幕間 はじめましてラピット


《アルラズ・スノウ》



 何故かの部屋からそこそこの距離を置いたところにある、弟の部屋。天蓋付きベッドが視界に入った途端、唖然として立ち止まった。銀色のフレームに漆黒のカーテンというシックな雰囲気の寝所を、似つかわしくない純白ふわふわが埋め尽くしていたからだ。


「兄さんの寝る場所は、ない」


 どや、という口調で言われましても。扉を開く直前に魔法を使ったのは分かったけど、まさかラピットの等身大ぬいぐるみを創っていたとは。しかも三つ。


「や、退ければあるじゃん。ラピットとも兄さんとも添い寝すればいーじゃん」

「兄さんとは絶対にしない。運搬どうもありがとう、着替えたいから『今すぐ』降ろしてくれ」


 かたくなだなー、さっきまでの素直な感じは何処どこ行っちまったのやら。双子の片割れよりラピットの方がいのかよー……ま、その愛情を膨らませたのは多分、他でもない俺なんだけど。




 【幕間 はじめましてラピット】




 これは、記憶という霧の中にぽつんぽつんと点在する浮島のひとつ。つまりは割と鮮明な思い出。時はいつかのある日のこと。舞台は神域を構成する建造物のひとつ、大聖殿。


 天の炎が地平線へ落ちてゆく、ごく短い間。めまぐるしく色の変わる空をともに旅した「俺たち」は、あるベランダへとふわり、舞い降りた。


 流石は弟、気づくのが早かった。慌てて硝子ガラス扉を開け放ち、任務から帰還した兄を出迎えてくれたアルヴィンは、その美貌に随分と珍しい表情を浮かべていた。


「おかえり、無事で良かった、けど……」


 呆れが二割、驚きが三割、残り半分は動揺ってとこ。レアな表情カオを拝めたってだけで、ゲストをお連れした甲斐がありましたとも。


「や。ただいま、ヴィー。今回は聖都ここでの仕事だったから、残念ながらお土産はねーんだけど、」


 ベランダにひらりと降り立ち、右のてのひらでばばーんと示してご紹介。


「こちら、聖騎士団・第四部隊にご所属の、由緒正しきラピットさんです。ここまでお連れすることについては、最高責任者トエニカの許可取得済み。ヴィー、ずっとラピットに会いたがってただろ? 無邪気に喜びたまえー、兄さん大好きーってはにかみたまえー」


 ゲストとは勿論、一羽のラピットのこと。


 炎神母さんを主とし、聖都とその周辺地域を守護する役割を担う聖騎士団。その第四部隊と言えば腕利うでききの風魔導士が集められた、空中戦を得意とする部隊だ。ラピットは風属性の魔導生命体で、人を乗せてすいすい飛べる。魔導士の相棒として共に戦う彼らには、聖騎士団を示す漆黒のくらが装着されている。


 色眼鏡を外した裸の双眸で、アルヴィンは純白の毛並みに見惚れていた、けれど。やがてはっと我に返ったらしく、睫毛の重みに従うように視線を俯けた。無邪気に喜んでなかったし、兄さん大好きーってはにかむ気配も全くなかった。


「……やっぱり、兄さんの行動だけは予測できない。

 うん、会いたがっていた。願いを叶えてくれてありがとう、兄さん、それからモフフ殿。ただ、この出会いはあまりにも突然で、正直なところ、まだ心の準備が……」


「ん? もふふ?」

「? モフフ殿。その方が相棒の騎士殿と話し合って決められたお名前だけど……まさか、存じ上げていなかったのか?」

「あー。そーいえば聞いた覚えある、かも?」


『めぇ〜』


 モフフ殿が鳴いた。


 美形が多い炎神母さんの眷属のなかでも、俺たちはとりわけ美形だと言われてる。俺自身、任務の際には外見を武器として扱うこともあるくらいだ。


 そんな双子に揃って見つめられても、虚属性の魔石を砕いて丁寧にやすりをかけたような、黒々としたつぶらな瞳はまるで動揺を示さなかった。


「ふふ。ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。こちらこそはじめまして、アルヴィン・スノウと申します。貴方の方こそモフモ……毛並みがつややかで誠に麗しい。お会いすることが叶い光栄です」


「? ヴィー、モフフ殿の心読んだ?」

「? そんな失礼なことは……その、お名前だけは引き出させていただいたけど」

「マジ? めぇ〜って一鳴ひとなきしただけだよな? めちゃくちゃ情報量多くね?」


『ゔぇ〜』


 再び、モフフ殿が鳴いた。


 瞳も表情も、まるで変わりないように見えた。だけど確か、とモフフ殿を貸してくれた騎士団員の話を思い出す。ラピットが濁った鳴き声を出すときは不機嫌になったとき、だったっけ?


