第七次試験の前夜
その日、俺は夢を見た。前世の夢だった。悍ましい怪物たちに蹂躙される仲間たち。名状しがたしモノたちに闇へと引きずり込まれる友。そして、イヴによって地球ごと破壊され奪われたアリシアの魂。
憎しみなんて生易しい言葉では足りない。この無念を晴らさずに生きる意味などない。必ずこの世界に落ちてきた〝奴ら〟を一匹残らず全て打ち滅ぼす。
朝、夢から覚めた時、俺の決心に揺らぎなどなかった。明日のエアリアル学園の第七次試験は必ず合格して勇者と同じクラスでこのエアリアル学園に入学する。
奴らを滅ぼすために。その力を借りるために。
それ以上に優先すべきことは俺にはないのだから。
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明日の第七次試験が終われば、合否の結果を知ることもなく、この学園都市から故郷のエルアドロス王国に帰省することになる。一カ月半くらい滞在したであろうか。また入学してからこの学園都市に戻って来れることが楽しみであるくらいには、この街に愛着が湧いてきている。
ここは出会いがある街だ。名前も知らぬ少女たちと、それでも鮮烈に記憶に残るような出会いをこの一カ月半の間に三度も経験した。もし四年間も過ごしたら、いったいどんな想像もできないようなことが起こるだろうか。
俺は繁華街を歩きながら、そんなことを考えていた。明日、故郷に帰省する際のお土産を探しながら。母マーガレットには綺麗な花瓶を買った。アーシャ女王には、学園都市の風景を描いた
節約していた路銀はお土産代でほとんど使ってしまった。でももう大丈夫だ。どのみち明日までなのだから。俺は部屋に帰り荷物を置いた時に、ひとりの人物に挨拶していないことを思い出す。
「そうだ。アマンダさんに挨拶しておこう」
少し遅い時間ではあるのだけれど、明日はもう試験後に顔を出す時間などないだろうし、あの人たぶん昼間寝ていると思うから、挨拶するなら今夜しかない。
俺は学園都市のはずれの方にある、怪しいお店が立ち並ぶ歓楽街を進む。狭くて暗い路地の先には、俺が半月過ごしたアマンダの安宿が変わらない佇まいで営業していた。
この宿で過ごした最後の夜。俺の裸を描きたいと夢中でペンを走らせた彼女は元気だろうか。彼女もエアリアル学園の入試を受けにきていた。学園に入学したら絵を描くことを辞めなければいけないということだけれど、あんなに真摯に絵を描くことを愛する彼女から絵を取り上げるのは酷というものだ。
俺の記憶にはどうしても彼女が身体から発する
だからかもしれない。彼女には絵を描き続けてほしい。夢中で好きなことを続けてほしい。そんなことを考えながら、アマンダの安宿の入り口に着いたとき、俺の鼻はある匂いを感じ取る。
そんなバカなと宿の入り口から少し横。暗闇になっている石段に一人の少女が両腕に顔を埋めて座っていた。
「キミは…、あの時の」
俺の言葉に彼女はゆっくりと顔を上げて「シュウ様、、、」と呟いた。
◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇
俺はアマンダに挨拶をすると共に、一時間くらいだけ俺が泊まっていた安宿の部屋を貸してもらった。
「金はいいよ。でもその
と、笑って何も聞かずにいてくれた。
彼女は部屋に入ってからも俯いていた。俺が光源を部屋に飛ばすと右手をローブで隠した。
「見せてもらってもいいかな」
俺は彼女の正面から顔を覗きこむ。彼女は抵抗するように更に俯き目が隠れる前髪を垂らした。俺は彼女の顎に優しく手を触れてゆっくりと上に持ち上げる。
そこには泣き腫らした後があった。触れることさえも痛々しい表情を浮かべていた。
そして俺は彼女の右手を優しく握った。
「痛いっ」
彼女の右腕は、何も握れなくなるまで壊されていた
「これをやった奴の名前を教えてくれ」
俺は彼女の家庭の事情や、交友関係、恋人の有無など、何も知らない。
しかし、そんなこと関係あるか。こんな非道なことをする奴には地獄を見せてやる。ところが、彼女は首を横に振った。
