14.二つの茶会


 聖都のありふれた、一度きりの朝。

 雑踏の中を、彼女はひとり、歩いていた。


 腰までを覆う深緑色の髪を静かに揺らして。蜂蜜色の双眸で、ただただ爪先と同じ方向を見つめて。流れに従うことも逆らうこともせず、淡々と歩き続けていた。


 すとんと落ちるようなデザインの、飾り気ない生成きなり色のワンピースに、若草色のフード付きポンチョを重ねた華奢きゃしゃな左肩を、すれ違いざまにトントンと軽く叩く。


 彼女は立ち止まり、頭ひとつ分身長が違う男の顔を見上げた。驚愕きょうがく躊躇ちゅうちょも、ほんの僅かな動揺さえもないその表情は、俺が会いにくることを知っていたかのようで。思わず、瞳を覗き込んで、心の奥底までを探りたくなる。流石に気が早すぎだっての。


「私はフウ。あなたは?」


 お、先手を取られたか。ま、いーや。


「アルラズ、アンタの依頼を任されに来た。

 というわけで、お急ぎのところ大変恐縮ですが、」


 左手を背中に隠し、右の手のひらを仰々しく差し出す。


「ささやかなお茶会にご招待。依頼の詳細、聞かせてくれる?」

「ごめんなさい、礼儀作法を知らないわ。それでも構わないのなら、喜んで」


 重ねられた手は小さく、ひやりと冷たかった。


 俺は口許くちもとだけで微笑み、彼女をダンスにいざなうように後退する。一、二、三歩目で只人には見えない世界の継ぎ目を越えて、彼女の為に「俺達」が支度を整えた会場……特殊結界の中へ。


 真ん中に一本脚の円卓が置かれた、木造の四角い小部屋。床と柱と天井だけがあり、壁や扉はない。部屋の外には見渡す限りの青、蒼穹そうきゅうが広がっていて、眼下には白雲の絨毯じゅうたんが隙間なくかれている。


 流石に風まで再現しちまったらお茶会に差し支えるんでやめといた、が。代わりににごりない空気のような、すーっと爽やかな香りをご用意。


「ど? お気に召しました?」

「……ええ。空を、飛んでいるみたい」


 囁くような声で賓客ひんかくは答えた。繋いでいない方の手を胸元で軽く握り、作り物の空の彼方を見つめながら。


『ふふ、光栄だな』


 俺と賓客は同時に振り返った。

 声の出所でどころは、円卓の上。


 銀のティースタンド、ふちがフリルを模した浅葱あさぎ色の平皿。聖都近郊ではぐくまれた旬のフルーツがたっぷりのケーキや、見るからに食感の楽しそーな焼き菓子、一口ひとくちサイズのハムとチーズのサンドイッチ。陶器の丸花瓶に生けられた、黄色を基調としたブーケ。細工の美しい銀のカトラリー。


 それらが上品に彩っている、純白のテーブルクロスのはし。癒やし系純白モフモフこと、ラピットの手のひら大ぬいぐるみがちょこんと座っていた。


『はじめまして。やむを得ぬ事情の為、声のみの出席をお許しいただきたく。どうぞ、お掛けください。兄が、おもてなし致しますので』


 声の主は当然アルヴィンで、ここにいない理由は勿論、情報の摂取を控える為だ。


 おもてなし、ねー。ちゃんと出来できっかなー、正直ショージキさっさと依頼の話だけしたいんだよなー……なんて。


 他でもない弟の判断だ。不満? んなもん、あるわけがない。それに俺達双子はあんまり似てねーからこそ、お互いの真似が得意なんだよな。間違えそうになったら、アルヴィンが頭の中でそっと囁いて、軌道修正してくれるだろうし?


「さあ、どうぞ此方こちらへ。今だけはおくつろぎを。

 お帰りについてはご心配なく。一瞬で、済みますから」


 俺はアルヴィンっぽい洗練された仕草で、背面と座面に臙脂えんじ色のクッションのついた、猫脚の椅子を引いた。



 〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜



 里長の住まいは良い意味で、権力者の邸宅という雰囲気じゃあなかった。


 ここに至るまでに見てきた建物と比べて、外観が遥かに立派に見えたのは、住人全員が容易たやすく収容出来そうな程に巨大な集会場が併設してあるからで。居住スペースの広さ自体は、他の民家と然程さほど変わらないように思える。


 手編みのタペストリーが、壁を覆い尽くすようにびっしり飾ってあるのにはちょっと圧倒された。表された独特の紋様……何となーくではあるけれど、シェールグレイというよりは、隣国フェオリアのおもむきをかもし出しているような?


