15.望月の予言


 翠竜。確かに、厄介な相手ですねえ。


 竜は聡明だ。膨大な量の魔力という武器を、知性でもって自在に操る。長寿な個体であれば、人語を解しあつかうことだって容易い。


 更に厄介なことに、相手は「天空の王者」……大空を自分の領域エリアとして翔け回る。飛行の最高速度は、空を飛ぶすべをもつ存在の中で間違いなく世界一。大嵐を呼び、刃物より鋭利な風属性魔法で、安全圏から地上を蹂躙じゅうりんする。


 戦闘職者協会ギルドや騎士団クラスの戦力を抱えているなら対抗できるが、この里には今も昔も小規模な自警団だけ。攻撃を当てる手段も、攻撃を防ぐ手段もない。標的にされたが最後、一方的になぶられるだけだろう。


 孤立無援の状況。いつ襲撃の時が訪れるか分からない。計り知れない恐怖と焦燥と重圧の中で、当時の里長が下した苦渋の決断は、小さな犠牲と引き換えにその他大勢を護る、というものだった。


「で、求められてもねーのに生贄いけにえ、か」


「伝承によれば、成人を迎えたばかりの若いむすめが、勇敢にも立候補したそうです。『里を救うことが出来るのならば、喜んで竜にとつぎましょう』と。その夜、里の女達が娘を美しく飾り立て、男達が松明たいまつを手に、娘を竜の元まで送り届けました」


 ふーん、好感が持てる。「伝承によれば」なんて言い方、事実が都合よくじ曲げられている可能性を考慮していなければ出てこない……例えば、生贄に選ばれた女性の「喜んで」って台詞とか。


「だ、が、」


 とん、とん。左手の人差し指でテーブルを叩き、続きを催促。


「その犠牲は未遂に終わったわけだ。翠竜は女性に危害を加えなかったどころか、言伝ことづてを預けて里へ返した。真夜中の山中に一人残された彼女が、無事に我が家まで帰り着けるよう風の加護まで与えて、だ。そうだろ?」


 里長は緑茶を啜り、沈鬱ちんうつな表情のままで、竜からの言伝を唱えた。


『命など要らぬ。人間どもの施しなど要らぬ。

 未来永劫えいごう何人なんぴとたりとも、

 我をおとなってはならぬ。

 ただ、我が風が吹きしとき閑寂かんじゃくを献上せよ』


 ちら、と依頼主の方を窺う。


 堅苦しい姿勢を微塵も崩さず、無表情に、ただただゆったりとまばたきを繰り返しながら、里長の一挙一動を見守っていた。


「……へえ。じゃーさっきの『嵐鳴あらしなり』ってオブジェは、ツジカゼ様が風を吹かせてますよーって里中に知らせる合図なわけだ」


「仰る通りです。ツジカゼ様の起こされる風は強く、嵐鳴りを崩れさせます。風がむまでの間、我々はそれぞれの家にこもり、足音を立てることさえもはばかりながら過ごすのです」


「風が止むまでの間?」


「言葉通りの意味でございます。ツジカゼ様のご機嫌が戻ったときには、絶えずこの里に吹き続けている風が止む……風鈴の音が止むのですよ」


 納得だ。確かにあのオブジェだけじゃ、始まりは分かっても終わりが分からない。風鈴が騒いでるのに「閑寂を献上」してることになんのかなーとは、今は言わないでおこう。


「成る程ねー、よーく分かったよ。ちなみに、アンタらが約束を破ったことは?」

「一度として、ございません。里が存続していることがあかしであるかと」


 込み上げてきた笑いを、辛うじてこらえる。


 閉鎖的な集落を束ねる権力者ーって偏見からそこそこ構えてたけど、この人の価値観は聖都の人達と然程さほど変わらねーし、むしろ相当分かりやすい部類に入る。生贄の話をしてるときは罪悪感、不義理はないって断言したときには矜持が、端々はしばしからびしばし伝わってきた。


了解りょーかい。んじゃー次。肝心の予言についてだ」




 予言がもたらされたのは七日前の夜。

 予言者は、外界から訪れた若く美しい男だった。


 長く緩やかに波打った銀髪、吊り気味の眼に翡翠色の瞳、血の気を感じさせない白肌。痩躯を包んでいた服装について、里長は「つやつやした生地で作られた窮屈そうな格好」と表現していたが、細かい特徴を聞いた限り、オーソドックスな「燕尾えんび服」だろう。


 男は樹々の狭間から突如として現れた。里の門番は慌てて木槍を構え、きっさきを男の鼻先に突きつけたが、男は「どうしても伝えたいことがある」と熱心に訴え続け、やがて立ち入りを許された。


