騎士たちだ。
家紋が刺繍された外套やサーコートで、色とりどりに着飾っている。
「よくもまぁ、あの格好で長時間立っていられるものだ。気が知れん」
白いうさぎは、呆れ顔で呟いた。
少年のようなむっくりとした短い手足、そこに長く大きな耳が伸びたうさぎの頭部を持つ、奇妙な種族。西方世界に、彼の種族の名は知られていない。
呪詛が生んだ奇怪な魔物。
古代の魔術戦争が残した穢れの地で生まれる、不可思議な生物。
稀に、そのような者が、この世界には誕生する。
大抵の場合、その輩は忌み、嫌われる。
よほど、あの銀髪の少女を思慕しているのだろう。
騎士たちを眺めながら、うさぎは思った。
白い全身甲冑に白い外套、おまけに白い大剣。
そんな出立ちで、これほど長く戦い続ける少女なんて、言っては悪いが、まともじゃない。最初はただのお飾りなんだろうと思った。それを団長と仰ぐ、辺境騎士団とやらの連中も、碌なもんじゃないとも。だが、今ではなんとなく、解らないでもない気分になっていた。
「まぁ、それを言うなら、うちの相棒も相当ないかれっぷりだわな」
白銀の騎士の相手をしているのは、彼の連れ。
兜は被らず、鯨骨を仕込んだ裾の長いドレスに、鋼鉄のグリーヴ、そして部分鎧を装着する。
白い手足は華奢で、細い首筋などは、片手でへし折れそうだ。
何より目を引くのは、後ろで三つ編みに束ねた桃色の髪。
左手に細身の長剣、右手にガントレットと一体化した短い十字剣を持つ。
それらを、華奢な身体で力任せに振るう姿は、まるで異界から出現した妖魔のようだ。
「やれやれ…ずいぶんとご満悦だな」
うさぎは、相方の様子に、げんなりとした“表情“を見せた。
「ち…笑ってやがる」
二人は、剣戟を交えながらも、何やら会話をしているようだった。それは、桃髪の剣士の口が動いているので分かる。渓谷に反響する水音がそれを消し去り、話の内容までは聞き取れない。
ただ、カチン、カツン、と乾いた金属音が聞こえるだけだ。
その一撃が、どれほど殺人的な破壊力を持ち、どれほど巧みな鋭さを秘めていようが、切り立つ渓谷はどうとも感じないだろう。
苔むした岩に腰掛けたまま、ぴょんと飛び出す細い髭を整えながら、うさぎの姿をした見物人はそんな事を思っていた。
うさぎは、大きな背負い袋に小刀を持つだけの軽装。
傍目からは、桃髪の少女剣士の従者のようにも窺える。
二人はまるで、メルヘンの世界から飛び出した旅人のようだ。
うさぎの名はシャルル・フーファニー。
少女の名はアンリエット・ド・オルガエッタ。
シャルルは魔剣所有者の噂を集め、アンリは二双の魔剣を手に、それに対峙する。
長年、アンリと連れ添っているシャルルには、実のところ、相方の剣技がそれほど達者ではない事を理解していた。だが、並外れた膂力、反射神経、そして持久力を武器に、どんな小技も寄せ付けない強さがある。今までの対戦相手は、雷のように迫る先制の突きで倒されるか、首尾よくそれをやり過ごしたところを、怒涛のように迫る剣戟に押し負けて敗れ去った。
女騎士が、フェイントを用いたら、それが最後だ。
シャルルはそう思っていた。
フェイントは、先手を相手に譲る技だ。
攻撃を恐れる相手にこそ、はじめて意味を成す。
アンリは、攻撃を恐れない。
卓越した反射神経を持つアンリが、その隙を見逃すこともまた、ない。
相手の剣を飛ばすほどの膂力で、嵐のような左右の打撃に転じるだろう。
アンリの剣は、魔力付与された刀身。
どれほど力を込めても、その内包魔力を消耗仕切ってしまうまでは、決して曲がることもないのだ。
