20.祈りと呪い


「どうか教えてくれ。僕がくして君を止めようとするのは、今宵で一体、何度目のことなのか」


 アルヴィンは目蓋を閉じた。黒手袋をめた右の手のひらで、胸の中央に触れる。自分自身の記憶を精査し、そして確かめているのだろう。正誤を測る天秤が、どちらに傾くのかを。


 その光景を、気持ちだけでも共に見届けたく、僕は瞳をらす。


 ダークグレーのボタンレスジャケット、アイボリーのカーディガン、黒いシャツ。更に内側には能力制御具である深紅の帯が巻かれており、その狭間から清らかな白肌が覗いているのだろう。さながら冬暁ふゆあかつきの聖都の大通り、新雪の上をわだちの跡が幾筋も横切っているように。


「ごめん、ゼイ兄さん。教えない。教えられない、ではなく、教えたくない。これは『記憶』の役割を担う眷属としての、ではなく、アルヴィン・スノウという一人格としての……貴方の弟としての、意志」

「……そうか。謝らないでくれ、君は悪くない」


 三日月色の上睫毛がゆっくりと持ち上げられ、あざやかな紅色がまた現れる。


 何故であろう。その刹那に見た瞳は、息を呑む程アルラズに似ていた。「意志」が堅固な結晶となり、差し込んだ光を冷たく照り返しているかのような……外側から如何いかなる熱量で働きかけようが届かない、変化をもたらすことは出来ない……そんな眼だった。


 しかし、それは一時いっときのこと。


「これから先も、何度ゼイ兄さんが会いに来てくれたとしても、母さんから授かった責務は渡さない。でも……答えの代わりにはならないけれど、せめて、ある『記憶』を貴方と共有したい。今夜初めて、伝えようと思えたこと」


 同じ瞳にあたたかな感情をゆったりと泳がせ、アルヴィンははにかんだ。


「本当に『嬉しい』んだよ。ゼイ兄さんに止められて、苦しく思ったこと、一度もないよ。だから、ありがとう」

「…………っ!」


 嗚呼。栞を贈った遠き日のアルヴィンが、まるで変わらぬ姿で目の前に在る。


 ……フ。こうなっては、僕が示すべき表情、伝えるべき言葉は決まっている。

 美笑びしょう、そして……


「疑ったことなど一度としてないさ。アルヴィンの言葉も、彼奴アルラズの実力もね。『正義』がつつがなく執行されること、そして我が愛しの弟たちの、無事の帰還を信じている」


 タイミング良くと言うべきか悪くと言うべきか。アルヴィンのかたわらの闇が無音のうちにじ開けられ、その表情は凍る。


 やれやれ、刻限のようだ。突き出され、差し出された手はアルラズのもの。力任せに縦に引き裂いたような空間の繋げ方から、最早選択の余地がない状況と窺える。勿論アルヴィンは躊躇いなく、兄の手を強く掴んだ。


 火炎がにわかに勢いを増すように、大口をけた裂け目がアルヴィンを呑む。呑み込むなり、霧散する。まったく、魔力の痕跡さえ微塵も残さないとは……先程までのやりとりが夢幻だったようではないか。流石は空間操作系魔法のスペシャリストだ、と遥か遠方から、しかも喉奥で賞賛を送っておこう。


 また、季節の欠片かけらを乗せた風が吹く。気づけば両の拳をきつく握り込んでいた。実に残念だ。黄金に輝く美しき望月を、苦々しい思いで仰ぎ見ることになるとは。


「……抜かるなよ、アルラズ」


 紅蓮の如きマントをひるがえし、囁いた。

 人の、祈りにも似た言葉を。



 〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜



《アルラズ・スノウ》



 ソイツについての詳細を聞いたとき、まず俺が思ったのは、なんで髪色が最愛の弟アルヴィンとお揃いなんですかってことだった。双子の片割れでもお揃いじゃねーのに生意気なんですけど。


『……兄さん、滅茶苦茶なこと言ってるって自覚ある? あるなら公的な場は勿論、私的な場でも二度と言わないで欲しい』

『言葉以外の音が聞こえないから、判別できないわ。あなた達兄弟は、仲が良いのかしら、悪いのかしら』

『仲ーですし相思相愛ですし更に言えば「ふたりでひとり」レベルですよ。なー』

『なー、なんて返すわけないだろ、勝手にラピットに触るな、人差し指でハイタッチさせるな! ……申し訳ありません、今のやりとりは記憶から抹消していただいて構いませんので、どうぞ続きを』


 雲上に浮遊する茶室にて。フウさんはカップのハンドルを掴まずに、カップ全体を小さな両手で包み込むようにして紅茶を飲んだ。そして赤い水面に視線を落とし、ほうっと小さく吐息してから証言を続けた。


『あの男の銀髪だけれど、腰まで至るくらい長い上に毛量も多くて、後ろ姿はまるで羊のようだったわ。辻風つじかぜが吹くだけで折れてしまいそうな程に痩せていて、肌はあなたよりも更に白かった。

