第5話 あなたのものになりたい

「それじゃあ、入れよ……散らかってるけど」


「お邪魔しまーす。まあ、何、これ、おじさまの靴? 素敵! 全部ピカピカに磨いてあるわ! やっぱりできる男は靴から違うのよね!」


「ああ……それ、全部、俺が磨いているんだ、ピカピカだろ? そこまでピカピカにするには、なかなかの技術が――」


「うるさいわね、少し黙っててよ。ああ、おじさま……深雪はおじさまの靴になりたいです……ねえ、芽吹、下駄箱の中も見ていい?」


「あ、ああ……別にいいけど」


 俺が下駄箱を開けると、深雪は食い入るように靴を見つめた。


「まあ、素敵! なんて素敵なの! プライベートでも素敵な靴を履いていらっしゃるのね……しかも下駄箱から匂うほのかなラベンダーの香り……ああ……」


「ああ、それは脱臭剤の――」


「おじさまは、きっと足裏からラベンダーの香りの汗を掻くのね……素敵すぎるわ……」


 深雪は下駄箱の香りに、恍惚の表情を浮かべている。


 もはや純度百パーセントの変態だ。


 俺の話なんか聞いちゃいない。


「ちょっと、あんた、何よ、この汚いサンダルは……しかも何足も……こんなの履いてちゃ女の子にもてないわよ。おじさまを見習いなさい」


 そこにあるサンダル、ほとんどが親父のなんだけどなあ……黙っておこう……


「わかった……きれいな靴を履くように気をつけるよ……ところで、とりあえず下駄箱チェックはもういいだろ? 中に上がれよ」


「はっ! そうだったわ! 私としたことが、目的を完全に見失ってしまうところだった……それじゃあ、失礼して上がらせてもらうわ」


 ―――――――――――――――――――――――


 リビングに入った深雪は感嘆の声をあげた。


「わあ……懐かしい……!」


「昔は、お前よく遊びにきていたもんな……二人でゲームしたりしたよな」


「そうね……思えば、あの頃から私、おじさまにぞっこんラブだったかもしれない……」


「言い回しが古いな、お前……、ところで何か飲むか?」


「おじさまは普段何を飲んでいるの?」


「酒以外だと、コーヒーが多いかな……最近、親父はコーヒーにこだわっていて豆から挽いているんだよ」


「それじゃあ、私もコーヒーがいい!」


「了解、それじゃあ、そこのソファに座ってちょっと待ってろよ。親父がいつも飲んでいるやつと同じコーヒーをいれてやるから」


 俺はコーヒーミルに豆を入れ、コーヒーの用意を始めた。


「ねえ、いつも芽吹がおじさまのコーヒーを淹れているの?」


「いや、親父はいつも自分で淹れてるよ。なんかこだわりがあるみたいだし」


「そっか。コーヒーを淹れているおじさまも素敵なんでしょうね……『美味しくな~れ~、美味しくな~れ~』って、あの素敵なバリトンボイスでおっしゃっているんだわ、きっと……」


 俺の親父は誰なんだよ……


 俺は深雪の言葉を無視して、暫くコーヒー淹れに専念し、無事コーヒーを淹れ終わった。


「ほい、コーヒー。砂糖とミルクは?」


「おじさまはいつも何か入れるの?」


「いや、ブラックだな」


「じゃあ、私もブラック! ねえ、おじさまはいつもどの辺に座っているの?」


「親父はいつもその辺かな……その辺で足を組みながらテレビを見てるよ」


 俺がソファの中央辺りを指さすと、深雪はコーヒーカップを持ってソファの中央に移動し、足を組んだ。


「ああ……おじさまはこうして優雅なコーヒータイムを満喫してらっしゃるのね……深雪はおじさまのソファになりたい……」


 そう言いながらコーヒーを一口飲んだ深雪は、思いっきり顔をしかめた。


「苦いだろ? それ。親父はめちゃくちゃ苦いコーヒーが好きだからな。俺も砂糖がないと飲めないくらいだ。無理すんな。砂糖いるか?」


「……ううん、いい……美味しい……このままで美味しいから……」


 強情な奴だな、まったく……砂糖を入れれば美味しいのに……


 回りをきょろきょろしていた深雪は、たくさんある写真立ての中から、一枚の写真に目をとめた。


「芽吹、あれはなんの写真なの?」


「ああ、それは親父の前の車の写真だよ。お前も知ってると思うけど、親父は昔の外車が好きだからな。とにかく故障するんだよ、古いから……旅行に行ったときなんかも、突然――」


「ああ……なんて素敵な趣味なんでしょう……古いものを大切にする、そのアンティーク好きな趣味、深雪は激しく同意します……」


 最後まで聞けよ! 人の話!


「私もおじさまの車になりたい……でも貴方の前では故障してしまうかも……その時は優しく直してほしい……」


 深雪は頬を赤くしながら、隣の写真に目を移した。


「あの写真は? あんたも一緒に写っているけど……?」


「ああ、それは俺が中学に入った時に取った記念写真だよ。恥ずかしいからいいって言ったの――」


「ああ、家族を大切にするなんて、なんて素敵なんでしょう……いずれは私も家族の一員に……ポッ♥」


 だから、最後まで人の話聞けよ! しかも、今お前、最後にさらりとすごいこと言ってなかった?


「よし、そろそろ行くわよ!」


 深雪は鼻息荒く、ソファから立ち上がった。


「行くってどこへ?」


「決まってるでしょ、おじさまのプライベートルームよ!」

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