~忘年会~(『夢時代』より)
天川裕司
~忘年会~(『夢時代』より)
~忘年会~
忘年会、一口に聞いても言っても、何気にその時の様相やこれ迄の経験が先走り、今、現在に於いてそういうものから遠ざかって居る自分にとっては今いちピンと来ず、故に、もしこれから行く、のだとしても〝忘年会の醍醐味〟や自分なりの楽しさについての想像、感触が湧かず、現実から遠ざかって居る自分と、世間の早い流れの様なものを感じ始め、人々と自分との違いを又増して感じるのである。俺は、自分の為だけに与えられた、永遠に、何時(いつ)でも付き合える友人、あわよくば恋人、配偶者、という者が欲しくて唯毎日を暮して居るが、如何しても現実が許さず、その何れも無い儘で今を生きて居るのだ。粘土細工で以て人形を造り、それに神様が息を吹き入れて生命在る者とし、その「者」を俺の一生のパートナーにする事が出来ないか、等、本気で考えて居る正体が今でも在る。今の俺に在るのは両親であり、その間に生きて居る絆、愛情の様なものであり、他の対象に心が吸い寄せられた際にふと又、淋しく成る訳である。
燦々と照る太陽は曇天模様を殆ど映さず、気紛れで以て風にも雨にも変えて、やっぱりずっと、微笑んでどっしり構えている様である。虫達も自分の青春を謳歌するのか春夏秋冬の循環に沿って当然の様に生き、我に可笑しな表情(かお)を見せず、屈曲した骸に耳を欹てられて同じ問答を聴かされ続けて居る自分の煌めきを一寸とも受容しない様子で涼しく、痛いものである。白紙に書き続ける白亜の夢が、如何にか斯うにか叶う迄は必ず生きようと、生き抜いて遣ろうと吉日思い立ったが始めに見た夢の様子である。
俺は又、タイム・スリップした様に体と煩悩とを胸の奥底に携え、やがてやって来る〝結末の門〟に向けて進んで行く枠小説の様な空間に居た。もう辞めて一年以上が経過している職場で又働いて居り、その頃に見て居た活気の活性の仕方を以て図らずも苦しく、この白紙の内で命を燃やす様にしてゆっくりと呼吸が向ける意図に沿いながら生きて居る様だった。俺はその職場で他人への気遣いに尽力しながら茶痴(ちゃち)な小才(しょうさい)を胸に潜め、何時(いつ)でも〝調子が好いです〟と触れ回るような体裁を採って居た。その内実の醜さを見抜かれまいと少々の覚悟をしながらゆっくりと又闊歩して居たが、何分(なにぶん)他人の気心について当推量(あてずっぽう)の解釈を続けて居て読めず、遂には何にも成長を示さない以前通りの口実・解釈を息を巻いて取り計らう事しか出来ずに居た訳である。その気心遣いは男に対しても女に対しても既に同様であり、寸分の狂いも無く夢の出口で通り魔が心を歪めて行く位に進展も挙がらないで、直ぐ後ろの魔性の格式が今か今かと俺の弱るのを待って居た位であった。その時間に住んで居た俺の体調は好く、何分(なにぶん)気違いの持つ慌てた表情も相応に活性されなかった為無駄な欲求を生む事が無く新鮮な温存が出来、相応に体力は維持するどころか多少の向上さえ見せて居た。この「女」とは中原妙子という俺とほぼ同期で入社して居た女であり、正確に言えば二ヵ月だけ早く働き出して、介護職である事から進展が早く、相応に中堅扱い等される程の存在に迄成って居て、入社し立ての俺などは年(とし)は彼女が下でも、譲られない強気の様なものを感じさせられて居た。小鳥が窓の外で鳴くのも大概他所で聞くしか無い程の体裁でずっと居り、俺に仕事の出来とは余り期待出来ないもので、ずっと平職員の儘で居させ続けられる事も又、少々事実めいた証と成って行くものとして在る。俺はその中原妙子とショートステイの送迎か何かについてスタッフルームの中で喋って居たのだが、彼女とはその時、ほんの擦れ違い様(ざま)に出会って居ただけのタイミングでしか実(むず)ばれて居らず、一寸、そっと、喋っただけで直ぐに離れて行った。そんな様(よう)なので中原妙子の存在もその後直ぐに仄かな匂いだけを残して消えて居た。