 少し吊り上がった眼に、瞳は翡翠色。まるで夜闇の中で仄かに発光しているようで……何故かしら、その瞳だけが真実だったのだと思える』


 瞳だけが真実、か。

 フウさんの直感は、まあまあ正しい。




「我が劇場へようこそ、炎神の眷属よ」


 対話に必要な分だけ近づいて、止まる。


 満月の夜。わざとらしく浮かび上がった黒い糸を手繰たぐり手繰って辿り着いたのは、山麓の更に南方に広がる平原だった。ソイツは隠れる場所のない深緑のさざなみの中、此方こちらに痩せた背中を向けて佇んでいた。


「我が劇場? ここはアンタの国じゃねーし、アンタの用意した悲劇は開演しない」


 ソイツはくつくつと喉を鳴らして笑う。場違いな燕尾服を纏った肩が小さく上下し、光沢ある漆黒の鱗に覆われた、爬虫類のそれに似た尻尾が愉しげにうねる。


「随分と自信がお有りのようで。クク、そうでなくては。アナタは謙虚にして怠惰な観客などではない……ワタシと共に舞台で踊るに相応しい、傲慢にして刺激的な役者、なのですから」

「どうでもいい」


 軽く持ち上げた右の指先に、最初の紅を灯す。


「簡潔に、俺の質問にだけ答えろ。『本件』を未遂とし、隣国フェオリアのエニレー村で行なった罪悪について、の国で正当なる裁きを受けるつもりは有るか」


「正当なる裁き、ですか。流石は『正義』の国の眷属、誘い文句が些か強引だ」


「時間切れ、『無い』と見做みなす。以上の対話記録はフェオリア政府及びリ・リャンテぐうにきっちり申し送りしとくから、どーぞ安心して」


 紅色の糸を左の中指に絡めて引き伸ばしつつ、一歩前へ。いつものやり方で刹那に間合いを詰め、痩せた背中を思い切り蹴飛けとばす。


 ソイツはくぐもった声を漏らし、あまりにも呆気なく片膝をついた。


 邪魔な尻尾は片脚で踏みつけて固定。上から覆い被さるように、大きく波打った硬質な毛髪に両腕を突き入れて。ネックレスを掛けてやるように、


「存在であがなえ」


 研ぎ澄ませた糸を引く。



(キィン、って。耳鳴りみたいな音。聴覚への干渉)



 ぷつん、と弾力ある何かが切断される感触。

 真ったいらな切断面を、つー、と首から上が滑っていき、やがてどさりと音を立てて落ちた。


 これで「終われば」がっかりだ。案の定、と言いますか。二つのパーツに分断された人形ひとがたたちまち、輪郭の燃え崩れた炭と化してどろりと溶け落ち、最後には一つの黒い水溜まりとなって草の根元を覆い隠した。


「まあまあ、そう焦らずに」


 愉悦に歪んだ声を背に浴びる。俺は黙して振り返る。


血腥ちなまぐさい展開もまた甘美なるものですが、もう少々台詞の応酬を味わいませんか? 折角、望月の冴えたロマンチックな夜に、異なる神より生み落とされたふたりが出逢えたのですから」


 両手を広げた予言者の姿は、証言から組み上がる像とは掛け離れたものだった。


 まず、肌の色。高くそびえた鼻を境に、右半分は純白で左半分は純黒。首や手も見るに、顔だけじゃなく全身が二色に塗り分けられているらしい。


 左の横頭、耳朶じだの上からはねじれた漆黒の角が突き出し……いびつに笑う唇は、頬のなかば程まで深く裂けており、鋭く発達した犬歯が覗いている。手指は全体的に細長いが、中指がとりわけ長く、他の二倍程度はありそうだ。


 だが、聞いていた通りの部位もある。眼だ。


 夜闇の中で仄か……どころじゃなく、鬱陶うっとうしい程にギラついた翡翠色の瞳。里の民に偽らなかったのは、虚属性魔法において「目を合わせる」という行為が重要な意味を持つゆえか。


 視覚、聴覚、嗅覚。この三感における対象者への干渉が、酷く扱いにくい「洗脳」という魔法の手綱たづなを取る為のきもなのだ。ま、基本的にはだけど。


「何度も言わせないでくれます? どうでもいい」


 幻影その一の首をねた糸を、左の中指にぐるぐると巻きつけてから、その指の腹を首筋に当てる。糸は皮膚をわずかに食い破って体内へ潜り、身体中を高速で駆け巡って更に鋭利に、強靭に育つ。それに伴って体温が上昇していくのを、他人事のように冷静に感じ取る。


「クク、つれない方だ。では、しばし独白モノローグと参りましょう」


 月明かりをスポットライト、草原に渡る風を背景音楽に、予言者は実にどうでもいい自分語りをはじめた。愉悦が透けて見える、大袈裟で薄っぺらな悲哀を顔面に貼り付けて。


「ワタシはかつて、一度殺され……呪いという名の黒灰の中よりよみがえったのです」

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