21.濁色と夢想


 俺がこの地を訪れた理由は、フウさんから引き受けた「依頼」と、母さんから授かった「主命」を遂行する為だ。


 依頼は予言を回避することだが、主命は違う。予言という傲慢極まりない脚本を書き、自らそれを実現させるという方法で一つの集落を壊滅させた「殺戮者」を正しく裁くことだ。


 おぞましい事件に襲われたのは、水神様が統治をたすけている隣国フェオリア、西部のエニレー村。殺戮者は、フェオリアの東に位置する魔導大国リ・リャンテからやってきた。


 その正体は、リ・リャンテに女帝として君臨する虚神様の眷属。正確に言えば、眷属と成るはずだったもの。ある理由から生まれながらに眷属としての地位を奪われた、名前の無い何か。


『彼を示すものとして、フェオリアからの書状に記されていた、識別番号があるけれど……分かりにくいから、此処ここでは彼のことを、高位魔導生命体・ゼロ……ゼロ、と呼称しようか』


 天空での茶会を終えた後、里へつ前。大聖殿附属図書館の司書長室にて、珍しくツンツン度数ひかえめのアルヴィンと、ふたりだけで話をした。


 ゼロ。そうだ、コイツは「ゼロ」だった。


「どうぞ、ワタシの瞳をご覧ください! この肉体を構成するパーツは、ワタシ自身でさえも反吐へどが出る程に……映り込んだ鏡を叩き割りたい、水面みなもを赤黒く濁らせてしまいたいという衝動に駆られる程に、醜悪なものばかり!

 その中で唯一、唯一、美しいでしょう?」


 恍惚と、白黒の手で白黒の両頬を包んだかと思うと、ゼロは俄かに皮膚に、双眸に、鋭利な爪を食い込ませた。赤黒い血液が幾筋も、涙のように伝い出したのに、目尻が裂けそうな程にカッと瞠目したままでいる。


「この美しいモノの所為せいで、嗚呼、この色の所為で! ワタシは、全てを奪われたのです! ワタシを生み落とした、実の母親からッ!」

「わざわざご説明いただかなくても知ってるっての。アンタ、『複数持ち』なんだろ?」


 複数持ち。

 二色以上の魔力を持つ、この世界の変則イレギュラー


 虚神様の眷属達には多分何度か会っているが、確か皆、虚神様とお揃いの銀色の虹彩を持っていた。恐らくはあれが、虚神様の眷属としての共通項であり、証でもあるのだろう。


 しかしコイツの虹彩は鮮やかな翠色だ。風属性の翠色。大抵の場合、瞳の色と魔力の色には関連性がないと言われているが、虚神様の眷属は違うらしい。


 複数持ちであることは、メリットとデメリットをもたらす。


 メリットは、自力で二属性の魔法を扱えること。各属性にはそれぞれ得意不得意があり、可能不可能だってある。単純に考えればだが、自分自身で不足を補えたり、一人で二つ以上の役割をこなせる潜在能力を秘めているわけだ。


 デメリットは、とにかく不安定であること。生きている限り、複数持ちの体内には常時「決して混ざり合えない」二種類の魔力が駆け巡り続ける。均衡を保つこと自体がなかなかに困難で、バランスの崩壊は頭痛や眩暈めまい、発熱等の症状となって現れる。


 加えて。魔導士としてのセンスにもよるが、常人には一属性の魔法を満足に修めることさえ、生涯を費やさねばならない程に険しい道程なのだ。二属性を同時に修得しようとすれば、どちらも中途半端という有り様に落ち着きかねない。


 だが、今までのはあくまでも「人」の話。


 俺が対峙しているのは、母親と共に悠久の時を生きるべく生み落とされた、高位の「魔導生命体」だ。メリットの方はそのまま該当するとして、コイツにとって最大のデメリットは……