俺は、そこで一緒に働いて居た身長が一九〇センチ以上もある田辺大五郎という男と一緒に、その社内のこれ又俺が配属されて居た部署のリビングで又一緒に仕事をして居り、俺は久方振りに味わった新鮮で見知らぬ位の空気・仕事場の流れというのに心身を浸して居た為に未だその時調子が付いて行かずに居り、そんな中で唯一自分が今でも良く憶えて居る橋田静江という女性の利用者がそのリビングの中央に居るのを見付け、吸い寄せられるようにして俺はそのお婆ちゃんの横へ辿り着いて、退引(のっぴ)き成らない空虚な駆け引きをお供に添えて、今日の天気等について語り合って居た。ゆったりとしたムードをその所で多少なりとも手に入れた俺は次第に又働いて居た時の強い〝動く姿勢〟を手に入れて、国語の教科書を一から、片端(かたっぱし)から手懐けて行ける様に、と内心、自身に発破を掛けるかの様にして、規律正しく揺られる現実の小舟の中でゆらゆら大波が来ても丈夫を保とうと試みて居たのだ。その静江さんは他には特に何にも知らない様子で俺がその時縋り付こうとして居た夢想の小舟に華を添えてくれた様子で、呆(ぼ)んやり遠くを見詰めた儘で、しっとりこっとり、心地の良いリズムを歌って居た。俺は働いて居た頃からこのお婆ちゃんが可愛好いからという理由で大好きであって、しっとり蠢く波動の蠢きを、この静江さんの悠長な理不尽さに観ながらにしてほっこり楽しむ事をその時も、忘れずに居た。田辺大五郎が「口(くち)キャンプ」と称した、取り敢えず何かを野外で食べる、という日帰りのミニキャンプへ行こうと提案し、皆その気に成った様子で、職場のムードもモードもその決められた方向へと動き出すのを俺は感じて居た。否、正確に言えばそれは予め決められていた事の様(よう)であって、俺がその空間へ入った時から、その以前からもしかしたら決められていて、俺がそこへ着いた時にその予定が始動・開始されていたような、節が在った。「口キャンプへ行きますんで!」と大五郎が何時(いつ)ものようにはっきりと言い切って、まるで誰にも邪魔をさせない様に構築したその出来事は、俺に、一気に、元職場で働いて居た頃に見て居た彼の仕事上での強引さを思い出させて居た。唯、そう言った時の彼の口調は俺に対して「非常に」と言うよりは何時(いつ)もの機嫌が良い時のもので、年下ではあるがこの大五郎の巨大な塊が何時(いつ)大きく転がって来て俺を丸呑みにしないか、と不安に思って居た俺には丁度好い余興の様(よう)であり、俺は束の間安心して居ながらそれでも巨体の大五郎の憤悶の出処を探りながら上手く切り回さねば、と少々足踏みして居た。「ああ!行ってらっしゃい!!」と俺は思い切り、力強く叫ばされた。奴の上機嫌に此方(こちら)も調子を合せておかねば何時(いつ)又奴の幼児染みた小爆発が単発で飛んで、遣って来るか知れない少々の恐怖が矢張り付き纏うのであり、何処でも誰でもやって居たろう彼への無言の気遣いを、此処でも俺は又遣って居た。十歳年下の彼の発想とは常に精神年齢の低い子供染みた幻影が物を言って居る様に、等思わされて居た為俺は対峙する事を無理矢理強いられる事と成って仕舞って、その対峙とは矢張り如何しても精神的な負担と感じさせられ、夢の中へとふと、何時(いつ)でも埋没させられる強い、俺には弱い糧と共に生きるバリアの成す処であった。白紙に気分を戻されながらもつい又その様な愚問を問い質されて、俺は何時(いつ)もの様にしんどかったのである。俺はそれ故に、青いビニール袋を大五郎に渡して、「これで以て色々お菓子とか、何か他に要る物が在ったら持って行ったらいいんちゃう?」