「これは私が悪いんです」
私が悪い? こんなことをされる罪とは、いったいどれほどのものだというのだ。絵を描くための大切な右手を破壊されるような罰など、この世にあっていいのか。
「私は貴方に、、、シュウ様に、謝りにきました」
俺に謝る。この状況で彼女が誰かに謝らなければならないことなど存在するとは思えない。しかし彼女は俺に懺悔を続ける。貴方を描いた絵を自分で焼いてしまったと。
「私、暗いし、無口だし、どんくさいけど、これでもみんなの期待を背負っているから」
彼女はこの時初めて笑顔を見せた。
「私の姉は厳しい人だけど、ちゃんと皆のことをいつも一生懸命に考えている人だから」
それは自分に言い聞かせる言葉だった。必死で自分の魂の叫びを押し込める言葉だった。あまりしゃべるのが得意ではないであろう彼女が、俺が何かを言うことを遮るように話続ける。
「この手は明日の朝には回復させていいって言われています」
彼女は自分の右手をさすりながら「これは戒めなんです」と俯いて呟いた。
そして大きく深呼吸した。何かを決意するかのように。
「姉との約束なんです。私、明日の午後から私が絵を描くために創った魔法を、自分の中から消し去ることにしたのです。そうすればもっと攻撃に使える
魔法は自分の得意な分野に、己の魂のリソースである魔力を費やして昇華させていく。彼女は絵を描く魔法にかなりの魔力リソースを使っているのだろう。だからそれを自分の中から
それを彼女は、素晴らしいことのような口調で話す。顔は苦痛に歪んでいることに気が付いていないように。
「私のことはどうでもよったんですが、シュウ様にあんなにも協力してもらって書いた作品たちを、、、、、燃やし、、、て、自分で燃やしたことを、謝りたかったんです」
ベッドに座り何も言えなくなってしまった俺に、彼女は深々と頭を下げた。
そして部屋の窓を大きく開く。
「それでは、さようなら。シュベルトさん」
それは決別の言葉だった。俺との。絵を描くことからの。
彼女が飛び去った後、
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アマンダの安宿からの帰り道。ふらふらと幽鬼のように街を歩き、何とか宿泊施設まで帰ってきた。俺一人しか宿泊していない建物は、今夜も静まりかえっていた。
あの日、碧髪蒼瞳の少女が真っ暗な部屋で、俺の帰りを待ち伏せしていた日のことを思い出す。今夜は誰でもいいから、誰か傍に居てほしかった。この気持ちを誰かに打ち明けたかった。
しかし、誰もいないのだ。俺はひとりだった。自分がひと月泊まった部屋の扉を開ける。そして中に入り真っ暗な部屋に光源魔法を放つ。
「おかえりなさい、、、」
彼女は真っ暗な部屋で椅子に座っていた。俺は声がでなかった。それは驚いたからでなく嬉しかったからだ。また彼女と会えたことが。そして今ここに居てくれることが。
しかしその考えは瞬時に変わる。彼女の蒼い瞳には輝きがなかった。光がなかった。泣き腫らした顔で、それでも薄っすらと笑顔を浮かべていた。
「またシュウくんに会いたくなっちゃった」
それが本題じゃないのが伝わる。何か理由を抱えてここに来たことが分かる。
椅子に座るその姿勢がおかしい。それは痛みを庇っている者の体勢だった。
「少しだけその服の下を見せてくれないか」
「もう、、、そんなエッチなこと、、、」
俺は
「誰がこんなことを?」
しかし彼女は「これはただお師匠様に稽古をつけてもらっただけだから…」と、虚ろな瞳をした。
「私、弱いから。みんなの期待に応えられるようになりたいから。だから、これはいいの。大丈夫だから。こんなの痛くも痒くもないからね」
じゃ、なぜそんな悲痛な表情をしているのか。これが痛くないなら、何がそこまでキミに痛みを与えるのか。
「私、シュウくんに謝りたくて……」
謝る? また謝る。俺はさっき別の少女から懺悔を受けたばかりなのに。
「シュウくんがせっかく拾ってくれた私のノート、自分で燃やしちゃった。弱い自分と決別するために」