だが、橋の上の女騎士は、体力自慢なのか、真っ向から相棒と打ち合いを続けている。
二人とも、まともじゃない。
否、流石というべきか。
それで、こそだ。
辺境征覇を推し進める新進気鋭の騎士団。その女団長は、魔剣を手にする白い髪の“剣の姫“。その噂を聞きつけて、この橋で待ち受けた甲斐があったというものだ。
ひょっとして…もしかすると。
長い間、見物してきた数多の一騎打ちも、この一戦でもって、いよいよ見納めになるのかも知れない。
シャルルは岩に座り直し、赤い瞳で二人の戦いを真剣に見つめることにした。
相手の体の中心線を目掛けて振り下ろされた互いの剣は、互いに眩い火花をあげる。
この光は、何と言ったか…。
対戦者の中の誰かに、教えてもらったことがある。
シャルルの記憶では、フラクシン発光…確か、そんな名だ。
内包魔力を消費した際に発する閃光を、まるで魔剣が自らの魔力を顕示し、相手を威嚇するかのようだと考えた、昔の誰かが、そう名付けたらしい。
二人の剣士は、バインドの体勢になる。
同じ程度の背丈の二人…白銀色の騎士と桃髪の剣士は、互いに剣圧を込めて、相手を押し倒さんと力を込める。
シャルルは、驚いた。
アンリが、両手の剣を使って、相手の刀身を押さえている。
まさか、膂力が拮抗しているのか…いや、そうではなかった。
女騎士が持つ大剣は、絶えず力の方向を変え、相手に切りつける機会を狙っている。力を込めるだけではなく、押しもするし、引きもする。
だが、アンリのパタの刀身は極端に短く、加えて十字の形状をしている。防御には有利なはずだ。
だのに、押されている。
アンリの動きが、妙にぎこち無い。
シャルルは、沢に漬けていた足を抜くと、高い岩を探して、飛び移った。
互いの全身を視角に入れて、彼は悟る。
足技だ。
女騎士は、剣を捏ねながら、相手の踵を封じたり、膝に脚を絡めたりして、圧をかけている。
アンリの表情には、焦りと苛立ちがみえた。
岩場を飛び移ったシャルルは、石橋の欄干の上に立ち、二人に声をかけた。
「終いだ。もうじき雨も降る。続きはまた今度にしよう」
だが、二人からの返答はない。
今のアンリに、そんな余裕はないのは分かる。
「うぇっ、怖っ」
剣の姫の様子を伺うと、アーメットの隙間から、凛々とした眼光が覗いていた。
まるで、肉食獣のようだ。
シャルルの苦手な目だ。
「なぁ、後ろの皆さんもキツかろう。橋はもう渡っていただいて構いませんので、もう終わりにしませんか?腹も減ったしさぁ、いかがなものでしょう?お急ぎなのでは?」
今度は、剣の姫の背後に控える騎士たちに向けて話しかけた。だが、彼らの反応は、予想の範囲のものだった。
「名誉ある一騎打ちに横槍を入れるな、道化よ」
「橋の通行を許す条件として、一騎打ちを申し出たのは、そちらであろう。馬の骨が語る無礼な言い草に、こうして団長がお相手なされたのだ。屈辱を返さねば、こちらの腹が収まらん」
「至極、もっともなご意見だ」
シャルルは首を竦めた。
「ウサちゃんはぁ…黙っていてぇぇぇっ」
何とも間が抜けた声だが、アンリが気合いを込める。
三本の剣が光を強め、渓谷の木々を照らす。
女騎士が、チッと舌打ちをした。
互いの魔剣の魔力が反発し合い、その衝撃波が二人の身体を3mほど引き剥がした。
二人は着地と同時に地面を蹴り、その距離を瞬時に詰め合う。
アンリエットは正二刀、女騎士は屋根の構えから、必殺の袈裟掛けを振り下ろした。
再び、激しいフラクシン発光が煌めき、見物人たちの網膜を焼く。