等と大五郎の提案を恰も大切に守る様な事を言って大五郎の計画への勢いを助長し、大五郎は〝有難い〟と見たのか、利用者と一緒に楽しもうとして居た俺の理想を紳士の様に受け取って居た様子であり、又何時(いつ)ものように敬虔を示し、次に出る俺と自分の言動についてそれ程批評の目を持たない儘、今を大事にして居た様(よう)である。それで、「俺達は俺達で、残った者同士でやんや楽しくやっとくから、いいよなぁー」等周りの(既に仲間に付けた)利用者に向かって俺は言って居り、頼り無い理屈の展開を以て又頼り無い現実と理想との斡旋を図り始めて行ったのである。その腐らない俺の強い真摯の姿勢に又絆されたような大五郎はその緩く成った緊張感を以て行動力に換え、力在る含み笑いを忘れず携えた儘、着々とミニキャンプへの準備を進めて行く様だった。十程年が離れて居ても矢張りそこでは俺より先輩でもあり、二人で共有出来た一応の目的に対しては従順な素振りを忘れないで居た。唯介護歴は共に同じ程度であり、十歳年上である俺の事を独りで尊敬して居る節は彼にも在ったのだ。しかし大五郎は如何した事か、中々そのキャンプへ行かず、リビングと車や立替金を手配する事務所とを行ったり来たりして、幾様にも表情(すがた)を化えて居る。通り一遍の準備は直ぐにでも済む筈なのに、等俺は直ぐ様在る事無い事煩いながらもその一向に立ち去らない巨体に段々嫌気が差して来て居り、外界を見ながらもやもやしていた斑(むら)の気を一寸でも外へ追い出そうと、空へ返そうと唯躍起に成って居た。そこに又リビング中央の静江さんが飛び込んで来た。目に映った静江氏の体(からだ)を此方へ向かせ、俺と大五郎との間のクッションにしようと気分を働かせ、大五郎が来る頃合いを見計らって二人で昼食の献立表を眺めに行く事にした。その献立表には静江さんの好きな品が無かった様子で、検食で利用者と一緒に職員も食べる事が出来る為、二人分の好物を探すが載っていない、残念!!と言う様な素振りを好く周囲に対して俺と静江さんは見せて居た。そこへ準備を進める大五郎が又飛び込んで来て、これ幸い、と俺はやや声を大きくしながら静江氏との二人の盛り上がりの様(さま)を態と目に付く様に大きく見せたのである。大五郎が二人の間近まで近付いた際には〝ああでも無い、こうでも無い〟としっちゃかめっちゃかな生飯読(さばよ)み問答を繰り返して居た俺だが、その口調の内に一寸真摯な態度を付け替える事は忘れなかった。しかしその昼食の品々が書かれていた献立表は大五郎が来て三人一緒に眺める段に成るとその様子を変えて、青いビニール袋に入ったお菓子と一緒に食う料理名と、例のミニキャンプに於いて食べる事が出来る料理名、又リビングとミニキャンプで催す予定にしている行事等が書かれた物と変わっており、俺達は「そりゃそうだよな」と言った調子で当然として眺めて居た。計画表と一緒に成った献立表にはそれでも毎日食べて居るような料理名が書かれて在り、張合いも無く、静江氏は認知症が在れどもその実を悟った様子で「眺めて居ても面白くない」とでも言った調子に、ぷい、ぷい、と顔を左右に振って居た。大五郎は如何だか知らないが俺はその雰囲気に気不味さを覚えて、何か盛り上がる事の出来る契機は無いものか、と計画評、献立表、又それ以外の箇所を見廻して居た。しかし何も見付からずに三人に言葉は無く、束の間ではあったろうが長い沈黙が続く。その沈黙を一瞬でも嫌う様にして俺は話を切り出し、わぁわぁと何時(いつ)も掛けて居る眼鏡を外して外聞を気にせず色々と喋り出したが肝心の大五郎にはそれ程の効果も無かった様子で、もしかすると、俺のこの卑しく狡い思惑が破(ば)れたか!?等と思わせられる程の逡巡が少し後でやって来たのを憶えて居る。