第一章 月に似た双子

6.試練


《アルラズ》



 俺たちは、母さんの涙から生まれた。


 俺たちは『正義』を司る炎神の眷属。神は体液から眷属を創る。人間の未来を想って、右眼から流したひとしずくが俺に。人間の過去を想って、左眼から流したひとしずくが弟になった。


 いわゆる双子ってやつ。ほとんど同じ瞬間に誕生した俺たちは、瓜二つの顔立ちをしていた。


 人型の歳若い男体だってことも、きめ細やかな白肌もお揃い。一糸まとわぬ俺たちの姿を神座かむくらから見下ろして、母さんはひとつずつの名前と、スノウという共通の姓をくれた。母さんの故郷の言葉で「雪」という意味らしい。


 不思議なことに、と言うべきか。めちゃくちゃ忘れっぽい俺なのに……顕現してからめちゃくちゃ時間が経っているのに、生まれて間もない頃のことはありありと思い出せるんだよな。記憶っていう霧の中で、そこだけ晴れ渡っているみたいに。


 そう、誕生の日。俺たちは家族の手で純白のころもくるまれ、母さんからも片割れからも引き離された。


 神の眷属は魔道生命体、その肉体は超高濃度の魔力によって構成されている。生まれて間もない頃は存在としての不安定さゆえに、魔力を暴発させる危険性をはらんでいる、とか。


 だから比較的状態が落ち着いていた俺でも、家族の監督のもと、生後七日目までを絶対安静に過ごすことになった。つぎはぎだらけの大聖殿に急遽きゅうきょ用意された、広くてお上品なだけの退屈な個室で。


 弟と再会したのは、生後八日目のこと。


 弟の方も魔力暴発の可能性は低くて。何より、ともに生まれた兄がそばにいることで弟の状態が「改善」するのでは、と家族たちが考えたゆえに叶った再会だった。


 仰向けに横たわった、無垢むくで美しい弟。

 束の間、恍惚とした。


 それからベッドに身を乗り出して、五感を総動員させて探って。すぐに、双子でも何もかもが一緒ってわけじゃないんだってこと……独りでいるうちに全身鏡と睨みあって調べ尽くしておいた、自己という存在との相違点に気づいた。


 まずは髪だ。


 俺は満月の光に似た淡い金髪をしている。邪魔にならない程度に短いけど、左の横髪だけがちょっと長い。その部分の色合いはグラデーションが掛かっていて、毛先に向かうにつれて「黒」へと移ろっていく。


 漆黒の毛先を指先でつまんで見比べた。弟の、三日月の光に似たつややかな銀髪は、ゆわえられる程度に長い。そして右の横髪に、俺とお揃いの特徴があった。


 次は身体のライン。


 光沢のあるなめらかな手触りの毛布を、少しだけめくってみた。根本ベースはほぼ同じ……なのに、鏡の中の自分に抱いた、猫科の獣みたいにしなやかで強靭な印象ではなく、華奢で繊細な印象を受けたのは、あらゆるパーツが俺より少しずつ細いからだったのだろう。


 そして、まとう香りも違っていた。


 甘い匂いなのは同じだけど、俺のはすっと突き抜けるように爽やかだ。で、弟のは優しい。嗅いでいると、ふわふわした何かに包み込まれているような心地になる。綿雲みたいな菓子があれば、その何かにぴったりなんだけど。


「寝顔、可愛い。美人さんだなー、さすがは母さんの息子で、俺のおとーとだ」


 間違い探しを一通り終えた俺は、ずっと浮かせていた腰を木椅子に預けた。座面の硬さが事実の象徴のようで、思考がしんしんと沈んでいく。


「髪の色は、ぜんぜん違うけど。瞳の色は、俺とお揃いなのかな」


 囁くような問いかけは、静寂にたちまち溶けて無くなった。背後には同伴者として姉のトエニカがいたけれど、彼女は今も昔も空気の読めるひとであり、己の気配を容易く消せる武人でもある。吐息の音ひとつさせなかった。


「声、聞いてみたいなー。話、してみたい。

 どんなふうに呼べばいいのかな。俺のこと、どんなふうに呼んでくれるんだろ」


 俺はすぐに目覚め、紅色の瞳にまずは母さんの御姿を、次に弟の姿を映した。自分にとって大切なものと、その優先順位を、初めから知っていたみたいに。


 一方で、弟は七日間が経過しても変わらず、くったりと目蓋を閉じたまま。母さんの暮らす塔の頂から大聖殿の個室へと移されてからも、深い眠りによってベッドに縫いつけられているばかり。治癒魔導士であり医術師でもある、姉のヤエコが診ても原因は不明。


 俺のささやかな願いが実現するのは、どれくらい先のことなのか。知っているのは全知全能の母さんだけ。そしてどんなにささやかな疑問であろうと、母さんに直接答えを求める行為は、世界の均衡を崩しかねない禁忌とされている。


「……これも『試練』のうち、なのかなー」


 母さんから名前と一緒に与えられた、俺の存在を懸けて全うすべき役割は「試練」だ。具体的に何をすべきなのかは教えてもらえなかったし、誕生から長い時が経った今でも分からない。


 マジで母親のかがみだと思う。子供たちを突き放しているわけじゃない、早いうちから自立を促しているのだ。


 何故なら眷属は、塔の頂から動くことのできない母さんの代わりに「正義」を執行しなければならない。己の判断によって欠けを生じさせてはならない、いかなる理由があろうと誤ちは許されない。俺たちは、少なくとも己の責務において、完璧でなければならないのだ。


 弟が目を覚まさない。

 それが最初の試練だとするならば?


「毎日、空の炎が沈んだあとで会いに来るよ。その日俺が知ったこと、ぜんぶ話してあげる。兄さんは一足先に、頑張ってこの世界に馴染むから」


 初めての決断をして、俺は立ち上がった。そして弟の頬を、壊してしまわないようにそっと撫でた。弟はぴくりとも動かなかったけれど、微かな温もりが「ちゃんと聞いてるよ」と応えてくれているような気がした。


 炎神の眷属である俺たちにとって、熱は特別な意味を持つ。


「だから、頑張って目、覚ますんだぞ?

 な? ……アルヴィン」




 正義執行機関「瞳」、序列第三位。

 アルヴィン・スノウ。

 与えられた役割は「記憶」。


 世界で二番目に優しい、俺の弟。




 【第一章 月に似た双子】

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