 門番に伴われた男は、携えていた小振りな撥弦はつげん楽器で優美な旋律を奏でながら、悠々と坂を登っていった。


 聴き慣れない音色に、住人達が次々と集まってきた。早くにとこに就いていた老人や子供も目を覚まし、ぞろぞろと男の後をついていく。やがて里長の屋敷前、高台の広場へ男が至った頃には、里長夫妻とフウさんを含め、ほぼ全員が揃っていた。


 予言者は、夜闇の中で妖しく輝く双眸を見開き、民達一人一人と視線をまじわらせていった。これはフウさんから聞いた補足情報だが、いつの間にか周囲には、衣服にまとわりつくような、ねっとりとした甘い香りが充満していたという。


 そして予言者は片手を広げ、陶酔したような表情で月を仰いだ。歌劇でソリストが歌い上げるように、優美かつ堂々たる声で不吉な予言を披露し……煙のように消えた。姿も香りも、完全に。


「消えた? 比喩ひゆじゃなく?」

「ええ。奇妙なことに、あの方がどのようにして立ち去られたのか、その場にいた誰一人として覚えていなかったのです。皆、そのことよりも予言の内容に動揺し……」


 視覚、聴覚、嗅覚。やれやれ、徹底してるなー。

 俺は乗り出していた身を引いて、予言の文言を喉奥で繰り返した。


『次に月が満ちる夜、竜は怒り、不義理な里を滅ぼすであろう』


 満月は明日の夜だ。「竜」が翠竜ツジカゼを、「里」がこの里を示すのであれば、「不義理」というのは両者が交わした例の約束を破ることだと考えられる。里長の言葉が真実で、約束をたがえたことが一度としてないのだとすれば……


「つまり予言が正しいなら、里の誰かがこれから『嵐鳴りが崩れて、風鈴の音が止むまでの間に外出する』か、『ツジカゼの元をこっそり訪れる』必要があるわけだ。だったら、対策なんて単純明快だと思いますけど?」


 里長は叱られた幼子おさなごのように、顎を引いて此方こちらを見た。俺は視線を受け止めながら背後の集会場を人差し指だけで示し、


「アンタ、この里に住んでる全員について把握してるんだよな? だったら今から全員を集めて、明後日の朝まで外に出られねーようにすればいい。里の壊滅より、一時的な不自由の方がマシだろ? 全員が予言を信じてる状況なんだから、反対する奴なんていねーと思うぜ?」


其方そちらのご意見については我々も考えました。しかし本当にそのような、……ひねりのない方法で、予言を回避できるものでしょうか? 決して、判断を間違えるわけにはいかないのです。不測の事態が起こったら……」


「はっきり言わせてもらう。アンタらが信じるべきなのは、何の脈絡もなくふらっと現れた余所者なんかじゃない。気が遠くなるほど長い間、最早もはや存在するかも分からねー相手との約束を守り続けてきたアンタら自身だ」


 里長は目を見開いた。

 暑くもないのにこめかみを伝う汗、ごくりと上下する喉。


「……私もそう思うわ、長」


 ずっと黙り込んでいたフウさんが、また援護してくれた。彼女に出された緑茶は、既に一滴も余さず干されている。俺の分も飲んでくれねーかな。


「大事なのは策の複雑さではなくて、その策が事態に寄り添って、きちんと効力を発揮するものであるかどうかよ。それに、一箇所に集まってもらった方が、いざとなったときに護りやすいわ……私ではなく、彼が、だけれど」


 ん、護る範囲は狭ければ狭いほど良い。けど、この里で武装してるのは男性ばっかりだったし、わざとらしく強調しなくてもフウさんが戦うなんて思わねーって。


 だから、


「お、お待ちください! いざとなったときに護る、と言うのは……!?」


 里長が大袈裟な音を立ててローテーブルに両手をつき、腰を浮かせた理由は、有り得ないと排除していた選択肢が、土壇場で急浮上したからに他ならない。


 「王都からの使者」は半目になり、溜息ためいきと共に告げる。


「里長さん、俺が何の為にここに来たと思ってるんです? フウさんから受けた依頼を適切に処理する為、この里を予言の危機から救う為だぜ?」

「ま、まさか……」


「その『まさか』さ。アンタらが予言を従順に信じる性質たちだっていうなら、既存の予言を俺の予言で塗り潰して差し上げましょう。

 たとえアンタらが約束を破ろうと、この里が滅びることはない。何故なら、俺が翠竜を倒せるから。心強ーい援軍もいるし、絶対に、ね」

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