〝お母ちゃん〟と職員から呼ばれて居たその静江さんに対しては、もし俺と静江さんの二人切りだったなら、さっきわぁわぁ言って居た様な心無い相対(あいたい)よりももっと他の、別の言い方が在ったな…、等反省させられ、もしかすると、そういった内容を言えば結果丸く収まったのかも知れない、なんて気を正して、今後の自分の在り方に気を付けよう、と何時(いつ)もの様に又自分に言い聞かせて居たが、当の雰囲気は矢張りその儘変らずに在った。この大五郎を含めた上で利用者、他人と話す時の自分は、眼鏡を外して喋って居る為か、他人の表情が見えずに空気が読めない為か、何時(いつ)も稚拙な事ばかり火吐(ほざ)いて居る結果を目の当たりにさせられ、又か、と何度呟いても又、身に付く嘘吐きの様に、自分の能力の不足を補うのである。俺は兎に角、相性が少しでも合わない職員と共に利用者と話す事を嫌って居り、その「相性が合わない職員」とはほぼその職場の大半を占めて居た。始めは合って居ても、タイム・リミットに依り合わなく成る化物の様な職員が居る事も、きっと、そこで知って居た。
俺は煙草を吸いたかったのである。途中からそう思うように成り、その「途中」とは、あの、大五郎がミニキャンプへ行こう!と言い出した頃に在り、故に、早く大五郎に此処から立ち去って貰って、俺が自分で決めた休憩時間中の喫煙を邪魔する者が居ないように環境設定しようとして居た訳である。これ迄、〝喫煙は休憩時間だけ〟という決まりが出来る以前に、先輩職員でもちょくちょくリビングに隣接しているテラスに出て喫煙して居た光景を知って居た俺だけにその〝楽な習性〟が抜けずに、〝禁止〟と成ったその後も矢張り吸いたい訳であって、その気分の延長で夢遊病を装って喫煙して居た俺を、大五郎は良く叱って居たのである。悪い事と認めつつも、自分の仕事をライフワークの様にして、今後もずっと続けて行きたい、とする俺の心意気はその真面目を排除して、その排除するべき親玉の様な存在をその時は、この大五郎と決めて居た様子が在った。仕方が無かったのである。「これが俺だ」と半ば如何しようも無い開き直りした気分・思惑さえその時の自分には在り、これが俺の心身を動かして居たのであるから大五郎と〝対峙一色〟と成った訳である。しかし中々大五郎はキャンプへ行かずに、ずうっと事務所とリビングの間を往復して居り、まるで〝俺の喫煙〟に注意して居るかの様で、しかし一人一人の利用者に対しては介護士らしく、奴が思う様に相対(あいたい)して居た。何も責める事の出来ない奴の言動に依り俺は唯悪人の様に成るしか無かった様子で、それでも〝喫煙など他愛無い事じゃないか〟と幼児の様に理屈を捏ねて、又大五郎の言動を見続けて居た。中々大五郎が立ち去らない為に、俺は仕方無く居ても居なくても好いような職員としての存在と成り、リビング内を、在って無い様な仕事に向かって唯躍起に成って走り廻って居た。
して居る内に、愈々キャンプ地迄の送迎用の車がエンジンを吹かして施設の玄関に停められていた様子が在り、何台か白い車体に緑の模様が入ったキャラバンが、玄関横に設けられた窓の内に在ったのを歩きながら俺は見て居たようで、「やっと行ってくれるか…」等と心中で呟いて居た。大五郎は車のキーを持ちながら彼方此方(あちらこちら)歩いて居り、催し事の在る日には決って窺える忙(せわ)しい様子を醸しながらも未(ま)だぶつくさと小言を呟いて居り、次は、俺が用意した青いビニール袋の中に入れたお菓子に着目して「でもこのお菓子、誰か食べたりしないですかね?ここに置いといて…」と健気に心配する姿を俺に見せて来た。俺は、もう直ぐ此処から立ち去ってくれるだろう大五郎の様子を垣間見て矢張り元気に成り、「ああ、多分大丈夫やろ。まぁ確認は必要と思うけど、そうやね、その都度(職員がその青いビニール袋を見る事が出来る場所を通る都度)確認すればいいんちゃうかな?」と少々の笑顔を以て応えると、大五郎は何時(いつ)もの合わせ笑いを思わせて来る笑顔を繕って「そうっスね!」