「え、なんか怒った?」

「申し訳ありません、兄が失礼を……ふふ、承知しております。ご冗談を仰ったのですよね?」


 あ、と思った。モフフ殿がどんな冗談を仰ったのかは知らねーけど、黒手袋を嵌めた右手を胸に当てて、アルヴィンは笑っていた。久しぶりに。


 アルヴィンはよく笑顔を作る。家族といるときも、仕事でたまーに人間と会うときも、笑顔でいないことの方が少ない。


 だけど、そういうときのアルヴィンの笑顔は、瓜二つの顔立ちをしてる俺でさえゾクっとくる程に綺麗なんだ。それは絶対的な記憶が築き上げた、精緻で完璧な芸術作品だからで……豊かな感情のままにキラキラ笑う、って感じじゃあない。


 生まれたばかりの頃はもう、キラキラ全開でそれはそれは可愛かったのになー。近頃は兄さんが部屋に訪ねていくと何故かムスッとして、開口一番に要件を尋ねてきてさー。ま、今でも可愛いけど。心底嫌がってるわけじゃねーのは分かりますし。双子ですから。


『めぇ〜』


「お?」


 モフフ殿が何事かのたまいながら、太く短い四本足でのっちりと進み出た。


 アルヴィンはかすかに目を見開いて、黒手袋を嵌めた両手をさっと後ろに庇った。そして、無意識の産物であるらしいその仕草に対して、再び申し訳なさそうに視線を伏せ、綺麗に笑った。


 流石に俺でも分かった。先程とまるで変わらないように聞こえた「めぇ〜」で、モフフ殿がアルヴィンに何を提案したのかが。


「……重ね重ね、申し訳ありません。折角のご厚意を無碍むげにするようですが、」

「いーじゃん。触らせてもらえば?」


 綺麗に気持ちを包み隠して、綺麗な声音と言葉で断ろうとしていたアルヴィンは、おずおずと俺を見た。紅に結わえられていない、涼風に揺れる銀髪。空全体が夕焼けに染まるときだけ、俺とお揃いの色になる。


一撫ひとなでくらい、大丈夫だってー。『折角のご厚意』なんだし、兄さんがついてるし? だから、何があっても大丈夫だよ。

 ほらほらー、もふもふだぜ、もっふもふ」


「…………」


 アルヴィンが黙り込んでいるうちに、積極的なモフフ殿はのちのちと距離を縮め、手を伸ばせば届く絶妙な位置で止まった。アルヴィンがどうして躊躇ためらっているのか分かっていて、


『めぇ〜』


 その上で「どうぞ」と促すみたいに。加えて手招きするように、耳を前後にぴこぴこと揺らし始めた。


「くぅ、情報より遥かに可愛いな、可愛すぎて、もう……っ、でも!」


 苦悶と陶酔が同居したような表情をして軽くよろめいたアルヴィンだったけど。兄とモフフ殿に背中を押されたゆえか、あるいは間近に迫ったモフフ殿の愛くるしさに抗えなかったのか。やがて凛々と顎を上げ、紅色の双眸に決意を灯し、


「モフフ殿。兄さん。ありがとう。

 一撫ひとなで、だけ。それだけなら、きっと……!」


 右手を伸ばした。


 ふるる、と震える人差し指の先が、じれったくなる程の時間をかけてようやく、純白の体毛に触れた。それは一撫でにも満たない、ほんの一触ひとふれだった。




 それでも、アルヴィンはぶっ倒れた。


 真夜中になってから目覚めたアルヴィンに事情聴取したところ、原因は「もふもふの過剰摂取」だそうで。その日以来、アルヴィンはラピットという生物のことを更に愛するようになったのだった。



 〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜✴︎〜



「ん。着替えどーぞ」


 ソファに浅く腰掛けた弟に、ウォークインクロゼットから見繕ってきた寝巻きを渡す。お望み通り背中からは降ろして差し上げたものの、誤魔化しようがない程にふらついていたので甘やかさせてもらった。


「んじゃ、兄さんは退散しますよー。『もふもふの過剰摂取』には、くれぐれもお気をつけて」

「う……俺が思い出して欲しくないことは、容易く思い出せるんだな。でも……ありがとう。本当に」


 アルヴィンはまぶたを閉じて、寝巻きを片手で不器用に抱き締めた。背凭れに身を委ねてしまえば楽なのに、アルヴィンは滅多にそうしない。身体に入る情報量を少しでも抑える為だと俺は知っている。


「おやすみ、ヴィー」


 早すぎる、一日の終わりの挨拶を告げる。


「おやすみ。必要になったら、すぐに起こして」


 弟は口許で淡く微笑んだ。いー子いー子と頭を撫でる代わりに、銀髪を纏めていた紅紐をそっとほどいて手元へ落とした。


 鼻腔の奥に、柔らかな甘い香りが残っている。

 約束通り立ち去りながら、密かに願った。


 頑張ったご褒美に。もふもふのラピットにせものに囲まれて、アルヴィンが良い夢を見ますように。ラピットほんものを好きなだけ抱き締められる……そんな、ふわふわ甘くて優しい夢を見ますように。


 夢を見たことのない、空っぽの心で願った。



 【幕間 はじめましてラピット・了】



〜✴︎〜✴︎〜 おまけ 〜✴︎〜✴︎〜


 挿絵のような作者絵。つんつんアルヴィン。

 ご興味をお持ちの方だけどうぞ!

 ↓ (9月14日分、作者の近況ノートへ飛びます)

https://kakuyomu.jp/users/shiba_sui/news/16818093084843025764

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