第7話 お箸の譲渡

「何よ、おとなしく頭で受け止めなさいよ! ムキーッ!」


 深雪はベッドから起き上がり、机の上に置いてある万年筆を手にとって、ダーツの構えで俺の顔面を狙って投げようとしていた。


「落ちつけったら! 何で的確に俺の顔面を狙ってるんだよ!」


「目を潰すためよ……見たんでしょ……私の下着姿を……あられもない姿を見て欲情したんでしょ……」


「見てない……わけじゃないけどチラッとしか見てない! 欲情なんかしてない!」


「嘘よ! あわよくばあたしを襲おうとしたでしょ!」


「してないしてない! なあ、頼むからそれを投げるのはやめてくれ!」


「……じゃあ、頭を鈍器で思いっきり殴らせて……大丈夫……記憶を消すだけだから……」


 こいつ、そんなことで、俺の記憶をピンポイントで消せると思っているのか……?


「おじさま……あたしは守り通してきた純潔を、貴方の息子に奪われてしまいました……シクシク……」


 深雪はベッドに座り込み、シーツを目に当てて泣き始めた。


 このままじゃらちがあかない……こうなったら、プライドを捨てて……


 俺は土下座して、深雪に謝った。


「なあ、頼むよ、機嫌直してくれよ……絶対にこのことは口外しないから……それに親父とお前が付き合えるように協力するからさ、な?」


「……本当に?」


「本当本当! 約束するよ!」


 俺の言葉を聞いた深雪は、シーツから手を放してベッドから立ち上がった。


「……まあ、いいわ……今回のことは私にも本当にわずかに非があるし……それより約束してよ……あたしとおじさまが付き合えるように協力すること……」


「するよ! 約束する! ああ、楽しみだなあ! お前が俺のお袋になるのが!」


「なら、今回のことは貸しにしてあげるわ」


 貸しなのかよ……俺、何もしてないのに……


「……ねえ、芽吹……もう一つお願いがあるの……聞いてくれる?」


「あ、ああ……何だ?」


「何でもいいから、おじさまの私物が欲しいの」


「私物かあ……バレない物ならいいと思うけど……この部屋にそんなものあるかなあ……」


 俺は親父の部屋を物色し始めた。


 深雪も、デスクの上を凝視して、持って帰ってもバレない物を探している。


「芽吹、これはどう?」


 深雪が見せてきたのは、さっき俺を狙って投げようとしていた万年筆だった。


「それはさすがにバレるかなあ……というよりも、この部屋にあるものは、何がなくなってもバレる気がする……う~ん、そうだなあ……あ、そうだ!」


「なになに? なんか良いものあったの?」


「今、親父が使っている箸なんかどうだ? お箸は折れたから捨てた、っていうことにしておくからさ、どうだ?」


 俺の提案を聞いた途端、深雪はフラッとその場に倒れたので、俺は慌てて深雪を抱き起こした。


「どうした!? 深雪! しっかりしろ!」


「芽吹……あんた、何て物を提案するの……そんな物をもらったら、毎日間接キスしてるみたいじゃない……あたし想像しただけで、もう……」


「しっかりしろ! そうだ、毎日間接キスだ! そのお箸でご飯を食べようが、部屋に飾ろうがお前の自由だ!」


「本当に……そんな素敵な物……もらっていいの?」


「ああ、いいぞ! だから、しっかりしろ、立てるか?」


「ええ、なんとか……よいしょっと……」


 深雪はようやく落ち着きを取り戻し、立ち上がって深呼吸をした。


「す~は~、す~は~、それじゃあ芽吹、そのぶつを見せてちょうだい……」


「ああ、ぶつはキッチンにある……こっちだ……」


 俺は深雪を再びリビングに連れていき、キッチンの中に入れて、ぶつを見せた。


「こいつだ……これが親父がいつも使っているお箸だ……もう二年は使っている……親父しか使ってない純度百パーセントの本物だ……上物だぜ?」


「すごい……これがおじさまのお箸……」


「これでいいか?」


「ええ、上出来よ、芽吹。これで手を打つわ」


 俺は親父のお箸を慎重に持ちながら、深雪に手渡した。


 深雪はそれを慎重にティッシュでくるみ、鞄の中にしまった。


「確かに受け取ったわ、芽吹……それじゃあ、今日はこれで失礼するわ……」


「お、おう……」


 深雪は玄関まで行ったところで、俺に近づき、下から俺を見つめた。


「忘れないでね……今日の約束……絶対に今日のことは口外しないこと、あたしとおじさまが付き合えるように協力すること……」


「あ、ああ、約束するよ……」


 ニヤッと笑った深雪は、ようやく玄関の扉を開けた。


 ガチャン。


「じゃあね、芽吹」


 バタン。


 ようやく嵐が収まったことに安堵した俺は、ため息をつきながら親父の部屋を片付けにいった。


 俺と深雪が侵入し、暴れた痕跡を完全に消すために。


 ―――――――――――――――――――――――


 その夜、親父が夕食の席についたとき、箸を見ながら俺に聞いてきた。


「なあ、芽吹。いつもの箸じゃないんだが……俺の箸は?」


「あ、ああ、あれは傷が入ってて折れちゃったから捨てたんだ……また新しいのを買ってくるよ……」


「ふ~ん、そうか……気に入ってたのになあ……まあ、しょうがないか……」


 親父は代用の箸で食事を取り始めた。


 ごめんよ、親父……

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