と又応えて居た。この時に俺は先程の昼食の献立表(計画表を含む)を三人で見た時にして居た会話での情景を思い出して居り、一旦その記憶の内に還って俺は「お母ちゃんの好きな物は無いかなぁ、しゃあないなぁ、まぁでも、菓子と〝美味い〟って言う気持ちと一緒に皆で食べれば美味さも倍増するかも知れへんで(笑)こういう時はあんまり好物ばっかりが在ってもしゃあないで、」等もう一度二人を交えて話して居り、その情景と姿勢とを以て、話す相手の気持ちを上手く汲んだ上で話題を運び、自分の〝世界観〟に相手を引き摺り込む得意の方法を、あの時も見せりゃあ良かったんだ、等と後悔の念に駆られて居た。未(ま)だそこへ入社して間も無かった頃には、その様な言い方をして居たんだろうなぁ、等とも思わされて居た。
又、同じ部署で働いて居た、山田房江という初老を迎える前の喋り好きな女性職員が登場して居り、何処から歩いてそこへ入って来たのか知れないが、静江氏の横にどかっと陣取って居て、その山田房江が登場した事で連れられる様にして現れて居たのか、もう一人「誰か」が居た。この「誰か」は夢の中では良く在る、誰にでも姿と色とを変える事が出来る変色体で出来た様な存在として在り、別段そこに居ても、俺にとって邪魔には成らない様子だった。俺は房江氏に、「あれ!?確か、辞めたって聞いてたけど…山田さん?」等と怪訝そうに問うと房江氏は、「そうやねん、来年の一月で退職しようと思ってるの」と応えてくれて、矢張り辞める主旨は変っていなかった様子ではあったが、唐突に現れた事に俺は先ず驚いて居て、又もう一度会えるとは思って居なかった為にその再会への喜びの様なものを感じて唯、驚いて居た訳である。又、その房江氏は、共に働いて居た頃に比べて相応の隔たりが邪魔をしていた為か、女らしく、以前よりも小じんまりとした可愛らしさを以て奇麗に成った様に感じられて、入浴介助の際等に覗いて居た年齢の割には子供っぽい、真っ白な両脚、特に太腿に恋をして居た自分の様(さま)をも思い出し、次々と湧き起る煩悶の仕種に真面目を絆され、もう初老のこの山田房江に妖艶から成る色香(いろか)を感じ、房江の体(からだ)を欲する自分に気付いて居た。房江は私にとって、若返って居た。
職場は姿を変え、と言うよりはそのリビングから外へ出れば始めからそう成っていたのか、用事を思い付いてそのリビングから出て歩いて行く俺はその内に、広く長い廊下を歩いて居り、その周囲は始め、場末のデパートの内装を装って俺に取り残された体裁を覚えさせ、その薄暗さから「『流行』が居る『街』という光の中へやがて辿り着ける」といったぞくぞくさせる予定調和を教え、次に理学系に依り建てられたパビリオンを想わせる内装へと姿を変えて、廊下は歩けば行く程に幅が広く成って、とても明るく気品が漂う、東京に在る高級ホテル内に在る様な柔らかいムードを漂わせた。その廊下は廊下にしては余りに広い為か、ロビーやフロアの様な或る纏まった広さを持つ空間である様に見え始め、その空間の隅には幾つか連ねられた部屋まで付けられて在り、如何(いか)にも高級感を漂わすと同時に、密集した幾つかの部屋は又東京の狭さを思わせる様にして、マニアックな人種が集まって来るような妙なスペースをも思わせていた。俺はその時、そのような〝マニアックなスペース〟に自身を置く事を妙に好む質を持って居たようで、そこに居る事が何か嬉しく、その廊下を左右を知らぬ児の様にてくてくと歩いて行き、又暫く行くと見得て来た化粧品売り場や電化製品売り場を徘徊しながら独りで居る事の奔放が招く〝ぞくぞく感〟を手中に収め、その内変った幾つかの部屋であった利用者用の居室をちょくちょこと覗き見て利用者の様子観察をし、当てを知らない内実を以て用意された空間の内で自分の冒険を楽しんで居た。