第8話 捕まる芽吹

 深雪のベッドダイブ事件の翌日、俺は早朝から忙しく動いていた。


 今日は弁当を三つ作らなければならない。


 しかも、今日は深雪も食べる。


 中途半端な物を作ったら、『おじさまに何て物を食べさせているの!』って怒られるのは目に見えている。


 上等じゃねえか……ミシュランの審査員がうなるような弁当を用意してみせるぜ!


 味はもちろんのこと、見栄えや栄養バランスまで完璧に考え込んだ弁当を完成させた俺は、ニヤリと笑った。


「クックックッ……深雪が驚く顔が目に浮かぶぜ……」


 俺が弁当を作り終え、鼻歌を歌いながら洗濯物を干そうとリビングを出ようとしたとき、リビングのドアが開き親父が入ってきた。


 俺は親父の格好を見て怒った。


「朝からなんて格好してやがんだ、お前!」


 親父は全裸で、右足だけ靴下をはいていた。


「いやな、芽吹、パンツはこうと思ったら穴が空いていたんだよ。新しいパンツ買ってくれよ」


「パンツなら予備があるだろ! いくら息子の前だからって、朝からフリチンを見せるんじゃねえよ! しかもなんで右足だけ靴下はいていやがる!」


「だって右足が冷たいんだもん……それよりパンツ、買っておいてくれよ」


「わかった! わかったから替えのパンツはいて、会社行く準備してこい!」


「りょ~かい……」


 尻を掻きながら自室に戻っていく親父を見て、俺は深々とため息をついた。


「洗濯物、干そっと……」


 ―――――――――――――――――――――――

 

 俺が洗濯物を干し終えてリビングに戻ると、紺色のスリーピースのスーツに着替えた、完璧なイケオジがコーヒーを淹れていた。


「芽吹。お前もコーヒー飲むか?」


「あ、ああ……お願いするよ……すぐに朝食作るから……」


 毎度毎度の事ながら、こいつの変身ぶりには恐れ入る……今の親父は完璧なイケオジだ。


 簡単にトーストとハムエッグを作った俺は、食卓に皿を並べた。


「どうだ、芽吹? 新しい学校は? 友達できたか?」


「えっ? いや、まだ昨日始まったばかりだし……」


「早くガールブレンドの一人や二人作って、家にご招待しろよ。なんなら俺のベッドを貸してやってもいいぞ、ハハハハッ!」


 トーストを食べながら爽やかに笑う親父を見て、俺は罪悪感を感じた。


 すみません……きのう貴方の部屋のベッドで女子高生が一人大暴れしました……


 俺が下を向いていると、親父が不思議がった。


「どうした、芽吹? なんか嫌なことでもあったのか?」


「いや……なにもないよ……」


「そうか……それならいいけど……しかし、箸は折れるし、パンツに穴は空くし、なんかついてないな、俺……かわいい女の子にでも呪われているのかな? ハハハハッ!」


 すみません……パンツはともかく、お箸は取引に使いました……


「ごちそうさん。おっと、もうこんな時間か。そろそろ行く準備をするか……」


 親父はカフスボタンを留め、ジャケットを羽織った。


 ―――――――――――――――――――――――


 玄関を出ると、深雪がほんのり頬を赤く染めながら、待っていた。


「お待たせ、深雪ちゃん! いやあ、今日もかわいいねえ!」


「あ、ありがとうございます! おじさまも今日も素敵です! そのままパリコレに出てもおかしくないです!」


「ははは、嬉しいこと言ってくれるねえ。深雪ちゃんもお人形さんみたいだよ。可愛すぎて、おじさん、間違いを起こしちゃいそうだよ」


「そ、そんな……間違いだなんて……」


 深雪は耳まで真っ赤にしてうつむいてしまった。


 どうやら、今の親父の何気ない一言が、深雪のハートを打ち抜いたのだろう。


「ほら、親父、会社に遅れるぞ。ほれ、弁当」


「おお、すまんな、芽吹。それじゃ会社に行くとするか……芽吹も深雪ちゃんも気をつけてな」


 そう言い残して、親父は車に乗り走り去っていった。


 深雪はその姿を見送りながら、ぼそりと呟いた。


「間違いを起こしてくれてもいいのに……」


 ―――――――――――――――――――――――


「ほれ、弁当」


 俺は深雪に弁当を手渡した。


「わあ! これがおじさまと一緒のお弁当なの!?」


「そうだよ。豪華な物は入ってないけど、味には自信があるんだ……よかったら後で感想を聞かせてくれよ」


「うん! ありがとう! 芽吹!」


 深雪は満面の笑みを浮かべながら、お礼を言ってきた。


 そのあまりにも天真爛漫な笑顔に、俺は少しドキッとしてしまった。


「お、おう……残さず食べてくれよ……」


 ご機嫌な深雪と俺は、親父の話に花を咲かせながら一緒に登校した。


 それを通りの角からじーっと見ている、一人の女子高生がいた。


 ―――――――――――――――――――――――


 高校に着いた俺は、上履きに履き替えようとしたところ、後ろから襟元えりもとを捕まえられた。


「ちょっと来て」


 驚いて振り返ると、ショートヘアーの女の子が怖い顔をして立っていた。


 確かこの子は、清水しみず 詩織しおりさん……昨日の自己紹介で知った同じクラスの女の子で、深雪が『しーちゃん』と呼んでいる子だ……


 清水さんは、俺の襟元を捕まえながらどんどん歩いて、俺は引きづられるように校舎裏へと連れていかれた。

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