互いの一撃は、正確に人中線を捉え、かち合った刃は反発しあって橋に突き立った。
間髪をおかず、アンリが動く。
右手のパタを突き出すが、女騎士はそれを掻い潜ると、その腕を掴み、アンリの身体を川へ投げ落としてしまった。
束の間、誰もが沈黙し、渓流の反響音だけが、渓谷の支配権を取り戻した。
水飛沫を巻き上げてジャンプしたアンリエットは、まるで墓場から蘇る魔物のように、橋の上に着地した。
「化け物か…」
見物の騎士たちの誰かが、そう呟いた。
川底を蹴って、外へ飛び出す芸当など、一体誰が出来よう。
桃色の髪の少女は、左手で顔を拭うと、橋の上に突き立つ二振りの剣の元へ行き、自分の魔剣を手に掴んだ。
「…ふぬ、抜け…抜け?…ないッ、抜けない!」
ケツを突き出して引っ張るが、細身の剣はギュンとしなるだけ。
「やめろ、一度落ち着け、休戦だ」
ここぞと、シャルルは橋の上に飛び出して、アンリの手を取った。
「やだ!やめない!最後までやる!」
「子どもか!?駄々をこねるな。なんだ、こりゃ?石が溶けたのか?杭とハンマーを持ってくるから、それで石を砕けば抜ける。だが、時間がかかる。いいか、ここは、引き分けだ。今度はこちらが相手の希望を叶える番だ。聞き分けろ」
「なんで、こんなに強い人なんだよ!?なんでよ!?」
「相手の魔剣も埋まってるんだぞ。お前の望みは、なんだ?…ん?」
見た目、17歳かそこらの少女は、橋の中央にへたり込んで泣き出してしまった。
銀髪の女騎士は、従者から水袋を受け取ると兜を脱ぎ、その中身をぐびぐびと飲み干した。
シャルルは、目を疑った。
声から、若めの女性だとは思っていたが、アンリとそうは変わらない。
ぐっしょりと汗で濡れた前髪が張り付き、桜色に高揚したその白い肌はきめが細かく艶やかで、加えて随分と端正でいながら、まだあどけなさを残していた。
表情は思春期の少女のように無機質で、人形のような美しさ。
豪胆な膂力と、巧みな技術を兼ね揃えた、あのタフな剣技を、こんな少女が…。
そうか、こいつも…シャルルは心の内で呟いた。
「いいのかしら?ここを通らせてもらえるのならば、もう戦う理由はないわ」
その口調は控えめで上品で友好的とすら感じる。
が、先ほどとは打って変わって冷たい瞳には、こちらの返答を無視する意図が込められていた。
俺の苦手なタイプかも知れない、とシャルルは思った。
先程まで長時間の死闘を演じていたというのに、もう相手の事はすっかり忘れ去ったかのように、従者を呼んで剣を掘り出すように命令する。
「我が相棒のわがままにお付き合いいただき、心よりの感謝を。そして願わくば、いずれまた、再戦のご機会を賜りたく…」
「おのれ、まだ言うか!神聖な一騎打ちを止めに入ったのは貴様であろう」
シャルルは、騎士たちに囲まれ、詰め寄られる。
「いや、いや。ただのうさぎの戯言で…そんなムキにならずとも…大人気ない…」
言い切ってから、慌てて自分の口を塞いだ。
「姫、だから申したのですぞ。辻斬りなど、まともに相手にする必要はないのです」
騎士の言葉を聞き流し、女騎士団長はぐずるアンリに向けて言った。
「今は先を急ぎます。その気があるのならば、頃合いを見て私の元に来なさい。ただし、少なくとも私たちの戦争が終わるまで、待って頂戴」
「なん…姫!?何故、かような…」
騎士たちの抗議を、姫と呼ばれる女騎士はどこ吹く風。さっさと一人、橋を渡って行く。騎士たちは、慌てて後を追いかけた。
「なかなかどうして、男気のある…」
騎士たちから殺意溢れる視線を向けられ、シャルルは両手で自分の口を覆った。