 窓には無色透明の良質な硝子ガラスめられている。カーテンはないらしく、代わりに内側から開け閉めできる両開きの木扉が取り付けられていた。


 巨木を輪切りにして磨きましたーって感じのローテーブルを囲むようにして、乾きせた植物で編まれた丸い敷物しきものが置かれていた。その上に胡座あぐらいて、隣に正座したフウさんと共に、里長と向かいあったのだが。


 この人、目の下のクマがマジで酷い。黒いインクで描いたんじゃ? ってくらいくっきり。迷惑な予言が持ち込まれた日から、まともに眠れてねーんじゃねーかな。深緑色の髪が白髪交しらがまじりなのは、前々からかも知れねーけど。


「あの予言についてお話しする為にはまず、我々の先祖とツジカゼ様が交わされた、約束について知っていただかねばなりません。その、フウからは……?」


 独特のなまりはあるが、語意の理解に影響が出ねー程度で助かった。


 里長の家族は、多分ちょい歳上の、ふくよかで大らかそーな奥さんだけらしい。彼女が妙に平べったくてザラザラした手触りの器に淹れてくれたのは、透き通った緑色の苦ーいお茶だった。


 んー、砂糖は用意されていないし、多分入れたら不味まずくなるタイプだこれ。フウさんは黙々と飲んでるけど、味覚って染まるもんなのかなー。


 それはさておき。


「聞きましたよ、勿論。だが極めて重要なお話なので、里長さんの口から再度聞いておきたい。『ありのまま』を、話していただけます?」


 ローテーブルに右ひじをつき、首を傾げてにっこり、微笑んでみせる。


 里長はうつむき、おずおずと語り始めた。まるで視線の先に堅苦しい文章が記されていて、それをそのまま読み上げているかのような、硬質な口振りで。




 彼らの先祖が山林を切り拓いて里を作り、生活を営みはじめてからだ間もない頃のこと。数人の若者達が測量・採集器具や護身用の武器を携え、北方の未開の地へと探索に向かった。


 帰還した探索部隊は誰も欠けていなかったし、負傷者もいなかったが、全員が酷く動転した様子だった。そして彼らの報告により、里の民達は恐るべき事実を知ったのだ。


『深い森の中に脈絡もなく、えぐれたようにひらけた空間が在り、そこで巨大な魔物がとぐろを巻いて眠っていた』


 体毛の真白い狼のような頭部、額から突き出た円錐形の角、風に柔らかくうねる一対の長いひげ。首から下は蛇のような形状。背中……首から尾までを結ぶライン上に、たてがみのような純白の毛が生えている以外は、陽光に輝く翡翠ひすい色のうろこに覆われていた。


 里の誰もが、遭遇した経験を持たなかった。

 にもかかわらず、誰もがその魔物の名前を知っていた。


 竜。魔物の王……




 この世界は、七色の魔力で構成されている。火炎の紅、水の碧、氷の白、雷の紫、大地の橙、風の翠、虚無の黒で七色。この分類は万国共通だ。


 で。魔物は、世界を巡り続ける七色の大いなるうねり……「大魔糸流だいましりゅう」から零れ落ちるようにして自然発生する。親個体はいない。大魔糸流そのものが母親であるとも言える。


 色水いろみず一雫ひとしずくのような存在だから、魔物は必ず一色の混じり気ない魔力を有しており、致命傷を負わせるとその属性の魔石だけを残し、黒いもやのようになって消滅する。魔石はしかるべく加工することで魔導具のエネルギー源になったりするんだが、それはまた別の話。


 竜と呼ばれる魔物は、各属性ごとに存在する。つまり竜と一言に言っても、属性の色を冠した七種類が存在し、それぞれが異なった形態と性質を備えているということだ。


 里長が告げた特徴は全て、天空の王者の徽章きしょう

 気儘きままに大嵐を呼び寄せる、生ける災禍さいか……


「『翠竜』。我々が現在、ツジカゼ様とお呼びしている存在でございます」

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