「ククク、うつろの神はワタシをく呼びましたよ。

 『濁色だ・く・しょ・く』とね」


 のちの悪行のせいで、同情は一欠片ひとかけらもできねーけど。「属性神の眷属として不適格」という烙印を押され、他ならぬ母親の手でリ・リャンテ宮から追放されたこと、だろうな。


『「複数持ち」の魔物が現れるようなもの、と考えて欲しい』


 昨日、アルヴィンは憂いに染まった眼差しで、丸花瓶に生けられた小さなブーケを見つめていた。紅と黒と緑がバランスよく配された花束……アルヴィンが滅多に司書長室に持ち込まない、本物の切り花を。


ただ一属性を司り、その属性が象徴する概念をも司る神。其の純粋なる尊き御身から、異なる属性を持つ眷属が零れ落ちた。原因は定かではないけれど、属性神の純粋性をおびやかしかねない事実だ。だから……』


 複数持ちの眷属が生まれたケースは、ゼロ以前に二例あったという。一例目は地神様の国にて、二例目は水神様の国にて。


 地神様は「それ」を眷属として迎えたが、水神様はすぐさま、魔導生命体として不安定であるうちに消滅させている。虚神様はその間を取ったわけだ。


「ワタシは生まれながらに濁った一雫ひとしずく……無辜むこにして『大魔糸流の意思』に拒まれし哀れな一雫。ならばワタシは濁流として、この世界にワタシの痕を刻もうではありませんか!

 ああ、なんと純真無垢にして気宇壮大な夢なのでしょう……その実現の為、多くの力有る方に協力していただきたいのですよ。例えば……クク、他所よその神の眷属などにねエ?」


 やれやれ、盛大にゆがんでいらっしゃるなー。事前説明を受けてなかったら、コイツの動機なんてさっぱり理解出来なかったと思う。


『エニレー村で虐殺を行ったときから、ゼロの標的は炎神母さんの、「正義」の国の眷属だった。

 フェオリアで彼がしたかったことは、災禍の予言が現実となることを……現実にできることを見せつけること。充分に警戒させた上で新たな災禍を予言して、問題を解決できる程にちから有る存在、つまり「俺達」をおびき寄せようとしているんだ。自分の駒に加える為に、ね。

 だからこそ兄さんは、自ら罠に飛び込まなければならない』


「……協力きょーりょく。ハッ、そー来ましたかー、くだらねー」


 あごを引き、ゼロを下からにらみ据えたまま、口端をニイと大袈裟に歪めた。右足を僅かに前へ出す…… 魔法のトリガーを蔓延はびこる青草に隠したのはただの癖。とっくに強化済みの魔糸が足裏から地中へ流れ出し、「障害物」を避けながら四方八方へと広がっていく。


「なあ! 俺と一緒に踊りてーなら、安全圏に逃げてんじゃねーよ臆病者! 最初から最期までリードは渡さねーが、それでも良いなら一曲分だけ付き合ってやるからさあ!」


 煽り文句を高く掲げ、指を高く鳴らした。刹那、地中に身を潜めていた紅い糸が次々と芽吹く。標的の周囲の地面を突き破り、



(また、キィンって耳障りな音。

 本体による干渉には違いない。だがだだ。未だ遠い)



 モノクロの全身に、無差別的に穴をあける。先程自傷した時のように、無数の「出口」から血液が噴出し、緑一色のキャンバスに不恰好な花が塗りつけられていく。


 が、当然手応てごたえはなしと。ズタボロな割に、表情は愉悦と渇望で満たされたまま。役者を名乗るなら苦痛に悶える演技くらいしろっーの。俄かに黒ずんで崩れ落ちて、光を吸い込む質感の毒々しー水溜まりに成り果てるって展開も、まるっきり同じですし?