橋の上にしゃがみ込み、女騎士の従者と二人向き合って、岩登り用の工具で石畳を叩く。
妙に間が悪い時間…。
アンリは橋桁に両足を縮めて座り、その様子を眺める。
軍勢は、作業する二人を避けながら、次々へと橋を渡っていく。
騎士たちは、シャルルの身体にわざと脚をぶつけたり、盾をぶつけたりとして邪魔をしたが、その後に続いた軽装備の兵士たちからは、散々といじられることになる。
狭い山道の後方にいた者たちは、余計なやりとりを聞いていなかった所為もあるだろう。
「かわいい嬢ちゃんなのに、姫のように強いんだな!」
「言葉を話すうさぎは初めて見たぜ、蛮族じゃないのか?」
「うわ、もふもふだぜぇ!お前も触ってみろ!」
「姫と渡り合って、よく生きてたな、すげぇよ、嬢ちゃん、仲間にならねぇか?」
彼らの言葉使いから、辺境の出身だと知れた。
この橋を渡って北上していく流れだとすると、目的地は“山の民“の領地だろうか…シャルルは、作業をしながら思案を巡らせた。尋ねたところで教えはしまいが、物は試しと聞いてみることにする。
「あぁ、山の民を攻めに行くところだ」
あっさり、教えられた。
ロバに荷を乗せた最後尾の連中を見送る頃、互いの剣を石畳から抜きだす事に成功した。
人気の消えた渓谷は、再び清流と鳥たちの声に支配された。
シャルルが仕入れていた噂によれば、騎士団は一年ほど前に西からやって来たという。それから、辺境の豪族や僭主たちを掃討し、法による秩序をもたらしていると、もっぱら好意的な評判だった。
辺境を治める者たちは、ならず者に毛が生えた程度の、野蛮で軽率な輩が多い。そういう輩は、古からの領土に対し、正当な後継者だと血を偽り君臨し、武力を背景に税をむしりとるのだ。
シュナイダー侯領を制覇した段階から、その評判は急速に、辺境各処に広がりを見せていた。
辺境の人々曰く、「圧政からの解放者」だとか、「風土病からの解放者」だとか…。その銀髪の騎士団長は、一振りの白い魔剣を帯び、また、白い魔法の甲冑に身を包み、その剣術は凄まじいという。
その噂を頼りに、北上しているという騎士団の先回りをして、この橋で待ち受けたのだった。
シャルルは目の前の従者に、さして興味もないふりを装いながら質問する。
「なぁよ、お前たちはどこの軍勢だ?パヴァーヌ騎士国か?ハイランド王国か?それとも…」
「クラーレンシュロス伯爵ですよ。そんな事も知らないで、一騎打ちを?」
従者は、剣を引き抜き、騎士団長から預けられた鞘に収めながら、呆れ顔で答えた。
「それじゃ、あれがハインツの娘ってわけか。確か、名を…」
「アマーリエ様、皆そう呼んでおいでです。クラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエ様です。もう、関わりを持たないでください」
従者は剣を大事そうに両手で抱え込み、走り去って行った。
「おい、俺の名はシャルルだ。あんたの名を聞いても?」
灰色の髪を持つ従者は、「アッシュ」とだけ返した。
ほどなくして、シャルルの作業も終わる。
細い剣を抜くと、アンリエットに放り投げた。
「ありがと…」
「そう、しょげるな。山の民を相手にするのなら、そう易々とカタは付かないだろうさ。のんびり後を追って、再戦の機会をいただけるまで待つしかない」
少女はこくりと頷くと、静かに歩き出した。
二人の願いを叶える可能性を持った、アマーリエという女領主の跡を追って。
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