第二章 翠竜の舞う夜

13.風吹く里へ


 ある夜明け。

 東雲しののめ色に微睡まどろむ聖都の上空を、翠色の光跡が伝った。


 細くさざなみの如くうねる光跡の正体は、炎神の顕現より古い時代、聖者ケラスとその信者達により布教された唯一神信仰の時代ならば瞭然であり……対空魔法を扱える聖騎士団・第四部隊や、ギルドの登録戦闘員らが総力を挙げて迎撃する、きわめて緊迫した事態となっていたことだろう。


 しかし、世は移り変わった。

 聖都の栄華は、炎神の古き誓約があってこそ。


 『未来永劫、この地を護り続ける』


 魔物が聖都の領域を侵すことは不可能。結界魔法が一種、「聖なる紅炎」によってたちどころに燃え上がり、魔石を遺して滅するのみ。


 炎神が神域……「裁きの塔」のいただきより動かず、その有り様に「囚われし」という表現が度々用いられるのは、この永く息衝いきづく誓約が所以ゆえんとなっている。


 ゆえに夜明けの光跡については、市井しせいにて大いに議論を呼ぶこととなった。


 最早、有り得ないのだ。

 聖都の空を、魔物が翔けることは。




 【第二章 翠竜の舞う夜】




《アルラズ・スノウ》



 シェールグレイ神聖王国は、母さん……七属性神が一柱、『正義』を司る炎神の加護を受けし大国だ。


 世界地図上に長く横たわり、南北に連なるラウヴァ山脈によって東西に二分される領土には、東は王都、西は聖都を中心として自治体が数多く存在し、それぞれ独自の文化を開花させている。


 弟のアルヴィンなら、この国の面積も、自治体の数も、そのひとつひとつに住民が何人暮らしているのかも余さず把握してるんだろうけど。双子の片割れながら役割の違う俺は、各自治体へ赴いた経験が自分に有るのか無いのかさえ覚えていない。十回以上有ってもなお迷う自信がある。


 ま。王都より北東の方角、鬱蒼うっそうとした森の奥深くにひっそりと存在するこの里とは、今回が正真正銘「はじめまして」だ。弟がそう言ったのだから、間違いはない。


「いち、に、さん、し、ごー……ん、すげー器用に積んであるなー。全部の民家の玄関先にあるみたいけど、これって何なの?」


 しゃがみ込み、右の横髪が地面にれそうなほど頬を低くした状態で、「それ」をしげしげと観察しながら背後へ問う。案内役のふたり分だけじゃない、いくつもの無遠慮な視線が、後頭部をちくちくつついているのを感じつつ。


「ああ……そちらはですね、使者様。その……」

「なあ里長さとおささん。脅してるみたいで申し訳ねーけど、情報を出ししぶるのはもーやめときません? 満月、明日の夜なんだぜ?」


 チリンチリンと、到着したときから絶えず聞こえてくる音が沈黙を埋める。木槍で武装した門番に挨拶してから、里長の屋敷を目指して坂を登ってくる間に、木造の飾り気ない民家の軒下で、硝子ガラス製の風鈴が揺れているのを幾度も目にした。


 この里に吹く風は、涼やかで気持ちいい。それに今のところ、里の住民達よりずっと雄弁だ。


おさ。この方は信頼できるわ。伝えられることは全部、伝えた方がいい」


 お。案内役の背の低い方、今回の依頼主ことフウさんが援護してくれた。


 そういえば彼女の声は、この風鈴の音色とよく似ている。高く硬質で、感情の起伏がほとんどない。だからこそ、どこまでも清く澄んでいる。そんな声だ。


「……長が伝えられないなら、私が」

「いいや、分かった。大丈夫……大丈夫だ、フウ。僕からお話ししよう」


 案内役の背の高い方、里長さん。躊躇ためらいはがっつり感じるが、決心してくれたようで何より。


「そちらは我々が『嵐鳴あらしなり』と呼んでいるもの。『嵐鳴り』を全ての民家の玄関先に欠かさずしつらえておくことが、我が里のおきてなのです。我ら里の民が、ツジカゼ様と共生していくための……」


 俺は立ち上がり、振り返った。


 おーおー、石垣の外から俺達の様子をうかがっていた老若男女が、慌ただしく散らばっていく。半目になってその様子を眺めながら、先程聞いたばかりのアルヴィンの言葉を、耳奥で再生させた。


『里の人々は最初、兄さんに協力的な態度を示さない。兄さんだからじゃなくて、外界から訪れる客人そのものが珍しいからだ。でも、壁の内側の存在……フウ殿が一緒なら大丈夫。里の存続に関わる緊急事態なんだから、尚更なおさら


 成る程。閉鎖的ではあるが過激ではない……「王都からの使者」に敵意を抱く程じゃあないらしい。流石は可愛い我が弟だ。あの子が書いた脚本の、数ページ先の展開未来を思えば溜め息が出そうになる。


 ふと見遣ればフウさんが、蜂蜜色の瞳でこちらをまっすぐ射抜いていた。縦に細長い瞳孔をした、爬虫類はちゅうるいのような瞳。無表情のまま、こくりと頷いて見せたのは「支援完了」って意味? よく分かんないから、とりあえず薄っぺらい笑顔を返しておく。


「……共生、してきたというのに……」


 うめくような呟きに、眼差しを戻した。


 二十代後半という若さで里長の座に就いている痩躯の青年は、「嵐鳴り」とやらを睨み続けていた。わざわざ水辺で拾ってきたような丸くて平たい石を、絶妙なバランスで高く高く積み上げて作られた……余所者よそものには決して所以ゆえんの分からない、オブジェを。


 街々を繋ぐ糸が次第に太く強固になっていく時代に、山奥でひっそりと孤立する里。依頼主にとって何よりも大切な場所。護る為なら、命を賭しても構わない程に。


 吹き抜ける風は優しく、駆け巡る水は清い。文明は前時代的ながら、人々は貨幣や魔力の色・量といった価値基準に縛られることなく、協力して日々の暮らしを営んでいる……と依頼主から聞いた。


 この里は今、滅亡の危機に瀕している。

 少なくとも、里の民達は皆、そう信じている。

 外界からもたらされた不吉な「予言」を、信じている……


『次に月が満ちる夜、竜は怒り、不義理な里を滅ぼすであろう』

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