平和な異世界に転生して

 地球があった宇宙とは別の宇宙。別のことわりが存在する世界に、俺の魂は転生したのであった。前世の記憶を刻んだままで。

「シュベルトちゃん。今日はごきげんどうかなぁ」

 甘ったるくも優しい声。俺の知らない言語で語りかけてくれる女性。

 マーガレット・ウォルフスター。

 彼女はこの世界で俺を産んでくれた人だ。つまりは母親なのだ。そうなると父親はと思ったのだけれど、、、

「産まれた時にすごい泣き声だったから病気かと心配したけど、健康な子で本当に良かった」

 母は何か想うごとに俺を抱きしめた。そして壁に掛けられた男女が仲睦まじく手を握りあっている絵を見つめる。

「必ずこの子を大人になるまで育て上げるからね」

 そう呟いて大粒の涙をこぼすのだ。俺がこちらの世界に転生して50日くらいは経過しただろうか。当然だが言葉を話すことはできないし、本来ならこの未知の言語を話す母親マーガレットの言葉の意味は理解できないはずなのだが──── 

(アナタ ヲ オトナ ソダテル)

 という感じで、アルティメットAI・アテナから拙い同時翻訳が届くのだった。俺の脳は今世でもアテナとの同期がされている。

 家の中に唯一一枚だけある大きな鏡に写る自分の姿を見る。黒の髪。マーガレットは美しいブロンドヘアーだが、俺は黒髪だった。そしてそれは壁に掛けられた絵に描かれた父親の髪色と同じだ。しかし赤子の俺には、父母とは明らかに異なる外見上の特徴がある。

 光さえ帯びる虹色の瞳。

 この転生したはずの魂でも、前世と同様に超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルが正常に機能している。それはアリシアが虚数宇宙にアルティメットAIアテナを創造してくれたからだ。でなければ、俺が超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルを展開した瞬間、この脳は全てのシナプスが焼き切れて、たった一度の超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルの行使で廃人となるだろう。

 でもこんな力欲しくなかった。アリシアが存在しない宇宙で俺はなんのために生きればいいのか。生きる気力が湧かない。

 毎日、天井を見て過ごした。乳を飲ませようとするマーガレットを拒みたかったが、とても哀しそうな顔をするので仕方なく母乳を飲んだ。

 生まれたばかりなのに、死んだような眼で日々を過ごした。しかし夜遅い時間に起きると、真夜中に一人でマーガレットが泣いてた。

(アルク ドウシテ ソバニイテクレナイノ)

 アテナの翻訳など聞かなくても、あの顔を見たら分かる。

 俺と同じだ。彼女もまた俺と同じ喪失感の中にいるんだ。父親はまだ若かったのだろう。マーガレットと同じ歳くらいだとしたら二十代前半だろうか。

 俺の兄や姉が居るようには見えない。となると、彼女に残された家族は俺だけなのかもしれない。そう思うと、声にならない声を上げていた。それに気が付いたマーガレットはベッドから抱き上げる。

「シュベルト、私が居るからね」

 そう言って抱きしめてくれる温もりが、胸を僅かに熱くしてくれた。俺は小さい手でマーガレットの顔に触れて、目から零れる涙を拭う。

「慰めてくれているの? アルクみたいに、、、」

 マーガレットは俺を強く抱きしめて、声を上げて泣いた。俺がアリシアを想う気持ちの分まで泣いてくれているようだった。

 俺は生きなければならないと、初めてこの異世界に意識を向けた。


 そしてそこは────   魔法が存在する世界だった。





◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇





 それは三歳の誕生日だった。俺は小さなお城のバルコニーでささやかな誕生日パーティーを開いてもらっていた。

「シュベルト、お誕生日おめでとう!」

 6人掛けの大きなテーブルには俺の隣に母マーガレットが居て、そして向かいの席に座るのは、このエルアドロス王国の女王アーシャ・エル=アドロス。そしてその隣に、アーシャ女王の娘で俺より二歳年上のフィーナ・エル=アドロス王女が、なんとも優雅で気品に満ちた拍手をもって俺の誕生日を祝ってくれた。

「シュベルト、キミは本当に父によく似ている」

 アーシャ女王は目を細めて俺を見る。女王と俺の母マーガレットは前世でいえば従妹いとこの関係で、俺のことも実子のように可愛がってくれた。

 そしてこの誕生日会の場に不在のアーシャ女王の夫はというと、すでに亡くなったいた。

 俺が産まれた年に、心不全で急死していたのだ。歳はまだ三十を迎えたばかりだったという。前世の感覚では邪神に殺されるとかではないのに、三十歳で人生を終えるのは早すぎると思ってしまうのだが、この世界で男性の平均寿命はまさに三十歳くらいらしい。俺の父親アルクはそれよりもずっと若く、二十二歳で病死していることから、男性は短命な世界だということだ。

 男性はということは、女性は違うのかという話になるのだが、驚くべきことに女性の平均寿命は六十歳を超えるそうだ。

(魔法の行使プロセスが、男の魂に適合していないと推測されます)