して居た際に、何処(どこ)から来たのか知れない、黒いスーツに全身を固めたSITを連想させる男達がさっさっと歩いて来て、俺の周りを素通りしながら何か一つの目的に向かって全力でダッシュして居る様(よう)にも見え、俺は、折角此処(ここ)で構築されていた弱い〝ロマンス空間〟が打ち壊された、と少々憤慨した後残念に思って居た。何を調べて居たのかはっきりしないが、男達が次に入口を開けて入って行く大広間や小部屋を見せられながら俺は、その空間に未(ま)だそんなに他の空間が在った事を教えられて、別の世界へ迷い込まされたように身の程を覚えさせられて、少々そこから立ち去りたい、等とも考えさせられて居た。「何を調べて居るのか?」と俺はさっきから横を通り過ぎて行く男達の内の一人を捕まえて訊こうとしたのであるが、現在の〝大学生が成せるSHY病〟が災いした為か結局何も訊けずに、唯呆然と人の流れを見送るしか無かった。
その世界がとても窮屈に思え嫌に成った所為か、俺は気が付くと外に居た。何と無く見慣れた風景ではあったが何処とははっきり言えない様なそんな場所に居り、少々黄砂が飛ぶ様な煙たさが目前には在ったが、空には快晴を思わせる青さが在った。大きい車道区域に居た様子で、しかしきちんと歩ける歩道は在り、自分が立って居る地点から程々に離れた位置に在る元職場であろう施設とそこから最寄りの電車の駅へは、その歩道を通って辿り着ける様(よう)だった。一先ず安心して歩き出した俺は、その夜に「忘年会」が在る事をふと思い出して居り、思い出したが参加するか否かについて酷く問う事もせず、のんびり長閑なその平地を、唯ゆっくり歩いて行った。して居ると、女の子が一人居る事に気付いた。その女の子は始め俺の背後をとぼとぼとやや俯いて歩いて居た様(よう)で、俺の前方を歩こうとはしなかった。持ち前の無関心を装う強さを以て俺はその子と知り合ってみたいな、等とも思いつつ、やがて小学校か中学校沿いを歩いて居り、その恐らく正門の滑車の横に、靴下を、まるで人が履いて居る様に見せ掛けて、靴の中に入れて(突っ込む形で)在るのを見付けた。茶色い靴下で靴は黒い革の登校靴だったのを憶えて居る。俺はそれを見た途端、誰かそこにひっそりと立って居るのじゃないか、と勘違いをしてびくっと身が震え、そう、まるでその靴は、心霊写真を撮る為にと仕掛けられた様な、そんな出で立ちを持って居たのである。その靴を見付けた途端にそれ迄後(あと)を付いて来て居た女の子が俺に駆け寄り、「これ、怖いよなぁ、何これ、誰がこんなんしたんやろう」等と、その靴が二人の間に置くクッションと出来た為か女の子は少々多弁に成って俺に話し掛けて来て、俺とその子は暫く一緒に、まるで友達にでも成った様にしてぶらぶらと歩いて行った。否、始めから知って居た女の子だったのかも知れないが、良く思い出せない。又そんな事を思いつつその女の子と歩いて行くと、その女の子は、「じゃあ今夜の忘年会で、後(あと)で、又会おうね。」と言い残して、少々小走りで以て俺の向かう方向へ去って行った。〝あれは何だったんだろう〟と俺は、学校の正門前に置かれていた、茶色い靴下が手に取る様に備え敷かれていた黒い革靴の事を思い出して居た。在る事無い事得意気(とくいげ)に、神秘的に、考えるが、一向に纏まりが付かない為に、そっとして置く事に決めて居た。
空を見上げると矢張り快晴であり、大五郎が「口キャンプ」へ行ったか如何か等思い出しながらも、今の自分を取り巻いている天候が五月の春の陽気を想わせる暖かさを感じさせていた為、「忘年会」は無いだろう、と俺は後(あと)で思って居た。
~忘年会~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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