第3話

 胸に痛みを感じて跳ね起きた。窓を見ると、うっすら明るくなってきていた。鳥の鳴き声はまだ聞こえない。時計は午前四時を指していた。昨日、天気予報で今日が晴れると確認してから、カブトムシを捕まえにいくために四時には起きると決めていた。両脇には父と母がいびきをかきながら眠っている。今日は日曜日なので両親の起床は遅いはずだった。一時間以内に返ってこれば見つかるはずはない。勇太は父の腕時計を左手に巻いて靴を履いた。

 勇太はドアノブを慎重に押して音が出ないように閉めた。夏なのにひんやりを撫でる風の冷たさが新鮮だった。つま先を立てながら階段を降り、その後は竹藪まで大股で走った。到着するころにはさっきの肌寒さは吹き飛び、額から汗が流れてきた。自転車で行くと竹藪の前にしか止められないので、誰かに侵入していることがバレることを恐れた。

 呼吸が荒くなったなか、いつもの騒音レベルであるセミの声が聞こえないことに気づいた。短い寿命の間にメスと交尾する重要な任務を負いながらも休むこともあるんだとすっかり目覚めた脳内で考えた。

 勇太は何度も足を踏み入れて幅の狭い道になったところを進んだ。小屋に入って虫かごを取り出すと、体の奥底に小波が立つような気がした。ぐるりと室内を見渡すと、掃除したはずの落ち葉が散乱していた。風でも吹いたのだろうかと怪訝に思ったが、左腕にはめた腕時計を見て時間に余裕がないことを思い出した。

 コナラの木の前に立ったとき、勇太は固く目を瞑った。せえの、と心の中で唱えて目を見開いて頭を上げた。強く瞑りすぎて視界がぼやけているがじっと目を凝らしているとしだいに輪郭が統一されてきた。そこにはカブトムシやノコギリクワガタが樹液を吸っていた。その他にもカナブンやスズメバチもいる。思わず両手に作った拳を振り上げていた。

 勇太は内緒で買っておいた虫網を持ち上げて、スズメバチを刺激しないように、ゆっくりとカブトムシに近づけた。腕時計のベルトが緩く肘の近くまでずれてきた。虫網の縁で幹からカブトムシの足を外そうとするがなかなか離れない。カブトムシの肢の先は固い木の幹にも引っかかりやすいかぎ爪のようになっていると図鑑で読んだことを思い出した。しばらく何回か虫網の縁で引っかけると、急に幹から離れた身体が虫かごに収まった。

「やったー!」

 勇太は声が出てしまい、すぐに口を閉じた。虫網の中に落ちたカブトムシを取り上げるとひしひしと音を鳴らしている。虫かごに入れて、もう一度樹液を見上げると、さっきまで吸っていたクワガタムシがいなくなっていた。

 勇太はため息が出たが、それでも初めてカブトムシを捕まえることができ、体の内側から嬉しさが吹き上げてきた。

 虫かごを元の場所に置き、持ってきたゼリーを虫かごの中に入れた。腕時計を見ると、もう一時間経とうとしていた。勇太は駆け足で竹藪を抜けた。竹藪から離れるときにドアの開いた音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る