 アテナが教えてくれた答えを聞きながら、テーブルを挟むように置かれた光源に目をやる。神殿にでもあるような彫刻を刻まれた石の土台の上部には、光の塊が揺らめいていた。これは目の前に座するアーシャ女王が魔法の行使によって、星空の下で真っ暗なバルコニーに光を灯しているのだ。

「この子ったら、あの人に似て魔法が苦手なんですよ」

 マーガレットは困ったような表情をつくったが、その手は優しく俺の頭を撫でる。

「男の子だし、仕方ないですわ。シュウがもう少し大きくなったらわたくしが魔法を教えてさしあげます」

 再従姉弟はとこにあたるフィーナは俺を弟のように想ってくれているようで、愛しみをもってシュウと呼び、城務めのマーガレットが仕事をしている間、俺に読み書きを教えてくれていた。

 彼女が言う男の子だから仕方がないとはどういう意味かというと、すべての男性は魔法に対して適正が低い。生後間もなくからアテナは俺に魔法を使わないように警告してきた。その理由は男性が魔法を行使しようとすると魂に傷を負うのだ。その上、女性ほど上手く操れない。出力、精度、練度、その全てで男性は女性に圧倒的に劣る。

 それなら男は魔法など使わなければよいと思うところなのだけれど、、、

「フィーナは本当にシュベルトがお気に入りなのね」

「ふふふ、だってお母様。シュウの瞳はエアリア様の祝福を受けているのですよ。世界で一番美しい瞳ですわ」

 そう。女神エアリア。これがこの世界で絶大な魔法信仰を築いている神の名だ。俺はフィーナから教わった女神エアリアの聖伝を思い出す。


 空が虹の光に満ちた夜、女神エアリアが顕現して地上に祝福を与えた

 飢える者たち、弱き者たちは、女神エアリアの虹色の奇跡にふれて大いなる力を得た

 人々は女神の御心である魔法を賜り、この世界は安寧と繁栄を歩んだ。

 魔法の叡智は女神エアリアからの授けモノが故、決して否定することは赦されない

 人々は魔法と共に歴史を紡ぎ、いつか女神エアリアの下に辿り着くのだ 

 それこそが我らの幸福

 それこそが我らの運命


 まぁ、こんな感じでもっと長い文節があるのだけれど、何千年か前にエアリアって神がこの世界の人々に干渉をしてきたらしい。その干渉というのは、、、

(魔法は暗黒物質ダークマターにアクセスしています)

 アテナ曰く、この世界の住人のほぼ全ての者が、宇宙の真理たるダークマターの力を行使しているのだ。しかし、それこそが大きな弊害を生んでいる。

 超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルと比較したらの話だが、絶望的にまで非効率的で不安定なアクセス方法なため、女性であったとしても超々極小の〝点〟しか穿つことができずに、さらに男性に云っては魂にかかる負担で自己を破滅させるというのだ。

 エアリア様、魔法は女性限定だとちゃんと伝え残しておいてよ……。

 

 俺の誕生日会に振る舞ってもらった食事は、前世の記憶からすると少し質素に思えた。ここはお城で目の前にいる二人は女王と王女だ。そして俺の母は女王の分家でロイヤルファミリーの食事会といって差し支えない。

 しかしとてもそうとは思えないのには理由がある。俺が産まれた国、エルアドロス王国は貧しかった。弱小国家だったのだ。フィーナに聞いたのだけれど、この国の人口は三万人程度しかおらず、特別な産業も無い。国民は飢えてこそいないが、日々の暮らしは決して楽ではない。地図を見せてもらった時には、エルアドロス王国の国土の小ささに驚いた。よくこれで国として保ってられるなと思っていたのだが───

「アーカス真女王陛下からの手紙によると、祝福を授かった三人の勇者様は、皆元気に成長されているそうだ」

 食事を終え誕生日会が宴もたけなわという空気になったとき、アーシャ女王は勇者の話を切り出した。

「それは素晴らしいことですが、三人の勇者様がお産まれになったということは、魔王が出現したということですよね。アーシャ様、私は心配で、、、」

 マーガレットはそう言うとまた俺の頭を撫でる。彼女の不安が温かい掌から伝わってくる。

「ふっ、何を心配しているのです。五百年前に魔王が復活した時とは、三大魔導国家の国力は桁違いです。伝説のように我々などが旅を共にすることはあり得ません」

 前回魔王が現れたのが五百年前。そして三大魔導国家とは現在のこの巨大なアヴァルニア大陸を三分する三つの覇権国家。

聖賢せいけん〟ガルデリア王国

天杖てんじょう〟リノアール王国

夜帝やてい〟ルシュノヴァース皇国

 この三国が三大魔導国家と呼ばれている。そして千年前。最初の魔王が出現した時、その三つの国にそれぞれ一人ずつ勇者が誕生したのだった。

 彼女たちは体に女神エアリアの福音ともいえる聖痕の疵を刻まれ産まれてくる。三人の勇者は魔王がこの世界に出現すると現れ、魔王を滅ぼすまで聖痕は消えることがない。

 勇者の魔法は圧倒的でまさに女神エアリアの化身と讃えられている。嘘か真かエアリアの祝福を受けた勇者は、致死の傷を負っても肉体が自動再生するらしい。勇者を殺せるのは魔王だけで、その逆に魔王を殺せるのも勇者だけということだ。