彼女の妄想が、夢が書きなぐられたノート。キミまでそれを自分で燃やしたというのか。
「運命の
彼女は泣くのを我慢する自分の唇を噛んだ。血が流れても尚、嚙み締めた。
「私…、明日の午後に……、婚約の
相手はガルデリア王国の中でも有力な
「キミはそれで、、、」
その先の言葉が出なかった。俺は彼女の抱える事情を1%も理解していない。彼女がそう決断するに値するような事情があるはずだ。何も知らない俺がこの先の言葉を吐く資格があるのだろうか。
「うん。決めたんだ。みんなの期待に応えるためにもがんばるって。私はシュウくんにそれだけ伝えにきたの」
そう言うと椅子から立ち上がり彼女は玄関の扉を開ける。
「さよなら、シュベルト・ウォルフスター」
その声は出会ったときのような、よそよそしさがあった。そして扉が閉まるまで、彼女は振り返ることはなかった。
あの
◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇
彼女が帰ったあと、起き上がる気力が湧かず、ベッドで横たわる。もう何をどう考えればいいのか、その糸口さえ分からなかった。
深夜、眠れない俺は、部屋から出て夜の街を彷徨う。いや、行く先は決まっていた。足は自然とそちらに向いていた。
俺は救いを求めるかのように、時計塔を目指す。
二日前の夜。俺の心をロックで癒してくれた彼女に、また会いたくなってしまった。人類が紡いだ歌で聴かせてもらいたかった。
しかし彼女は約束の日である昨日の夜に姿を見せてはくれなかった。あんなにも心が繋がるような一夜を共に過ごしたのに。
彼女ならきっと今の俺のやり場のない想いも、その歌声で救ってくれるはずなのに。俺はまたあの美しい
時計塔に着くと、また彼女の美しい歌声が聞こえてきた。いる。唄っている。
俺は嬉しくなって飛翔した。しかしその歌は〝讃美歌〟だった。ロックではなかった。嫌な予感がした。俺は時計塔の頂上に着地する。彼女は振り返らず讃美歌を唄い続けている。
「昨日は来れなくてごめんね、ダーリン」
彼女は唄うのを止めた。しかしこちらを見ない。振り返らない。俺は彼女の左側に座る。彼女は俺とは逆方向を向いた。
「こっちを見てよ」
「えー、やだ。だって、、、」
ダーリン、怒るでしょと彼女は嘲るように呟いた。
俺は強引に彼女の顔をこちらに向けさせる。その美しい顔は腫れ上がり、口の周りには痣が色濃く付いていた。
「キミを殴ったのは、誰だ? 教えてくれ」
もうそいつは殺してもいいだろう。しかし彼女は俺の手を強く握って「お願いだから、何もしないで」と懇願してきた。
「お母様は出来が悪いあーしのために、いっぱい苦労してくれているから。だからこれはいいの」
彼女はそんなことよりと続けた。
「あーしはダーリンに謝らないといけないことがあるんだよね、、、」
また、また、、、俺はまた懺悔を受けるのか、、、
「ダーリンが書いてくれた楽譜あるじゃん、、、あれ、、あーしが自分で燃やしちゃった」
なぜ、そんなことでキミが俺に謝るんだ。そんな泣き腫らした表情で、殴られて腫れ上がった顔で。
「それにもう、ロックは唄わないってお母様と約束したし。ピアスも外して服装だって清楚系になったし」
これからの時代は清楚系よねと彼女は笑った。ぼろぼろと落涙させながら。彼女は唄で
つまりロックはノイズだというのだ。雑音に魔力リソースを費やすことを禁止されたらしい。
「明日の午後に、あーしが一生、讃美歌しか歌えないように、
たはは、と笑って見せた。涙が月の光を反射させながら、街に落ちていった。
「ダーリンにロックを聴かせてあげられなくて、ほんとごめん。あーしにはファンをもつ資格なんてなかったわー」
彼女はそう言って立ち上がると、体を霧にのように
「バイバイ、シュベルト」
彼女の声は、アリシアと瓜二つのその声は、霧と共に闇夜に消えてなくなったしまった。
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