滅ぼされた世界の叡智で、今度こそ名状しがたきモノたちを討ち滅ぼす

カフカ

人類のエンドロール

 今、世界が終ろうとしている。


「健やかなるときも、病めるときも──」

 滅びゆく世界で、俺とアリシアは手を取り誓いの言葉を交互に述べる。

 崩れた教会に光が差して、ウエディングドレス姿で俺の前に立つアリシアを美しく照らす。それが滅びの光であっても。

「死が二人を別つまで──」

 もう間もなく訪れるであろう死が、二人を別つことなど今の俺たちには関係がない。その宝石サファイアのように蒼く輝く瞳。薔薇アリシアのように柔らかな匂い。月光のように澄んだ声。

 俺のような無骨な男が銀河で一番美しいアリシア(俺の主観)と結ばれることこそが、この宇宙生誕以来の最大の奇跡なんだ。だからもう泣くのは止めよう。今はただアリシアだけをみつめよう。

 俺たちは負けた。人類は、ホモサピエンスの歴史は、そして地球はもう間もなく消える。

 外宇宙より飛来した根源なる恐怖。名状しがたきモノたち。這い寄る混沌の化身。その邪神自らがそう名乗った、〝イヴ〟という極点種が生み出す超大質量ブラックホールによって。

「この命ある限り、真心を尽くすことを誓います」

 俺たち二人しか居ない教会でアリシアは俺に誓いの言葉を贈ってくれた。

「アリシアと結ばれたなら、俺は何も思い残すことはない」

 涙を止めることができない俺は、精一杯の笑顔で想いを伝えた。

 しかしその言葉は嘘である。思い残すことだらけだ。後悔だらけだ。俺たちはなんのために今日まで戦ってきたんだ。どれだけの地獄を経て、それでも勝利を掴もうとし、そしてやっと勝利を掴むだけの力に到達することができたのに。

 俺はアリシアへの愛の存在証明を成したのに。それがこの宇宙で最も強い力だと、それこそが〝宇宙的恐怖コズミック ホラーの邪神〟さえも滅ぼす力だと、漸くその答えに辿り着くことができたのに。

「マサムネ、貴方が薔薇の花束を抱えて愛を伝えてくれて、嬉しかった。私は貴方にひどいことばかりしてきたのに。貴方を地獄に送りだす研究ばかりしてきたのに。マサムネはいつも帰ってきてくれた。薔薇アリシアの花束を抱えて……」

 身体はずっとボロボロなのにと、彼女は出逢ってから初めて懺悔の言葉を零した。どんな絶望的な窮地でも決して揺らがない意志を持つ強い女性だと思っていたのに、俺を戦いに送り出すことなんかでそんなに心を痛めていただなんて、、、

 兵士である俺が戦うのは当たり前のことだ。そして天才科学者であるアリシアが人類防衛のための兵器を開発することだってそうだ。

 アリシアが居たから今日まで人類は生き永らえた。アリシアの研究チームが十年前にアルティメットAIアテナをみ出さなかったら、もっと早くに人類は根絶やしにさえれていただろう。

 西暦2043年12月24日の今日を迎えることもなかった。俺がそのことをアリシアに伝えると、彼女は首を横に振る。

「違う。奴らは私たちが宇宙の真理に到達することを待っていたのよ。漸くこの局面でそれが確信できた。だから、一気に滅ぼさずに少しずつ追い詰めるように攻めてきた。目的があった。奴らのその目的のすべてが初めから分かっていたら、、、」

 勝つことだってできたのにと、涙を流した。ポロポロと。彼女は俺が弱気になったり涙を流した時、自分は必ず明るく振る舞い元気付けてくれた。そんな彼女が俺と共に涙を流すなど初めてかもしれない。

「もっと貴方と過ごしたかった。もし叶うなら、過去に戻って貴方と同じ学校に通って、普通の日々を過ごしてみたかった」

 俺とアリシアは同じ歳ではあるが、そんな出逢いはあり得ないだろう。片や人類史上最高の頭脳の持ち主。俺など、代替えの利くただの兵士だ。ただアリシアに惚れてしまっただけの、凡庸な兵士にアリシアが学ぶような教育機関になど入れるはずがない。