 そんな勇者たちの旅路にこの弱小国がなんの関係があるかというと、五百年前、二回目の魔王が現れたときに、アドロス地方から勇者の旅路をサポートしたという者が居たのだ。世界を救った三人の勇者と共に旅をしたその功績で、アドロス地方はガルデリア王国からの独立を認められてエルアドロス王国となり、現在も国交を続けてもらっている。

 三大魔導国家を取り囲むように、十を超える小国があるのだけれど、その中でも最も小さいエルアドロス王国が今日こんにちまで存続しているのは、過去に勇者と共に旅をした先人のおかげなのだ。

「それはそれで困りものですわね。過去の栄光で恩智を得ているこの国をよく思わない小国は少なくありませんし、何か国力を高める方法も考えていかねば───」

 アーシャ女王とマーガレットは俺の誕生日会のことなど忘れて、まつりごとに頭をもたげる。そう、この世界は女性が国家を運営しているのだ。それは他の小国や三大魔導国家の全ての要職、そして国王、皇帝も女性なのだ。

 それには深く〝魔法〟という力が影響を及ぼしている。この世界は女性だけが圧倒的優位に扱える魔法が絶大な信仰と生活基盤、軍事力さえも握っている。

 この世界では科学が発達していない。魔法は科学と違って最初から大きな恩智を得ることができた。それこそ前世でホモサピエンスが歩んだ科学の歴史を、空を駆けて一瞬で置き去りにできるほどに。

 しかしそれはこの世界の男性も置き去りにする歪な翼だった。科学ならば男女の隔てなく恩恵を受けることができたはずだが、この世界では男性は長生きできない。例え男女の出生確率が同じでも、魔法を行使する以上、成人まで生き残れる確率が違う。この国での男女比率は男2対女8くらいであろうか。

 きっと他の国でも同じくらいであろう。この世界での男性の一生は儚いのである。

「ねぇ、難しい話をしているお母様たちは置いておいて、あっちでお空をみましょう」

 フィーナはイスから立ち上がり俺の手を引いて、光源の灯篭から離れたバルコニーの端へと誘ういざなう

 フィーナはバルコニーの柵の上までひょいと子猫でも持ち上げるように俺を抱え上げた。纏閃フォース魔法と呼ばれる身体強化。前世の世界の五歳児では不可能な剛力を、彼女は行使してみせた。

 柵の上から見た空は満点の星空。こんな綺麗な星々は前世でも見たことがない。バルコニーから見渡せるエルアドロス王国の城下町。灯りはポツリポツリとしかなく、夜空の煌びやかさとは対照的だ。

 もし俺が持つ科学の知識を、叡智をこの国の人々に与えれば、前世での世界における西暦2000年初頭の便利で文化的な生活を送ることが出来るであろう。

 科学が魔法に成り替われば、短命で一生を終える男性たちは激減するだろう。男性も女性と同じように国家運営に携わることや、さまざまな分野で活躍することができるだろう。

 しかし──────

 意を決して、俺を後ろから抱きしめるフィーナに静かに語りかける。

「フィーナ様。明日から僕に魔法の扱い方を教えてください」

「えっ………!? うん、もちろん! それからわたくしのことはフィーナでいいっていつも言っているのに」

 嬉しそうなフィーナの声が俺を優しく包む。俺はこの世界を何も変えない。この世界にはこの世界で生きる人々の矜持があり信じるものがあるのだ。それを便利だからとか、安全だからとか理屈をこねて、薄っぺらい正論マウントを押し付けるようなことはするべきではない。

 例えそれが身を滅ぼす力であっても、三十歳までしか生きられなかったとしてもだ。超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルも使用しないように決意する。俺はこの世界の男性たちがそうしているように魔法を学び、そして短い一生を終えよう。

 それこそがこの世界に生まれ落ちた者の運命さだめなのだから。

 ずっとどう生きるべきか考え続けてきたが、俺は今世ではアリシアを探すことを諦める。アリシアを探すには、この宇宙を破壊するほどのエネルギーを解放する必要があるからだ。そんなことをすれば、マーガレットもアーシャもフィーナも消失することになる。そんな方法で逢いに行けたとしても、きっとアリシアは喜んではくれない。

 だから俺は、シュベルト・ウォルフスターとして生き、シュベルト・ウォルフスターとして死のう。

 夜空を見上げる。

 空には無数の星々が煌めく。ああ、本当に綺麗だ。

 ふと、遠い記憶が頭をよぎる。それは前世の記憶。年齢はちょうど今と同じ三歳の誕生日だった。その当時の俺はまだ日本に住んでいて、その日は家族で夜空が拝めるキャンプ場に来ていたんだ。

 そしてその夜俺は見た──────


「あっ! 流れ星!!!」

 

 フィーナが指さす先には、あの夜に見た禍々しく極彩色にまたたく、虹色の流れ星が駆けていた。

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