 ……ま、もう一回くらいなら一曲分、かな。アルヴィンも言ってましたし。


『適度に、傲慢で愚昧なフリをすること。分かっていることも分からないフリをすること。既知と未知、予知と予想の境界を曖昧にすること……。

 兄さん、得意だろう? そういうの』


 得意中の得意ですとも。

 上唇を薄く舐める。


 幻影その三が背後に、距離を置いて立っている。

 激しく舌打ちするに相応しい堂々巡りだ。


「『隠れんぼ』にー、『追いかけっこ』にー、『ままごと』にー? 子供の遊び、かってのぉオオオオ!」


 左方へと鋭く振り返る、その勢いに乗じて右腕を、何かを投じるように上から振り抜く。獲物を喰らい損ねた貪欲な紅糸が、各々の軌道で夜闇を切り裂き、今度こそはとただ一箇所へ殺到する。



(この音。三度目、だが。

 はは。やっぱ俺じゃ、突き止められねーか)



 苛立ちのままに放ったような獰猛な衝撃。異形の影は、暗色の花火と化して砕け散った。その後は言わずもがな、だ。


 ゼロは死に、黒い水溜まりと成り果てる。そしてこの平原の地中に、幾つも幾つも隠した水溜まりから、新たなゼロが生まれて語る。キィンという耳鳴りに似た音は、操作する「ダミー」を切り替える為に「本体」が鳴らしている魔法のトリガー。


「ああ、強く美しき炎神の眷属よ。どうか落ち着いてご傾聴いただけませんか? アナタと争いたくはない……ワタシは、アナタ自身の自由意志でもってご協力いただきたいのです」


「んなことは有り得ない」


「アナタはどうやら、ワタシより遥かに永い時を歩んでこられたようですが……疑問に思ったことはありませんか? 『正義』を司る炎神の『正義』とは果たして、まことの意味で『正義』であるのか」


 ふー、と長く息を吐いた。


 右の人差し指をくいと動かし、散らばった紅糸を引き寄せる。飼い主の身体から一定の距離を取り、互いにも触れ合わないようにして、ほむらの糸は緩やかにくるくると回る。近づくことも遠ざかることもせずに回り続ける。


「ねーよ」


「『正義』ほど不安定で流動的な概念はありません、生命の価値をも容易くくつがえおびやかす。

 濁りしものを危険分子として排斥することが、虚の神の『正義』ならば……大いなる意思に屈することなく、新たな奔流を生み出そうとするワタシにもまた『正義』が在る。そう言えるのではないでしょうか?」


 いざなうように、此方こちらに漆黒の手のひらが差し出される。細長い中指の、漆黒の爪が漆黒を刺す。


「この二日間。アナタを観察する中で、ワタシは嗅ぎ取ったのです……紅色の双眸の奥に、異端者の気配を。アナタにも、アナタだけの『正義』が在るのではありませんか? そしてその『正義』は、」

「そーかもね」


 名前を持たない災厄は、その時初めて口許から笑みを消した。双眸の奥の気配とやらを、再び探ったからなのだろう。


 観察っつってもどうせ遠くからしか眺められてねーんだろうし、どうぞ遠慮なさらず、間近から存分に鑑賞していただきたい。伽藍堂がらんどうの内側に、たった二つだけ輝くものを。


「俺の『正義』は、母さんの抱くまぶしー『正義』とは違って、空虚で、仄暗くて、まるっきり無意味なものかも知れない。

 だがんなことは関係ない、俺は人間の呼吸同然に母さんを信じてきたし尽くしてきたし母さんを疑ったことはただの一度も無い、母さんは全知全能だが俺に母さんを疑わせることは母さんでさえ難しい何故なら……アルラズ・スノウは、この世界で一番の、炎神様の盲信者だから」


 望月の半分を束の間、隠していた雲が流れ去る。

 戯れには、もう充分付き合った。

 そろそろ、こっちの番。


「ところでさ。アンタこそ、こー考えたことはねーの?」


 僅かに顎を持ち上げ、嘲笑う。炎神の眷属の前で、『正義』という言葉を軽々しく扱った……傲慢で、愚昧で、幼稚な本性を。


「アンタの言う『新たな奔流』とやらが、自分の手で選んだ筈の道さえもが……どこかの誰かさんに、掴み取るよう誘導されていたものだったとしたら? ってさ」

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