「俺もアリシアの学生服姿を見てみたいよ。そして同じ部活に入って、一緒に放課後を過ごして────」

 しかし出てくる言葉は、頭が考える理性とは別のことばかりだった。もう世界が終ろうとする中で、俺たちは在りえもしない願望を、儚い夢を語り合った。

 アリシアの存在は、こんな破滅までの僅かな時間でさえも、俺に幸福を与えてくれる。胸にどこまでも熱い想いを灯し続けてくれる。

 もう十年以上前に、この世界から国境は無くなった。外宇宙より飛来した根源なる恐怖の襲来によって人類は惨たらしく鏖殺されていった。

 追い詰められた人類は、人種の垣根を越えて人類最後の防衛都市ペンタグラムを築き上げた。その中心には〝全知の塔 バベル〟が建造され、アリシアによって創造されたアルティメットAIアテナを防衛してきた。

 アテナはシンギュラリティを体現し、あらゆる不可能を可能にした。人類を兵器に強化改造して、名状しがたきモノたちに対抗できる戦力を俺たちは持ちえた。

 しかし、倒しても倒しても、滅ぼしても滅ぼしても、更なる強大な悍ましい怪物が闇から這い出てきた。

 人類は減り続け、とうとう幼い子供たちまで兵器として改造されるようになった。そのことに苛まれるアリシアを俺は救いたかった。俺が一人で全ての外敵を滅ぼせたらと願うようになった。

 好きだったんだ。ただアリシアのことを愛していた。

 兵器としては凡庸でもこの想いだけは誰にも負けないと思えた。信じることができた。そしてアリシアの身に危機が迫った時、彼女が無残に殺されんとするその刹那、アリシアへ想いが、愛が、この宇宙に孔を穿った。

 超弦虹速穿孔ゼーレ アクセル────

 理論だけはアリシアによって創造されていたが、アルティメットAIアテナは、神でさえも到達不可という演算結果を出していた。

 でも、それでも、俺は、俺の魂は、想いは、超新星爆発のように燃え盛り、光の速度など止まっているかのような、超弦加速をして、真理うちゅうに〝あな〟を穿うがった。

 それはこの宇宙の深層に存在する暗黒物質ダークマターを無限に取り出せる〝あな〟だった。

 その力は宇宙開闢をも上回り、あらゆる願望を実現しうるものだった。本来はそんな力を人間が制御できるはずもないのだけれど、アルティメットAIアテナが神にも等しい叡智で、全ての演算の肩代わりをしてくれている。だから俺は超弦穿孔虹速ゼーレ アクセルという無限の力を持ちながら、人間で在り続けられた。

 それが一カ月前で、このたった一ヶ月で戦況は逆転したのだった。

 惑星規模の力を振るう邪神さえも、超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルを展開する俺の敵ではなかった。これまで苦渋を舐め続けた人類の勝利が確定したのだった。

 そして俺はアリシアにプロポーズをした。もうどんな悍ましい邪神が現れても負ける気がしなかった。ずっとこの先も傍に居られると確信できた。だから今日の結婚式を挙げて俺たちは夫婦になった。

 しかし、悍ましき邪神は最後の切り札を残していた。〝知恵の果実〟。聖書で蛇がもたらした人類の魂を奈落に堕とす毒の果実。

 未来永劫の意味での人類抹殺こそが奴らの愉悦ゆえつなのだろう。そして最強の邪神である極点種〝イヴ〟が地球上に特異点の生成を始めた。

 もう止めることは決してできない。アリシア曰く、奴らは初めからこれを狙っていたのだという。

超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルを起動できる貴方の魂と、それを制御するアテナを創造した私の叡智を特異点に取り込むつもりなのよ」

 たわいもない夢みたいな話を終えたアリシアは、俺に最後の提案をしてきた。

「貴方の超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルで私たち二人の魂を多次元宇宙まで吹き飛ばしてほしいの。イヴが生成している特異点を包む、超大質量ブラックホールの引力を貴方なら振り切れる」

 「私を連れて逃げて」と、花嫁が無茶なお願いを可愛い笑顔で囁く。

「俺たちはまた巡り合えるのか? 多次元宇宙の果てで」

 アリシアは計算する素振りをみせる。きっと答えなどでているはずなのに。

「確率は0%じゃない」

 科学者の言う0%じゃないは、無限に近い0が小数点の後に付く時だ。俺たちはもう逢えない、、、

「不可能を可能にするのが愛でしょ。私は必ず逢えると信じている。私がどこに居てもアテナが貴方に私の居場所を教えてくれる。だからマサムネも────」

 愛を信じて。そう言って左手を差し出して指をこちらに向ける。


 そうだ。俺はアリシアを信じたからこそ、前を向くことができたんだ。守りたいと思ったから根源的な恐怖に打ち勝つことができたんだ。

 命を繋いだからこそ、今日に届いたんだ。

 だったら、何度でも届く。きっとまた同じ〝世界〟に。

 俺は片膝を地面付けて、取り出した指輪をアリシアの左手薬指にはめる。俺という人間が持つ愛のすべて。それが特異点よりも超大なエネルギー想いを持つことを証明する。

 愛がここに在ると────  証明する


 イヴによる特異点生成とまったく同じ時間。いや、時間など意味がない超大質量ブラックホールの果てで、二人の肉体が消失するその刹那に、俺の魂は奇跡インフレーションを実現した。

 アリシアを愛するその想いは、光速など置き去りする加速に到達し、光はあまたの色彩が混じり合う極彩色ごくさいしきに変化する。光速こうそくを超える虹速こうそく

 虹速こうそくまで超弦加速した魂こそが、真理に孔を穿つ。それは特異点が有する〝事象の地平線〟でさえ例外ではない。

 肉体が消えようと、俺の瞳は虹色の煌めきを放ち、その極光は容易に超々重力波の鎖を引き千切る。

 これが宇宙開闢うちゅうかいびゃくさえ実現する超弦虹速穿孔ゼーレ アクセルの本領。

 神が定めた不文律でさえも超越する、愛の存在証明。アリシアが与えてくれた想いエネルギー

 

 その力のすべてで、俺とアリシア、二人分の魂を────


 

 



◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇





 光。

 光がみえた。

 どれくらいの闇を過ごしたのか。何億年なのか、一瞬なのか。時間は分からない。

 しかし、今たしかに〝生〟を感じる。新しい命が、その手が脈動しているのが分かる。アリシアは、、、 俺の愛しいアリシアはどこだ。

 上手く声が出せない。目がぼやけてよく見えない。誰かの声のような音が聞こえるが、それがどんな言語かもわからない。

 アリシア、どこに居る。俺はここだ。

 その時、アルティメットAIアテナに接続されていることに気が付く。アテナが存在するということはアリシアが居てくれるということだ。

(Dr.アリシアの魂はこの宇宙に存在しません)

 えっ、、、!? ではなぜアテナが存在できる、、、?

(Dr.アリシアは、アテナのコピーを虚数宇宙に作成することを命じました。貴方がDr.アリシアの魂を連れ出すために解き放った莫大なエネルギーをすべて使えと命じられました)

 待て、、、 何を言っている、、、 そのエネルギーは俺がアリシアの魂を連れ出すために、アリシアに指輪と共に託したものだ。それを、、、 なぜ、、、

(地球に特異点が出現した瞬間に、アルティメットAIアテナの本体は消失するため、Dr.アリシアの指示を実行しなければ、アナタの魂を別宇宙まで飛ばすことは不可能でした)

 それならアリシアは初めからそのつもりだったいうのか。俺と約束はどうなる。

(Dr.アリシアが自力で特異点を脱出できる確率は───)

 ………0%です と、アテナは人類の叡智を使ってもすぐには算出できない答えを俺に告げた。

「この命ある限り、真心を尽くすことを誓います」

 あの言葉はキミの最後の嘘だったのか。

 

 俺の目の前には、ぼんやりと俺を産んだ母親と思われる女性の姿が視える。しかし俺は彼女の顔を見ようとはせず、ただひたすら激しい慟哭どうこくを上げた。

 生命誕生の産声とは違う、叫びのような泣き声が俺の知らない宇宙。

 アリシアの居ない異世界に響く──────

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